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第309話 消え果つ 其の一

 それはぬるま湯にずっと浸かっていたかのような心地良さだった。ゆらりゆらりと揺蕩いながら、意識がゆっくりと浮上する。  ああ、手足が動くと思った。手首足首を締め付けられていた、痛さと苦しさが消えていてとても軽い。だがそれをどこか寂しいと思ってしまう自分がいる。  竜紅人 (りゅこうと)への罪悪感から生まれた、心の魔妖でもある『香彩(かさい)』からの接吻(くちづけ)を、香彩は受け入れた。求めていたのだと、愛しいのだと言わんばかりのそれを香彩は思い出す。舌を絡めながら『香彩』の瞳は、とても幸せそうに笑っていた。ようやく自分に、香彩に還ることが出来るのだと。そんな愁眉を開いた笑みだった。 (……ああ、そっか)  だから『香彩』は消えたのだ。自分の中に戻ることが出来たから。それは心が罪悪感を受け入れ、許した何よりの証拠だった。 (全部、竜紅人のおかげだ)  『竜紅人への罪悪感』ごと彼は自分を慈しんでくれた。心の魔妖となり、蜘蛛のような姿となっても、竜紅人は『香彩』に口付けを落とし、愛でてくれたのだ。  俺への想いからくる罪悪感を、俺が愛さないと思うのか、と言って。 「……気が付いたか?」  その声に香彩の意識は、一気に覚醒した。  ぼんやりとした視界が明確になり、目の前には安堵の表情を浮かべた竜紅人の顔があった。  どうやら彼の腕を枕にして眠っていたらしい。 「──りゅ……──っ!」  吃驚して思わず起き上がろうとした香彩は、突如襲ってきた腰の鈍痛に、再び竜紅人の腕に突っ伏す羽目となった。軽く掛けられただけの紅の下衣がするりと肌を滑り、白い肩が露わになる。  そんな香彩の様子に、竜紅人が面白そうにくつくつと笑いながら、香彩の肩に下衣を掛けた。 「そりゃあ腰は痛いだろうな。あんな体勢だったんだ。まぁ俺としては、先日言ってたある意味『倒錯的でそそること』が出来て役得だったけどな」 「……それ……って」 「覚えてねぇ? この前蒼竜屋敷で言ってたじゃねぇか。またの機会にって。まぁ姿見がないのが残念だし、お前の手足を縛っているのが紅紐じゃなかったのも、残念だったけどな」 「──っ!」   香彩の顔がみるみる内に朱に染まっていく。  竜紅人の言葉に身体をびくりと動かした香彩は、再び腰の痛みに呻きながらも、弱々しく彼の胸を拳で叩いた。  一糸纏わぬ自分を、卑猥な言葉で責めながら荒々しく抱く、きっちりと衣着を着込んだ竜紅人。  それを想像し、そして望んだこともある。 (確かに似たような状況だったけど……っ)  まさかこんな所で言われ、思い出すとは思わなかったのだ。 「ま、それも『次の機会に』だな、香彩」  

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