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第315話 嘆美

 麗国中枢楼閣の東側にある青龍城門は、いつもと変わらない朝を迎えていた。  城門を護る宿衛兵(しゅくえいへい)の一人が、硬くなった身体を解したかったのか、うんと伸びをする。もうひとりの宿衛兵が窘めるが、彼はどこ吹く風だ。ついでに小さくため息もついて、変わり映えのない景色を見つめる。  中枢楼閣へと続く石畳の道の脇には紅葉の木が植えられていた。枝ばかりだったそれが、季節の移り変わりと共に、小さな緑色をした葉を付け始めている。  葉は瑞々しくも、雨露に濡れていた。  早朝より降り出した雨は霧の様だったが、どこか優しくて暖かだった。  無数の細かな水滴が、やがて景色をぼんやりとした単色な風景に変えてしまう。纏わり付く細やかな水滴と、蒸せる様な雨の匂いに、普段なら嫌気が差していただろう。  だがこの雨がいつもの雨とは違うのだということを、宿衛兵を始め、国事に関わる全ての者が知っていた。  降らせているのは雨を約束する真竜、雨神(あまがみ)であり、この雨は彼の神が『場』に顕れ出でる為に降る、神聖な雨だということを。  そう思えば少しずつ体温を奪っていくこの雨も、どこか誇らしいものに思えてくる。  時折六花が混ざるのは、雪神と呼ばれる冬を司る真竜が、まだこの地に降りているからだ。  雨神を召喚し、雪神との交代を経て、今年の雨を約束させる国の祀りがある。本日の早朝からまさに今、儀式が行われているというが、門を護る宿衛兵にとってそれは、何処か遠い世界の出来事の様だった。  宿衛兵は霧の様な雨に濡れる緑紅葉を、何気に見つめていた。  不意に悪戯な強い風が吹く。  雨でしっとりと濡れている葉が、枝から風によって舞い上げられた。  何とも不思議なことよ、と宿衛兵はそう思いながら、葉を目で追って行くと、自分たちが護る青龍城門が視界に入る。  自分の背丈の何倍もある城門だ。それはまだ開門の刻を迎えていない為、固く閉ざれている。  門には竜翼を広げ、尾を(くね)らせる雄大な青龍の姿が描かれていた。   彼の竜はこの城門に宿り、中枢楼閣を護る一端を担っているとされている。  この城門を護る任務に就いてから幾年と経つが、宿衛兵は未だに彼の竜を一度も見たことがなかった。  青龍城門の反対側、西側の白虎城門に勤める同僚は、幾度か白虎が門へと還る姿を目撃しているのだという。興奮気味にそう話をされた時には辟易としたが、存在を疑っていた身としては、本当に実在するのだと内心驚いたものだ。  上役によれば、青龍は滅多にその姿を見せることはないという。中枢楼閣にいる同族や真竜皇族に、気兼ねをしているからだとも、雄々しい姿に反して引っ込み思案な性格だからとも()われている。  そう思えば何ともいじらしくも愛らしいことか。  心内でくすりと笑いながら宿衛兵は、更に舞い上がる葉を目で追う。    目が、合った。  透き通った翠水晶のような瞳と目が合った。  宿衛兵は驚きのあまり、ひゅっと息を呑み、尻餅を付く。    謳われる強大かつ巨大な勇姿。  その青き竜身と優美な曲線を描く竜尾。  まるで重さを感じさせない動作で、門上に青龍は在った。  青龍はしばらくの間、宿衛兵を見つめていたが、不意に天に向かって頭を上げる。  そして腹の底に溜め込むような唸り声を上げた後、まるで呼ばれたことに対しての(いら)えのように、大きく咆哮するではないか。  宿衛兵はそのあまりの迫力に、思わずその場で平伏した。  驚愕と感嘆と畏怖、そのような感情が彼を支配していたが、何よりも幾年と護り続けてきた門の主との初めての邂逅に、胸が熱くなって何も考えられなかった。  同刻。           玄武城門、朱雀城門、白虎城門にて、それぞれの式が門上に顕れ、空に向かって咆哮する姿が見られた。  その様子はお互いに褒め称える様であり、何かに(いら)えを返すようであったという。  人々は東の宿衛兵と同様、その姿に畏れと親しみを感じながら、彼らが消え行くまで平伏したのだ。     

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