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第384話 求愛 其の三

 ここはもう夢床(ゆめどの)ではないのだ。  そして竜紅人(りゅこうと)もまた、発情期の本能に支配されていた蒼竜ではない。生身の人形(ひとがた)として、初めて自分以外の者に抱かれた、自身の御手付きの生身に触れるのだ。いまもこうして触れられている箇所から、愛しくて堪らない熱が生まれている。それが申し訳なくて仕方ないというのに。  香彩(かさい)は何とか離してもらおうと、彼の腕の中で藻掻いた。だが竜紅人の腕の力は更に強くなり、香彩の抵抗すらも胸の中に閉じ込めてしまう。  先程の香彩の言葉を、抱き締めることによって否定するかのように。   「──っ」    その苦しさに香彩は息を詰めた。  足掻くことすら出来なくなって、ただただ感じる竜紅人の熱い体温にくらりと眩暈がする。   「りゅう……っ!」    くぐもった声で竜紅人の名前を呼べば、まるで腹の底から湧き出てきたかのような、盛大で深い深いため息が香彩の頭の上から降ってきた。   「さすがにこれじゃ、話も出来ねぇもんな。今からお前を離すけど、逃げるなよ香彩。もしも逃げたらどこまでも追い掛けて捕まえて、どこにも行けないように、蒼竜屋敷(ここ)に閉じ込める」    一層のこと、夢床で見たあの蜘蛛の真似でもしてみるか。  いつもよりも低く掠れさせた竜紅人の声と内容に、香彩は身を震わせながら彼を見上げた。  視線が、合う。  捕食関係の上位に位置する真竜の、まさに獲物を捕らえた恍惚の境地にあるような、爛々とした眼がそこにあった。  香彩の背筋をつつと、冷たいものが伝うのと同時に、ぞくぞくとした粟立つものが駆け上がっていく。  食われる恐怖と、食べて貰えるという気の遠くなるような陶酔さが心の中を鬩ぎ合って、香彩の抵抗する力を奪っていくかのようだった。  無言のまま香彩が頷く。  竜紅人が腕の力を抜くと、香彩は糸が切れたように厚手の敷物の上に座り込んだ。  視線をどうしても彼から離すことが出来ない。  身体を動かすことも出来ない。  竜紅人の持つ捕食者としても眼力が、香彩をこの場に縫い付けているかの様。   (──彼は、いま……何……?)    何と言ったのか。  脳裏で彼の言葉を反芻しながらも、信じられない気持ちで茫然と伽羅色を見つめる。  逃げるなと彼は言った。逃げたらどこまでも追い掛けると。  追い掛けて捕まえて閉じ込める。そして夢床にいた罪悪感の象徴でもある、蜘蛛の真似をするというのだ。  それはまさに、閉じ込めてから拘束すると言っているのも同意だ。     

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