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第392話 求愛 其の十一

「……」    香彩(かさい)は言葉が出なかった。  唖然としながらも、実は竜紅人(りゅこうと)から『逃げようとした』という怒りは熾火のように、今も彼の心内をじわりと灼いているのだと思い知る。  香彩の表情の変化を読み取ったのか、竜紅人は面白そうに再びくつくつと笑った。   「蜜月に関してはこれからがある。お前の胎内の竜核に熱を遣りながら、もう何も憂うことなく、お前としばらくの間ここで、二人きりで過ごせるのを楽しみにしていた」 「……っ」 「後はあれだな。『お前の身体が俺だけのものじゃなくなった』……か?」    香彩は身体を震わせた。竜紅人から改めて言葉にされると、心が抉られるかのようにぐっと痛む。だが自業自得だ。叶からの干渉があったにせよ、自分が隙を見せなければあんなことにはならなかったのだから。  ごめんなさい、と香彩は昂る感情によって掠れる声でそう言った。   「竜紅人はずっと気を付けろって、言ってくれてたのに……!」    中枢楼閣にも、自分のことをどうにかしたいと思う不埒な輩は一定数いるのだと、だから用心しろと忠告してくれたのは竜紅人だ。   「貴方に謝るのは僕の自己満足なだけかもしれない。けど……」    ずっと謝りたかった。  そう言った須臾(しゅゆ)、香彩は息を詰めた。  竜紅人の自分を見るその瞳はとても優しげに、だが切なげに細められている。まるで煮詰めて蕩けた、甘い蜜のような伽羅色がそこにはあった。   「……夢床(ゆめどの)で『真実を啼いた』からな。詳細は知っている。お前が大司徒屋敷の湯殿で俺を想って泣いたことも。俺を想って離れようとしたことも。……辛かったな、かさい」 「あ……」    気付けば視界は歪んでいた。  はっきりと竜紅人の姿を見たいというのに、どうしてもぼやけてしまう。幾度か瞬きをすれば、香彩の頬を大粒の涙が滑り落ちた。  心内は嵐の中の目のようだった。荒れ狂う感情が確かにあるというのに、不思議と心の真ん中の大事な部分が、しんと凪いでしまっている。   「……触れていいか? かさい」    お前のその涙を拭いたい。  竜紅人の言葉に、香彩はどこか感情が宙を浮いたまま、ゆっくりとした動作で首を横に振った。   「だめ……だよ」 「……どうして?」 「だって……」 「俺に、触れられるのが……怖い?」    香彩は再び首を横に振る。  その様子に竜紅人が何かを思い出したのか、嗚呼と囁くように声を発した。   「穢れる、気持ち悪い……だったか。こんなにもお前に触れたくて仕方ないっつーのに、俺がそんなこと思ってると思うか?」 「……」 「それに真竜の本能で動いている発情期の蒼竜が、俺以外の者の匂いが付いている、御手付きのお前を拒まなかった。拒むどころかこれでもかと求めた……それが一番の答えだ」

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