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第409話 いつか……其のニ
「……あ、ん、ちょっ……」
いつの間にか耳輪に接吻 を落としていた竜紅人 が、耳裏をじっとりと舐める。
「誰のこと、考えてる? かさい」
「……っ」
耳垂を含み舌で転がしていた唇が、首筋を吸う。やがて鎖骨を食む様 に、香彩 は慌てて竜紅人に抵抗を見せた。
「だめ、りゅう……」
「……言ったじゃねぇか。ここで二人きりになるのを楽しみにしてたって」
「だからって……さっきもあんなに、っぁ……」
「足りねぇな。それにさっきも起きたら隣にお前がいなかったし、まだ足腰も大丈夫そうだしな。出来たらもうどこにも行けねぇように、他のやつのことも考える余裕もねぇくらいに抱き潰したい」
「──っ!」
「……今は俺のことだけ考えて……かさい」
竜紅人の熱い手が薄紅色の下衣の上から、身体中を弄る。香彩の官能を引き出そうと動きを見せる手が、合わせ目から直に肌に触れようとした、その時だった。
ぐー。
「……」
「……」
ぐきゅるー。
それはお互いの腹の虫の音。
お互いにきょとんとした表情で視線が合う。
やがてどちらともなく大きな声で笑い出した。
「……ったく、泣き虫が収まったら次は腹の虫。小さい頃から変わんねぇなお前は」
「竜紅人の方が大きかったじゃないか、音!」
「そりゃあ腹減るようなことしてんだから、腹も減るだろうよ」
「……っ」
「何を想像した? 香彩」
香彩が顔に朱を走らせてそっぽを向く。そんな香彩を竜紅人がそれは面白そうに、くつくつと笑った。
「とりあえず飯だな。何食べたい? 好きなもの作るぞ」
「──屯食」
竜紅人にそっぽを向いたまま、香彩が応えを返す。
「屯食? そんなものでいいのか?」
こくりと香彩は無言で頷く。
「さっき話してたから食べたくなっちゃった。それに……」
「ん?」
香彩が小さく息をついてから、竜紅人を見る。
「僕、竜紅人の屯食大好きだよ。前に僕に作ってくれたでしょう? すごく美味しかったし、嬉しかった。今度はね、一緒に作りたい、りゅう」
「……っ」
竜紅人が息を詰めた。
泣き笑いのような表情と優しい伽羅色に見つめられて、香彩は痛いほどに胸が高鳴るのを感じる。
大きな手が香彩の頭に触れた。力強く前髪が乱れるほど、くしゃくしゃと撫でられて香彩が文句を言う。
そんな文句すらも愛しくて堪らないのだという顔をされて、香彩はついに何も言えなくなった。
ほら行くぞ、と言って竜紅人が先に歩き出す。
今から一緒に食事を作って食べるのだと、彼の背中を見つめながら思う。
今だけではないのだと、香彩はふと気付いた。
これからずっと竜紅人と朝餉も昼餉も夜餉も食べることが出来るのだ。おはようやおやすみの挨拶だって出来るのだ。
何故か香彩はいま、自分の髪を乾かしていた竜紅人の優しい手を思い出した。そして寝台に入って眠る時の彼の気配や温もりに、ひどく安心したことを。
昔も今も変わらない。
幼い頃から与えられた愛情とぬくもりが、いつの間にか形を変えて、更に愛しいものへと変わっていく。
もう貴方ではないと駄目なのだ。
貴方でないと意味がないのだ。
かさい……と、呼ばれる声が堪らなく好きだ。
優しく触れてくれる手が堪らなく好きだ。
まっすぐに見つめてくれる綺麗な伽羅色の瞳が。
誰にも取られたくない。
ずっとそばにいたい。
ずっと。
「……りゅう……、竜紅人」
意を決したように、香彩が竜紅人の名前を呼んだ。
その固い口調に、振り返った竜紅人が訝しむ。
「──項、噛んで」
「……香彩……」
驚いた表情をして何か言いかけた竜紅人を遮るように、香彩は言う。
「僕はずっと貴方と生きていきたい。竜紅人じゃないと意味がないし、竜紅人じゃないと駄目なんだ。もう離れたくない。だから……噛んでほしい、りゅう」
僕を……真竜の番にして。
直向きな視線を竜紅人に向ける。
だが香彩が見たのは、首を横に振る竜紅人の姿だった。
「……いまは駄目だ。香彩」
「……」
「勘違いすんじゃねぇって。お前を一生離すつもりなんかねぇよ。だがな真竜の番は人であって人ではない存在になる。寿命ですら俺に縛られる。お前を御手付きにした時からずっと考えてた。番は……紫雨 に話を通してからにしたいって」
「あ……」
真竜はとても長い寿命を持つ生き物だ。人が伴侶として共に歩んでいくには、当然人のままでは生きていけない。だから神気を使ってゆっくり歳を取りながら、長く生きていける存在に、御手付きの身体を作り変えるのだ。
それは紫雨との別れを意味していた。
今はまだいい。
だが近い将来、人である紫雨とは明確な時の流れの違いが出てくる。
「ごめん、竜紅人。竜紅人がここまで考えていてくれたのに、僕……」
「いや……ありがとうな、香彩。俺と共にいたいって、番になりたいって言ってくれて。先に言われたのがちょっと悔しいが……嬉しい」
少し前にいたはずの竜紅人が気付けば目の前にいて、優しく抱き締められる。頭や額に降ってくる接吻 が擽ったくて身を捩れば、指先で頤を掴んで上に向けられた。
「離れないで傍にいてくれ、香彩。これからもずっと……」
「……うん」
唇に触れるだけの接吻 を交わして離れれば、照れくさそうに笑う竜紅人の顔が近くにある。
香彩も竜紅人につられるかのように、はにかむ。
やがてお互いに笑みを浮かべたと思いきや、再び大きく口を開けて笑い合った。
そんな二人の様子を、神桜がさわさわと囁くような音を立てながら、優しく見守っていたのだ……。
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