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9-彼が望んだもの(7)

街灯に照らされた下で、遊馬さんが頭を抱えている。 さっきから、「え?」「は?」「なんで?」ってのを繰り返し呟いてる。 見事な混乱状態だ。 「あーすまさーん。帰りましょ?」 「え? いやだって、僕」 まさかこんなあっさり幕引きになるなんて思ってなかったんだろう。 俺もびっくりだけどさ。遊馬さんほど驚いてはいない、な。 「遊馬さん。遊馬さんが水野の身辺調査したのが、王手だったんですよ。水野にも、今は大切な人がいたんです」 「そ、そうか……そうか」 「だから、遊馬さんの勝ち。ね、帰りましょ?」 少しだけ遊馬さんが自分を取り戻した。 「ちょ、ちょっと、待ってくれ。でもその、その前に、しろたに話があるんだ」 遊馬さんは何度か深呼吸して、目を擦った。 「……もう全然きれいじゃないし、レンタル落ちだし、評判も最悪だけど……僕をもらってくれないか?」 俯き気味の遊馬さんのまつげが震えているのをぼんやりと見上げた。 この綺麗なひとは、なんで不安そうなんだろう。 俺が遊馬さんの告白を断ることなんて、百パーセントありえないことを知っているだろうに。 もし誰かの物だったら、奪い取りたいくらいなのに。 しかし俺がなんて言おうか考えていると、遊馬さんは泣きそうな顔で笑った。 「嫌だよな。こんな……こんな使用済みオナホなんて。ごめんな。僕のことは忘れてくれ」 俺に背を向けてどこかに行きそうになる。 ぼんやりした頭を叱りつけて、俺は慌てて遊馬さんを引き留めた。 「待って、待って遊馬さん。まだ俺何も言ってないです」 遊馬さんの前に回り込んで、その顔を見上げて必死に訴える。 「遊馬さん。俺、初めて会った時から遊馬さんがずっと好きです。今まで遊馬さんのいろんな顔見たけど、それでも、好きなんです」 しかし、自虐のスイッチが入ってしまった遊馬さんは、素直に聞いてくれない。 「いろんな顔? 後ろからつっこまれてよがってる顔か? それとも、フェラしてる間抜け面? 自分から進んで玩具になる道を選んだんだ。しろた……しろたみたいに良い子とは一緒になれないよ」 言うことを聞かない頑固な遊馬さんの腕をとって、その懐に入る。 ああ、今初めて気づいた。 俺、低身長がちょっとコンプレックスだったけど、この背の高さだと、遊馬さんに抱かれた時にしっくり来る。 誂えたみたいにぴったり遊馬さんの懐に入って、その繊細な顔立ちを見上げられる。 ふふ。俺専用の特等席だ。 「遊馬さんがどうしても玩具だって、物なんだって言うなら、それはオナホじゃなくて、ラブドールです」 「同じだろ」 遊馬さんが俺から離れようとする。もう。そんなに寂しそうな顔してるくせに、なんで一人になろうとするの。 「同じじゃないですよ。ラブドールは、愛されるために生まれてくるんです。そして俺みたいにちょっと困った問題児の愛でも、優しく微笑んで受け入れてくれる」 遊馬さんがなにか言いかけたけれど、構わず続ける。 「遊馬さん、俺に、これからもずっと遊馬さんを愛させてください」 遊馬さんの視線を手繰り寄せて捕まえて、言いたかったことを伝えた。 しばらく見つめ合って……遊馬さんが視線を逸らした。 「やだ」 「なんでですか。もう俺は遠慮しないです。絶対遊馬さんから離れません」 遊馬さんはそっぽを向いて、片手で目元を覆ってしゃがみ込んでしまった。 「遊馬さん。イヤですよ、逃げちゃうなんて」 「イヤなのはこっちだ。しろたはずるい」 「ずるいってなんですか。ねえ、俺のこと見てください」 遊馬さんの腕を掴んで揺すってみた。 遊馬さんがちらっと手をずらして俺を見て、また目元を隠しちゃった。 両目ともほんのり赤くて、うるうるだった。 「ダメだ。そんな可愛い子ぶって見せたって、僕はしろたが実は…………(学生時代に百人斬りした)って知ってるんだからな。灰谷が言ってた」 途中遊馬さんがごにょごにょっと言って聞き取れなかった。 「? 遊馬さん、今なんて? すみません、聞き取れなかったです」 「やだ。二度は言わない」 意地をはる遊馬さん。 仕方ないから、甘える作戦に切り替えてみる。 しゃがんだ遊馬さんに背中から抱きついて、耳と頬にちゅっとキスをする。 「やめろやめろ、甘やかすな」 遊馬さんに空いてる方の手で退けられた。 「甘やかしてないです。正当な行為です。ねえ遊馬さん、キスしたいです」 もう落ち着いたのか、遊馬さんが顔から手を下して立ち上がり、俺から離れるように歩き出した。 え! ちょっと! なんで遊馬さん! 「遊馬さんどこ行くんですか」 「しろたがいないとこ」 「なんで! 俺も一緒に行くんじゃないんですか!?」 「だめだ。しろたはだめだ」 俺はもちろん後を着いていくけど、遊馬さんは次第に足を速めていく。 「遊馬さん! そんなに素直になれないなら、もうキスしてあげませんよ!」 遊馬さんが頑固だから、上から目線で攻めてみた。 「フン。望むところだ。僕だってキスしてやらないからな」 そんなのやだー! 「ふえぇ、ごめんなさい遊馬さん、キスしてください」 遊馬さんを追いかけて、走り始めた。 遊馬さんを捕まえられれば、キスしてくれると思うんだけど。 だって遊馬さんの目にはもう涙はなくて、ちょっと笑ってるんだもん。 でも問題が一つ。遊馬さんの足が速い。 お願い待って遊馬さん! なんで逃げるんですか? 俺のことをからかってるでしょう! 絶対追いついて、キスしますから! 「はは、しろた顔真っ赤だ」 「遊馬さーん!」 僕を追いかけてくれる愛しいひとを、時々ちょっとだけ振り返って、走って、誘って、走って、ほら、あと少し。 そろそろ、二人の道が交わり、一つになれそうだ。

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