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#130~#131

#130 「豪ちゃんは、明日で帰ります!」 「え~~~~~!!やだぁ~~~~!」 どういう事だよ…! あれから約1カ月が過ぎて…9月も終わる頃。 すっかり、俺の音楽教室の生徒になった豪ちゃんは、残念がる小学生のお友達の前で、もじもじと体を揺らしながらこう言った… 「ん…もう、行かなきゃ駄目なんだぁ…。剛田のリサイタルがあるのぉ…。それにぃ…豪華客船に、先生を、ひとりで行かせる訳に行かないんだぁ…。すぐに、お腹を壊しちゃうからぁ、食べる物を僕が決めてあげないとダメなんだぁ…。」 すると、思わず…英二君が起立して、豪ちゃんに向かって聞いたんだ。 「豪ちゃぁん!また来てくれるぅ…?」 シンパシーでも感じたのかな…? 英二君は、豪ちゃんの生き方に…少なからずとも影響を受けた。 …このままで良いんだって、まるで、励まされたかの様に…バイオリンの練習に積極的になったんだ。 順番通りに規則正しくみんなと足並みを揃えられない…そんな事を、あの子も気にしていたのかもしれない…と、俺は、少しだけ反省したんだ。 そんな英二君の言葉を受けた豪ちゃんは、クネクネしながらこう答えていた。 「来るぅ!来るぅ!ふぉ~~~~!」 黙ってればさ、可愛いフランス人形なんだよ? 喋ると途端に…馬鹿だ。 でも、そんな豪ちゃんは…俺の音楽教室のちょっとした人気者だ…。 ツンツンした凛子ちゃんは、フラフラと揺れる豪ちゃんの腕を掴んで自分の隣の席に座らせた。そして、あの子の顔を覗き込みながら、こんな話を始めたんだ。 「豪ちゃん、運指って面倒臭いからやりたくないの。やらなくてもいいでしょ…?」 すると、豪ちゃんは首を傾げてこう言った。 「うん、めたくそ面倒臭~い!ん…でもねぇ…運指をすると、次に曲を弾いた時…わぁ!ってビックリ出来るよぉ?指が絡まなくなって…わぁっ!って…、すごぉい!って、なるんだぁ…だから、毎日やった方が良いんだぁ。面倒だったら、漫画を読みながらやったら良いんだよぉ!僕はねぇ、音楽を聴きながらやっちゃうぅ!」 …マルチタスク過ぎるな。そんなの常人には不可能だ… 呆れた様に眉を上げてそんなふたりの会話を聞いていると、凛子ちゃんは妙に納得した様に頷いて、こう言ったんだ。 「そっか…分かったぁ…!」 はぁ~~~~~?! うぉおい!凛子!この野郎!! この前、俺に…テンポが違うとか、音符と違うとか、お母さんが言ってるのと違うとか…訳の分からない文句を、言って来たじゃねえかぁ~~!! 俺はこの時…悟ったね。 賢かったり、空気を読めたり、無駄に気の使える人間って言うのは、結局、最後には損をするんだ。 少し馬鹿ぐらいが…ちょうど良いんだってね… 「はぁ~、やんなるね。」 首を横に振りながらそう言った俺は、豪ちゃんと楽しく雑談する小学生グループから離れて、アイランドキッチンでグスグスと鼻を啜るまもちゃんにこう言った。 「学級崩壊だよ!ギフテッドによる反乱分子の製造工場だ!俺はね、アナーキーストを育ててる訳じゃないんだ。理論に基づいた指導をしている。それは、感覚や、何となく…なんてフワフワした物じゃない。確立した技術なんだ…!」 すると、まもちゃんは、涙を拭ってこう言ったんだ。 「…あぁ、また行っちゃうのかぁ…!」 当たり前だ…! あの子のリサイタルに、誰が来ると思ってんだぁ! 俺は眉を片方だけ上げて、まもちゃんにこう言ったんだ。 「あの、ル・トリアノン劇場だよ…?今更中止になんて出来ないさ。全く…信じられないよ。天使のバイオリンを聴きに…悪魔が大挙して押し寄せて来るんだもんね…。見ものだろうね…?財閥やら、貴族、王族から…ありとあらゆる金持ちがやって来て、あの子のバイオリンの音色に感動するんだ。風刺の効いた喜劇でしかないね…。」 鼻で笑う俺の言葉を聞いたまもちゃんは、まるで乙女みたいに両手を胸の前に当てて、ときめきながら言った。 「はぁ…!!素敵ぃ…!」 はん! コンサート、リサイタル、音楽会…そんな物は、一年以上も前から予定されて、そのために様々な人の絡んだ…大規模な準備や支度が成されるんだ。 豪ちゃんに関しても然りだ。 あの子の場合は、群を抜いて集まって来る客の質が高い分、惺山と一緒に居たぁい…なんて理由で、舞台に穴なんて空けられない。 だから、豪ちゃんは一旦…フランスへ戻るんだ。 「豪ちゃん、何か弾いて~~~!」 「うん。良いよぉ~~?」 そんな天使のバイオリンを…俺のお教室の生徒たちは、タダで聴かせて貰える。 俺の…役得だな。 豪ちゃんは子供たちの前に立つと、嬉しそうに笑いながらバイオリンを首に挟んだ。そしてそっと弓を下ろして弾き始めたのは…“もみじ”なんて、子供の童謡だった。 あの子は、日本の歌を弾くのが好きなんだ… 「わぁ…良いね…」 目じりに涙を溜めたまもちゃんは、あの子のバイオリンに合わせて歌い始めた子供たちを見つめて…にっこりと笑ってそう言った。 自然に音を奏でるあの子の姿は、素直で真っすぐな子供にダイレクトに響いて、思わず体を動かしたり…思わず踊りだしたり…こんな風に、思わず、歌い始めたりする現象を度々起こしている。 嬉しそうに瞳を細める豪ちゃんと、そんなあの子を見つめて、笑顔で歌を歌う子供たちは、一緒に“もみじ”を紡いで…美しいハーモニーを奏でている。 そんな光景は、まさに…音楽教室の理想の様に見えた… 「ふふ…!全く…良い絵面だな…」 俺はそう言うと、豪ちゃんと子供たちの動画を携帯電話で撮影した… 音を楽しむ…それが、音楽だ。 そこには、一番も二番も、勝ちも負けも無い。 誰かの主観に踊らされてはいけない。 あの子の名言は、きっと…俺の、一生の課題だ。 「明日は…どうするの?」 子供たちが帰った後、帰りの支度をする豪ちゃんの背中にそう尋ねた。すると、あの子は首を傾げてこう答えたんだ。 「えっとぉ…薫ちゃんを保育園に送ってぇ…その後ぉ、惺山のお昼ご飯を作ってぇ…夜ご飯の準備を済ませたら…軽井沢駅から帰ろうかなぁ…?」 なるほど… 「じゃあ…帰る時に、顔、見せてってよ。」 俺がそう言うと、豪ちゃんはバイオリンを手に持って、ニッコリ笑った。 そして、俺の頬にキスをして…こう言ったんだ。 「ほっくん…色々ありがとうございますぅ…。僕、彼の傍にいれて…とっても幸せだよぉ?お仕事があるから、フランスへ戻るけど…僕の帰る場所は、惺山なんだ。」 ふふ… 口元を緩めて笑った俺は、あの子のスベスベの頬を撫でて言った。 「…そうだね。お前は…森山惺山の、天使だからね…」 「ふふぅ!…うん!じゃあ、僕、薫ちゃんのお迎えがあるからぁ!ばいば~い!」 豪ちゃんはケラケラ笑うと、まもちゃんにハグして、そそくさと店を出て行った… 豪ちゃんは森山家に1カ月…居候している。 それは十分すぎる程の働き手として、だらしのない惺山の生活をサポートしていた。 薫ちゃんの保育園の送り迎えから、庭の雑草むしり…掃除、洗濯、朝昼晩の食事の用意。ご近所づきあいに、物々交換…。内向的で内弁慶なフォルテッシモの躾…そして、ダメ人間の惺山に愛を注いで、熱い物を口の中に入れてあげている。 薫ちゃんは、そんな豪ちゃんをどう思っているのか、俺には分からない。 だって、豪ちゃんは天然ボケ故か…お母さん代わりでも、保護者代わりでもない、あの子のままで、薫ちゃんと接しているからね。 ぶっちゃけ、おませな薫ちゃんと、対等なんだ… 「はぁ…帰るのか…」 まもちゃんは、ため息を吐きながら、肩を落として再びそう言った。 そんな彼に、俺はにっこりと笑って…肩をすくめて見せた。 そういや…あの子は、俺のお教室の生徒なのに…月謝を払っていなかったな… 1か月…小学生クラス、週2で、8、000円だ。 後で、理久に請求しよう… -- 「森山薫ちゃんをお迎えに来ましたぁ~!」 僕は、保育園の先生にそう言った。 すると、先生はニコニコ笑いながら、僕に教えてくれたんだ。 「薫ちゃん、今日、転んじゃったお友達に、とっても優しくしてあげたんですよ?お家に帰っても、褒めてあげて下さいね?」 わぁ…!すごぉい! 「…は、はぁい!」 僕は、顔を熱くして元気に返事をすると、トコトコとやって来た薫ちゃんの手を繋いで、いつもより胸を張って保育園を出たんだ。 「薫ちゃぁん、すごぉいね?お友達に優しくしたのぉ?わぁ…凄いわぁ…!」 僕は、すっかり舞い上がって…ギュッとつないだ手の先の薫ちゃんにそう言った。すると、彼女は僕を見上げて肩をすくめてこう言ったんだ。 「…だって、ウエンウエンって…泣いてたんだぁ。可哀想じゃぁん!」 わぁ…! 素敵なレディだぁ…! 「可愛い~!」 僕はにっこり笑って手をブンブン振ると、薫ちゃんにこう言った。 「そうだぁ、僕…明日、フランスに戻るんだぁ。薫ちゃん、次に来る時…何か欲しいものあるぅ?僕はねぇ…意外とお金持ちなんだぁ!車とか…家以外なら、買ってあげちゃうよぉ?」 これは…男のプライドなのかな…? 可愛い子に…何か、買ってあげたくなっちゃうんだよね? すると、薫ちゃんは僕の腕にギュッと掴まってこう言ったんだ。 「そんなの、薫、要らない…!だから…ゴーちゃん、行かないでっ!」 えぇ…?! 僕は、バス停でバスを待ちながら、そんな薫ちゃんになんて返事をしたら良いのか考えあぐねて、途方にくれた… 「ん、でもぉ…行かないと、損害賠償を請求されるってぇ、先生が言ってたんだぁ。」 バスに乗った後、僕は、膝に寝転がる薫ちゃんにそう言った。 すると、彼女は頬を膨らませてフイッと顔を背けちゃった。 あぁ~あ…怒っちゃった…! でも…可愛い。 「ふふぅ…ほっぺが膨らんでるぅ…!ツンツン…」 「や~め~て~!」 「ツンツン…ふふぅ!ツンツン…」 「ぶっ飛ばすよ?」 わぁ…! 僕は、薫ちゃんに何回かぶっ飛ばされた事があるから、そんな彼女の言葉にビビッて…ツンツンするのをすぐに止めた。 「ゴーちゃん…?」 「なぁに?」 バスを降りて、家までの帰り道…薫ちゃんは僕の手を握って僕を見上げて、こう聞いて来たんだ。 「ゴーちゃんは、お母さん、死んじゃったのぉ?」 あぁ… 僕は薫ちゃんを見下ろすと、ニッコリ笑ってこう言った。 「…うん。そうだよぉ?お母さんは、僕を助ける事を選んで…自分の命を落としてしまったんだぁ。でもね、僕は、仮死状態って言って…実は、死んでたんだぁ。お母さんから、生まれた後に生き返ったの。はぁ、やばかったぁ~!」 そんな僕の話を聞くと、薫ちゃんは眉毛を下げてこう聞いて来たんだ。 「…ねえ、寂しかった?」 薫ちゃん…お母さんが居ない事が、寂しいのかな… 僕は、そっと彼女の髪を撫でて、少しだけ微笑んでこう言った。 「うん…寂しかった。でもね、周りの人が…助けてくれた。僕はね…お父さんもいなくなっちゃったから、お兄ちゃんと、ふたりっきりだったんだぁ。」 「えぇ~!」 目を丸くした薫ちゃんは僕の目の前に立って、両手をブンブンと振りながらこう言った。 「うっそだぁ~~!」 そんな彼女の言葉にケラケラ笑った僕は、首を傾げてにっこりと笑った。 「嘘じゃないよぉ~!でもね、てっちゃんや、清ちゃん、晋ちゃんに大ちゃん!みんなのお父さんと、お母さんが、僕と兄ちゃんを育ててくれたんだぁ。だから、彼らは…僕と兄ちゃんの…お父さんとお母さんでもあるんだよぉ?ふふぅ!良いでしょ?合計8人も親がいるんだもん!僕はね、8人の愛を貰ってるんだぁ…。」 本当…そうなんだ。 僕が、遠く離れたフランスへ行った後も…僕を探して、僕を見つけて、僕を応援してくれていたんだ… それを、愛と呼ばないで…何と呼ぶんだろう。 僕は、そんな愛に守られて生きているんだって、そう感じる事が出来て…とっても、嬉しかったんだ… すると、僕の話を聞いた薫ちゃんは、両手を広げて、ギュッと僕に抱き付いて…こう言った。 「…薫は、少し…寂しい。お母さんに…会いたい。」 あぁ…そうだよね… 僕は足元に抱き付いた薫ちゃんを抱き抱えると、バイオリンを持ち直して、えっちらおっちらと歩きながら、彼女にこう言った。 「ねえ?薫ちゃぁん…?」 「なぁに?ゴーちゃん。」 「惺山に…そう言ってごらん?寂しいよって…言っても良いんだぁ。どうしようもない事だ。って…我慢しなきゃ駄目なんだ。って…ひとりで悩まないで、寂しい時は…寂しいねって…言って良いんだよ?お母さんにはもう会えないけど…お母さんを知っている、惺山に…沢山お話を聞いて貰ったら良いんだよ?」 僕も、薫ちゃんとおんなじ。 お母さんに触れた事も、顔を見た事も、声を聞いた事も無い。 でも…兄ちゃんが、色々な事を僕に教えてくれた。 お料理が得意だった事、頑張り屋さんだった事、スカートしか持ってなかった事、お父さんが、お母さんを大好きだった事… それで、お母さんを知った気にはならなかったけど、でも…嬉しかった。 だから、僕は…薫ちゃんに、そう話したんだ。 すると、彼女は、僕の髪を撫でながら、口をへの字に曲げてこう言ったんだ。 「ゴーちゃんもね…!」 「…ん?」 僕は、そんな彼女の言葉に首を傾げて、目を点にした。すると、彼女は僕の髪を指先に絡めながらこう言ったんだ。 「…ゴーちゃんは、我慢しいだから…みんな、心配してるよぉ?薫、知ってるもん。だから…薫もぉ、パパにお話しするから…ゴーちゃんも、内緒にしないで、みんなに聞いて貰うと良いよぉ…?」 わぁ…! 「うん!」 僕は、優しくて、可愛らしい…素敵なレディの薫ちゃんに満面の笑顔を向けると、ズンタッタ…なんてリズムを刻みながら、抱っこした彼女とワルツを踊って、惺山の待つ家へと向かった。 夕暮れ時の日差しは家までの道を赤く染めて、穏やかに僕と彼女を照らして、長い影を落とした。 「ただいまぁ~!薫ちゃん、手を洗ってねぇ~?」 「はぁ~い!」 薫ちゃんと縁側から部屋の中に入ると、僕は、彼女と自分の靴を下駄箱まで運んで、彼の食べ終わった食器を洗いながら手を洗った。 そして、すぐにテレビの前で横になる薫ちゃんに声を掛けたんだ。 「薫ちゃん、惺山に…ただいまって言って来てぇ。」 すると、薫ちゃんはお尻をポリポリとかきながらこう答えた… 「ん、だってぇ…パパはぁ、無視するんだもぉん!うんこだから…やぁだぁ!」 そんな彼女に眉を下げた僕は、夕飯の準備をしながらこう言ったんだ。 「夢中になっちゃってるんだぁ。だから…音が聴こえない。でも…顔を見て言って来てごらん?自分の気は済むからさぁ…。ねぇ?」 そう言うと、薫ちゃんは渋々重い腰を上げて、のそのそとピアノの部屋へと向かった。 作曲作業に専念しちゃうと…どうしても、彼はどこかへ行ってしまう。 僕は、そんな彼が大好きだけど…子供の薫ちゃんには、少し、物足りないみたいだ。 頬を膨らませて帰って来た薫ちゃんは、冷蔵庫から浅漬けを取り出して…ぽりぽりと食べながら僕のお尻にくっ付いて来た。 そして、足踏みをしてこう言ったんだ。 「やっぱり!無視したぁ…!うんこマンだったぁ!」 「ふふぅ!きっと…どこかに行っちゃってるんだぁ…。例えば、それは…とっても綺麗な森の中だったり、激しく揺れる波の上だったり…。そんな、想像の世界の中へ遊びに行っちゃってる。でもね、そのうち戻って来るよぉ?」 僕はそう言って、薫ちゃんを見下ろした。 すると、彼女は僕のお尻に抱き付いたまま、フゴフゴと何かを言ったんだ。 声の調子から…それが文句だって分かったけど、僕は、そのまま彼女と一緒に体を揺らして、鼻歌で”愛の挨拶”を歌ってあげた。 だって、へそを曲げた彼女も、とっても可愛いんだもん。 「今日はねぇ、まもるから貰ったお肉を使った…ハンバーグだよぉ?」 僕は薫ちゃんにハートの形のハンバーグを作ってあげた。 すると、付け合わせのブロッコリーに眉を顰めた彼女が、惺山のお皿にそれを乗せながらこう言ったんだ。 「ゴーちゃんのご飯は美味しいのに…パパのご飯は美味しくないね?」 「あったり前田のクラッカーだよぉ?年季が違うんだぁ。僕は、プロだもん!兄ちゃんがお外で働く様になってから、お料理も、家事も、自然と覚えて…出来る様になって行ったんだよぉ。だから、僕は上手なの。でも…やって無かったら、きっと、何も出来なかったよぉ?」 クスクス笑った僕は、惺山のお皿の上に乗った薫ちゃんのブロッコリーをお箸で摘んで、美味しいソースを付けて、彼女の口に運んだ。 そして、首を傾げてこう言ったんだ。 「…美味しいよ?あ~んしてぇ?」 「んん…!」 口を歪めた薫ちゃんは、渋々唇を開いて…僕の差し出したブロッコリーをかじって食べた。 「あぁ…お帰り…イケね。イケね。」 そんな声と共に、惺山がピアノの部屋から出て来て、薫ちゃんの隣に座った。そして、両手を合わせて、いただきますをしたんだ。 僕は、そんな彼を見つめながらにっこり笑って、保育園の先生に言われた様に…彼女の素晴らしさを、惺山に教えてあげた。 「今日ねぇ、薫ちゃんが…褒められたんだぁ!ねぇ~?お友達を助けて、優しくしてあげたんだよね~?」 僕の言葉に目を丸くした彼は、薫ちゃんを覗き込みながら、オーバーにこう言ったんだ。 「わぁ~~!立派じゃないの!」 すると、彼女は顔を真っ赤にして顔を背けて、口を尖らせながらこう言った。 「ふぅんだ!」 「キャッキャッキャッキャ!」 そんな様子もとっても可愛くって…僕は、ほっぺたが痛くなるくらい笑っちゃった。 ご飯の後、薫ちゃんと一緒にお風呂に入って、髪を乾かしてあげた。 そして、お布団に入って、彼女が眠りにつくまで、トントンと、お腹を叩いて寝かしつけたんだ。 惺山に似てる…そして、きっと奥さんにも似てる…そんな薫ちゃんの寝顔を見つめたまま、そっと柔らかいほっぺを撫でて、おでこにキスをした。 どうか…この子が、一生…食べる物に困りません様に… そんな野暮ったいお願い事をしながら、キスを外した僕は、そっと…布団を出た。 「惺山…早くお風呂に入っちゃってねぇ…?」 ビールを片手に持ったまま、横になっている彼にそう声を掛けると、僕はそそくさと台所で、明日の朝ご飯の為の浅漬けを作った。 でも、一向に返事が無い彼の様子に、僕は首を傾げて、そっと…彼の顔を覗き込んでみたんだ。 そして、思わずクスクス笑っちゃった… だって、眠っちゃってるんだもん! 僕は、彼の体に乗っかって…かわいい寝顔をニヤニヤしながら眺めた。 そんな僕に気が付いたのか…惺山は、瞼を少しだけ開いて…黒目を僕に向けながら、口元を緩めて笑いかけてくれた。 そして、少しだけ掠れた声で、僕の名前を呼んでくれたんだ… 「…豪ちゃん。」 だから、僕は、彼の体の上で体を伸ばして…眠たそうに微睡む彼の唇に、チュッとキスをしたんだ。 「…なぁに?惺山…」 すると、彼は僕を自分の体の中にしまう様に引っ張り込んで、抱きしめてくれた。それは、温かくて…柔らかくて、大好きな彼の匂いがする…僕の特等席だ。 惺山は、何度も僕に優しいキスをくれた。そして…優しい声でこう言ったんだ。 「…俺は、ここで、待ってるからね…。」 だから、僕は彼の胸に顔を埋めて、両手でギュッと抱きしめて答えた。 「うん…うん…!」 もう、僕は…惺山と離れる事が怖くなくなったよ… 彼からモヤモヤが消えたからじゃない。 どんなに離れても、僕は…彼の元へ帰って来るんだって…分かったから。 だって、僕は…彼で、彼は、僕だから。 ふたりは、ひとつなんだ… 切っても切り離せない…光と影なんだ。 だから、怖がる必要なんて… 無いんだ。 #131 カチャカチャ… 「…あの天使のバイオリニスト…豪ちゃんは…私の…お友達です。こうして…たまに…違うな、頻繁に…やって来ては…子供たちに、バイオリンを聴かせてくれます。…と。うしし…!うししし…!」 俺はノートパソコンを見つめて、止まらない笑い声を上げながら、バイオリン教室”グランシャリオ”のホームページを更新していた。 そこには、今日、録画したばかりの…“もみじ”をバイオリンで弾くあの子と、それに合わせて歌を歌う子供たちの動画を乗せたんだ。 きっと、集客効果…話題性…半端ないぜ! ニヤニヤする顔をそのままにしてノートパソコンを閉じた俺は、電気を消して…寝室へと向かった。 そして、既に眠っているまもちゃんの体の上をわざと蹴飛ばしながら跨いで、彼の隣に寝転がって天井を見上げた。 そして、 「薫って、豪ちゃんのお母さんの名前を貰ってたって…知ってた…?」 こんな事を、グウグウ…と寝息を立てるまもちゃんに、ポツリと尋ねたんだ。 すると、彼はフゴッ!っと凄い音を立てて目を開いて、俺を両手で抱きしめながらこう答えた。 「…知ってたぁ!」 へえ… 「…まもちゃんは、俺の知らない所で…結構、何でも知っている様だね。」 俺は、眉を顰めて首を横に振りながらそう言った。すると、彼は俺の髪にキスをしてクスクス笑ったんだ。 「…豪ちゃんは、お母さんにクリソツなんだって…。髪を伸ばしたあの子は、多分…瓜二つになってる。ふふっ!惺山は…奥さんを愛したけど、結局…あの子も、愛し続けていた。だから、姫子に…薫って名前を付けて、愛したんだ。俺はそれを…非難も否定もしないよ…。彼らは、切っても切れない縁で結ばれてるんだ…。」 まもちゃんは眠たそうな声でそう言うと、俺をギュッと抱きしめたまま…スヤスヤと眠りに落ちて行った… なるほどね… 俺は、納得した様に天井を見つめたまま…コクリと頷いた。 そして、まもちゃんの暖かい体に抱き付いて…そっと、瞳を閉じた。 クーラーのガンガンについた寝室は、俺には寒いくらいなんだ… 次の日の朝… 「北斗…走りに行ってくるね…?」 まもちゃんの早朝ジョギングは、今も続いている。 凄いよね… 俺は、スポーツも運動も大っ嫌いだから…健康の為に始めたストレッチすら、三日坊主だ。そんな俺からすると、毎日変わらないルーティンをこなしてる彼は、ある意味尊敬に値するよ… ぐう… 二度寝の後…目覚まし時計で目を覚ました俺は、半開きの瞼をそのままにして…天井を眺めていた。 窓の外からは…いつもの様に…小鳥の鳴き声と、車の音が聴こえて来て、今日の始まりを教えてくれる。 こんな変わらない朝なのに…あの子は、行ってしまうんだ。 少しの寂しさを感じながら、もぞもぞと体を動かしてベッドから出ると、俺は、顔を洗いに洗面所へ向かった。 まもちゃんは既に着替えを済ませて…下のお店へと降りている様だ。 今日は、あの子が帰る日だから…きっと、何か美味しい物でもこさえてるんだ。 不思議だよね… まもちゃんは、豪ちゃんを孫の様に大事にして、惺山を弟の様に可愛がって、薫ちゃんも孫の様に愛してる。 こんなのまるで、愛情深いおじいちゃんみたいなのに、俺はそんな彼が…大好きなんだ。 温かくって…懐が深くって…惚れ惚れしちゃうんだ… そんな彼の傍に居るせいか、俺も自然と…彼の様に、愛情深くなっている気がするよ。 それは、お教室に通う子供たちを見守る胸の中や、惺山と豪ちゃんを見守る胸の中に、確実に反映されて…今までとは違う、慈しみなんて…そんな気持ちを抱かせてくれる。 「ふあぁ~~!おはよう…!」 大あくびをしながら店に降りて行くと、まもちゃんは…俺が思った通り、アイランドキッチンでせっせと何かを作っていた。 俺に気が付いた彼は、大きく開いた胸元を強調する様に胸を張って、キメ顔をしながら髪をかき上げてこう言って来たんだ… 「おぉ!北斗。おはよう…!今朝も、はぁ~~~!可愛いねぇ…!」 こんなの、いつもの挨拶の内だよ。 「まもちゃんこそ…今日も、朝からセクシーじゃないか…」 俺は、まもちゃんの開き過ぎな胸元に顔を埋めて、頬ずりしながらそう言った。 そして、彼の手元に置かれた鉄板と、その上に乗ったクッキーを見つめて、クスクス笑ったんだ。 「美味しそうだぁ…早く焼いて、俺に頂戴よ。」 そんな俺の言葉に気を良くしたまもちゃんは、手際よく、鉄板にクッキーを乗せ始めた。 そして…今では恒例となった、朝のコーヒーラッシュが始まるんだ… 「北斗!ブラックで!」 「はいはい…!」 俺は、朝のお客さんを捌きながら、テイクアウト用のカップにコーヒーを注いで行った。 元まもちゃんの店の常連さんたちは、グランシャリオが出来た後も、ご贔屓にしてくれている。朝のコーヒーを、うちで買って行ってくれるんだ。 だから、毎朝…まるで、あの店と同じ様に…俺を、こき使う声が絶えない! 「北斗ちゃぁん!僕には、ミルクだけ入れてぇ!」 「はいはい…!」 後藤さんも、もれなく…この店に流れ着いた一人だ。 結局…俺とまもちゃんは同じ事をやってる… でもね、良いよ。 …だって、俺も客商売が意外と嫌いじゃないみたいで、こんな慌ただしい朝が、気に入ってるんだ。 「北斗。ブラック2つ。」 「はいはい…」 「北斗!お砂糖モリモリで!」 「はいはい…」 そんな、声が飛び交う…まるで魚市場の様な店内に、通勤前の健太がやって来て、忙しく働くまもちゃんの肩を抱いて、こんな話を始めた。 「…うぉおい!まもちゃぁん!豪は、今日…帰るのかぁ…!」 この兄弟は…本当に、空気を読まないし、とことん剛田なんだ… …強引な健太のスキンシップに、まもちゃんは嬉しそうに鼻の下を伸ばして、瞳をキョロキョロとさせながら答えた… 「あ…うん。そうだよぉ。」 ここのパワーバランスはどうなってるんだ… そんな疑問すら、俺は感じなくなってる。 健太の兄貴キャラは、愛情深いおじいちゃんのまもちゃんを、あっという間に弟分に変えてしまうんだ。 媚びへつらうキモイまもるも…見慣れれば、可愛いもんさ。 そんな時、薫ちゃんを保育園に送った後の豪ちゃんが、店の前を通りがかったんだ。 体を屈めて店内を覗き込んだあの子は、俺と目が合うと、にっこりと笑って手を振りながら挨拶をして来た。 「ほっくぅん!サリュ~!」 「サリュ!」 「あっ!豪!豪~!待って~!」 健太は大声を上げて、他のお客さんの訝しがる視線を受けながら、あの子を追いかけて店を出て行ってしまった… すると、取り残されたまもちゃんは、健太に思ったよりも構って貰えなくて…少しだけ、しょんぼりと寂しそうな顔を見せたんだ。 ウケる… 朝のラッシュが止んだ頃…まもちゃんのお手製クッキーも、余熱を冷まして硬くなっていた。 彼は、まるで誰かの真似をする様に…可愛い柄の付いたナプキンに、いくつかのクッキーを乗せて一つにまとめて包んだ。 大きな手のひらに乗せて、満足げに見つめながらまもちゃんが言った。 「…この感じ、なんか、好きなんだよなぁ…」 んふふ…分かる… それは、手作りの焼き菓子を近所の人へお裾分けする時に、豪ちゃんがしていた事なんだ。 大量に焼かれたお菓子を、1個1個丁寧に包んでは、籠の中に入れて行く…そんなあの子の様子は、まるでおとぎ話の中みたいで…とっても、可愛かった。 「んふふ…!理久の分は、少ないんだよね…?」 俺は、クスクス笑ってまもちゃんの顔を覗き込んだ。 すると、彼もいっしょに笑いながらこう答えたんだ。 「そうそう…!病気になるから…だめぇん!って言って…理久先生の分は、少ないんだ。でも…あの、ロリコン爺さんは…目じりを下げちゃって、嬉しそうに手の中にお菓子を入れて書斎に行くんだよなぁ…」 「…理久は変わったよ。あんな風に感情を出す人じゃなかった…。でも、もしかしたら…あれが、本当の彼なのかもしれないって…最近、そう思う様になったんだ。」 俺はそう言って肩をすくめると、彼の手の中から小さな包みを取り上げて、中のクッキーをサクッとかじって食べた。 理久も…惺山や英二君と同じで、豪ちゃんと居ると…ありのままでいて良いんだって、安心するのかもしれないな。 大人だから、先生だから、年を取ってるから、そんな基準で…あの子は人を見ないんだ。 どんな音色を奏でるか…? それだけで、あの子は人の人となりを知る事が出来る。 そんなあの子を前にしたら、表面を取り繕う行為なんて…馬鹿らしくなるのさ。 「…ん、んまい!」 「はぁ…あのふたり組は、妙だな…!」 そんなまもちゃんの締めの言葉に、俺はケラケラ笑いながら彼の腕に抱き付いた。 「本当…その言葉に尽きる!」 恋人の様で…親子の様で、友達の様で…妙なふたり組なんだ! まもちゃんと一緒にそんな話に花を咲かせていると、豪ちゃんがヒョコっと顔を覗かせて、トコトコと店の中へと入って来た。 あぁ…もう、こんな時間だ… いつものだらしのないTシャツ姿じゃなく、演奏家の品を持った、上品な格好に着替えた豪ちゃんの後ろには、あの子の荷物を両手に持って、リュックを背負った惺山の姿があった… 「ふふ…!」 思わずクスクス笑った俺は、まもちゃんに体を寄せて小さい声で言った。 「見てくれよ。あの、仏頂面が…キャップを後ろに被ってる…!!」 すると、まもちゃんは、嬉しそうに瞳を細めてこう言った。 「…本当だ…。全く、似合わないな。」 豪ちゃんに被せられたのか…自分で被ったのかは定かじゃない… 仏頂面で、不愛想、愛嬌のひとつも無い馬鹿な男…森山惺山が、自分で豪ちゃんに贈ったキャップを、つばを後ろにして頭の上に乗せていたんだ…! この光景は…写真に納めたい… そして、ムカつく度に…彼にメールで送りつけてやりたい… そんな思いをじわじわと滲ませて惺山を見つめていると…奴は、俺の思いを察したのか…すぐに帽子を外して、手に持ち直した… …ちっ! 「ほっくぅん、僕は…先生の所へ戻るねぇ?」 豪ちゃんはそう言いながらトコトコ歩いて来ると、俺の目の前で止まって、丁寧なお辞儀をしたんだ。そして、凛々しい顔をして体を起こすと、澄ました顔をしてこう言った。 「僕を…助けてくれてありがとう。僕が、彼に会わない間…ずっと、彼と薫ちゃんを支えてくれてありがとう。なんとお礼を言ったら良いのか、分からないよ。お陰で…僕は、彼の元へ帰る事が出来ました…。このご恩は…一生忘れません。」 ほほ! 俺は、思わずにっこりと口端を上げた。 そして、あの子の細い体を抱き寄せて…両手で強く抱いて、こう言ったんだ。 「…俺は、お返しをしたまでだ。これで、やっと…チャラだ!」 すると、あの子は涙を目じりに湛えて…にっこりと笑った。 可愛い… 本当、この子のビジュアルは…最強だ! 「豪ちゃん…。はい、これ…持ってきな。」 まもちゃんはそう言うと、可愛いナプキンに包んだクッキーを豪ちゃんに手渡した。 「わぁ…!バターのいい香り!」 鼻をクンクンさせた豪ちゃんは、まもちゃんのクッキーを大事に両手で包み込んで、彼に体ごとぶつかって行った。そして、大きな体に抱きしめられながら、ケラケラ笑って言ったんだ。 「まもるのクッキー!大好き~~!」 「だっ!ちっ!違うだろぉ~?そこは、まもちゃん大好き~!だろぉ…?はぁ…やんなるね。やんなるよ…!」 まもちゃんはケラケラ笑いながらそう言った。そして、惺山を見つめて…にっこりと笑いかけたんだ。すると、そんなまもちゃんの笑顔に、惺山は照れくさそうに肩をすくめて微笑み返した。 …良かったな。森山惺山…。 この日が来る事をどれ程待った事か… お前は、やり遂げたじゃないか… 豪ちゃんを信じて、待つことが出来たじゃないか…! 「せいざぁん…!」 豪ちゃんは甘ったれた声を上げながら、両手の塞がった惺山に抱き付いて、スリスリと頬ずりを始めた… ほほ…! これが…豪ちゃんの、最上級の甘え方なのか…? そんな知的好奇心を満たした俺は、ベタベタといちゃつくふたりをジト目で見つめたまま、ニヤニヤと口だけ笑った… 「…豪ちゃん、そろそろ行こうか。」 俺の好奇の視線に気付いた惺山は、自分に抱き付いてうっとりと惚け始める豪ちゃんに優しくそう言った。 すると、あの子は、彼の襟足の髪を指先でクルンと弾いて、にっこりと笑って言ったんだ。 「はぁい…!唯一無二のバイオリニストに、なってきまぁす…!」 ふふ… 馬鹿だな。 もう、お前は…十分に、唯一無二のバイオリニストなんだ。 ベタベタと纏わりつく豪ちゃんと、そんなあの子に目じりを下げっ放しの惺山… ふたりが立ち去った店の中で、俺は、やっと、ホッと一安心して…込み上げてくる涙を、まもちゃんの胸に擦り付けた。 「…良かった…!!」 一言そう言って涙を流し続ける俺を、まもちゃんは何も言わずに…優しく抱きしめてくれた。 あの子が先か…俺が先だったのか… どちらともなく始まった…豪ちゃんと俺のカノンは、美しい余韻を残して終わった。 きっと…これからは、もっと、楽しい曲をあの子と紡いで行くんだ。 それは、ラプソディだったり…シンフォニーだったり、その時々で違う。 だって、永遠に続く曲なんて無いんだから。 一曲が終わると…次の曲が始まる。それは、当たり前の事で…当然の事なんだ。 だから、次の曲を弾きたいのなら、最後の最後まで…終止線の向こうの余韻までも…諦めずに、弾き続ける事が大切なんだ。 「さぁすが、俺の北斗は…やる時は、ビシッとやる男だ…!惚れ直したっ!」 俺は、そんなまもちゃんの言葉にケラケラ笑って涙を拭うと、彼を見上げてこう言った。 「さあ…!まもちゃん!俺のバイオリンを作っておいで!」 -- 「ん、せいざぁん…?」 「なぁに…?豪ちゃん。」 「今日…薫ちゃんが、ちょっとだけ泣いちゃったぁ…」 軽井沢駅へ向かう途中…僕は、彼の手を握りしめながらそう言った。 すると、惺山は僕の顔を覗き込んで首を傾げたんだ。 「…お別れが、寂しかったのかな…」 うん…多分。 それは、今日の朝、起きたばかりの、出来立てほやほやの記憶だぁ… 「ゴーちゃん、薫がやだって言っても…出て行くのぉ?」 家を出た瞬間から、薫ちゃんは…ずっとそんな事ばっかり聞いて来た。 「だってぇ…高額な損害賠償を請求されちゃうんだよぉ?」 だから、僕は、肩をすくめてそう答え続けたんだ。 バスを待っている間も、バスに乗っている時も…軽井沢駅に着いた後も…そんな薫ちゃんのおしゃべりは止まらなかった。 「…ん、やぁだぁ…!!」 そして、保育園の前で…とうとう彼女は泣き始めてしまったんだぁ… 「あわ…あわあわあわ…あわあわ…」 僕は両手を口に当てて、アワアワした… だって、泣いている女の子に、どうしてあげたら良いのか…分からなかったんだ。 そんな時… 僕は、思い出したんだ。 こんな時こそ…ジンギスカンダンスなんだって…! 「薫ちゃぁん!見てぇん!」 僕はそう言うと、泣きじゃくる薫ちゃんの目の前で、激しく体を動かしながら…ジンギスカンを歌って踊り始めた。 「はぁ~~~~?!」 すると、彼女は泣く事を止めて…口を開いて、僕を見つめ始めたんだ。 やっぱり! やっぱり、ジンギスカンは…凄いんだぁ! 自信を得た僕は、日が昇って照りつける中…他の子どもが登園する中…保育園の目の前で、激しくジンギスカンダンスを踊りまくったんだ。 「…も、恥ずかしいから、止めてぇ…!」 そんな薫ちゃんの言葉に…僕は、最後の最後まで抗って、踊り切ったんだ。 「はぁはぁ…はぁはぁ…行ってらっしゃい…」 やっと保育園に入る気になった薫ちゃんを連れて、僕は、息を切らしながら保育園の先生に薫ちゃんをお預けしたんだ。 すると、彼女は、顔を真っ赤にして怒りながら僕に言ったんだ… 「ん、もう…!ゴーちゃんの、ばっかぁん!」 「キャッキャッキャッキャ!可愛い~!」 薫ちゃんの怒った顔は、やっぱり可愛かった… そして、僕は怒った顔のまま手を振る薫ちゃんとお別れして、バスで家まで帰ったんだ。 そんな出来事を思い出しながら、僕は、俯きながら惺山の温かい手を揺らしてこう言った。 「…薫ちゃんが…お母さん居なくて寂しいって言ってたぁ。だから…あの子のお話を聞ける時に、ちゃんと聞いてあげてね…?それは、あなたから積極的にしてあげて欲しいんだぁ…。お願いだよぉ…?」 すると、彼は僕の髪にキスをして、何も言わずにコクリと頷いて答えてくれた。 彼は優しい人だから、僕は心配なんてしてないよ。 でも…薫ちゃんは我慢しいだから…待つだけじゃなくて、聞いてあげて欲しかったんだ。 「…僕はぁ、来年の2月になったら…また戻って来るからねぇ…?」 「分かった。待ってるよ…。くれぐれも…先生に、気を付けてね。」 新幹線の入り口の前に立った僕は、自分の荷物を惺山から受け取りながら、彼の顔を見上げた。 惺山…あなたと離れる事は、怖くない… 「…愛してるよ、惺山。」 彼を見つめたままそう呟くと、惺山は、僕を抱きしめて…何度も頬ずりしてくれた。 そして、優しいキスと一緒に、こんな言葉もくれたんだ。 「愛してる。豪…。ちゃんと、俺の所へ戻って来るんだよ。」 ふふぅ…! 戻る…戻って来る…惺山の元へ、戻る…! 僕はそんな彼の言葉に、ニッコリ笑って、彼に何度もキスをしながら言ったんだ。 「…はぁい!」 あったり前だぁ! …だって、僕は…惺山の、天使だもの! 僕たちは、長い回り道をして…再び再会した。 それは…出会った頃と同じ楽譜の上を、未だに演奏し続けているみたいだった。 僕と彼は…長い全休符が急に終わったみたいに、美しくて穏やかなハーモニーを、共に奏で始めたんだ。 こんな曲を僕は弾いた事が無いし…きっと、先生だって弾いた事が無いだろう。 もう…終わりなのかな…? そう思っていたのに…この楽譜には、全休符とフェルマータが大量に付いていたみたいだ。 そして…今。 終止線を越えたここで、やっと、終わるんだ。 彼は、5年前…僕の元から消える様に去って行った… そして、3年前…僕は、彼の愛を諦めた… なのに…今、僕は…目の前の、彼に…にっこりと笑いかけて、こんな言葉を伝える事が出来る。 「行ってきまぁす…惺山。すぐ、帰るよぉ…?」 そして、彼の寂しそうな笑顔と…こんな言葉を受け取る事が…出来る。 「…行ってらっしゃい。豪ちゃん。すぐに戻っておいで…家で、待ってるよ。」 あぁ… 「はぁい!」 にっこり笑って頷くと、ホロリと涙が飛んで弾けた。 これは…悲しいんじゃないんだ。 とっても…嬉しいからこぼれた涙なんだ。 そして、僕は…彼の元を出発して、先生の元へと帰って来た。 「せんせぇ~~い!」 すぐに分かった! だって…パリスを抱っこしてるんだもん! 空港の中…僕が手を振ると、先生は半泣きの顔をしながら走って来た!! 「ん…!こわぁい!」 そう思ったけど…僕は、果敢にも先生に向かって走って行くよ! だって…彼の事が…大好きなんだもん! 「豪ちゃん!」 パリスを頭の上に持ち上げた先生に、思いきり抱き付いた僕は、彼の胸にギュッと自分の顔を埋めながらこう言ったんだ。 「ただいまぁ!先生!僕…惺山と、会って来たぁ!」 そんな僕をパリスを持ちながら抱きしめた先生は…何度も僕の髪に頬ずりしてこう言った。 「お帰り!お帰り!あぁ~!お帰り~~!」 ふふっ! おっかしいの! 僕は、まだまだこの人の傍に居たいんだ。 …だって、まだ、唯一無二のバイオリニストにはなれていない気がするんだもの。 だから、僕が…もうそろそろ良いかなって思うまで、僕は先生と惺山を行ったり来たりしようと思ってる。 そして、いつの日か…再び、惺山の隣でバイオリンを弾く時が来たら、僕は…唯一無二の音色で、彼の望む様に…会場中のお客さんを楽しませてあげたい。 それに… 音楽は、音を楽しむもの。 そんな彼の言葉を、僕は、自分の言葉にしてみんなに伝えたいんだ。 もっと自由に、もっと楽しく、音を楽しもう? そして、誰かの笑顔が集まったら…きっと、素敵な音楽が出来るんだからっ!

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