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第14話
暗い月夜の埠頭。真っ暗な海がザアザアとさざ波の音を立てている。倉庫が立ち並ぶその暗がりに、二人の男の姿が有った。
一人はユンユンだ。先日街に行く時に着ていたのと同じ格好で、暗い海の方を見ている。もう一人は……縄でグルグル巻きにされて逆さ吊りになっていた。
「ひぃいいいい、た、助けてえぇええ」
そう叫んだ男はソウジだった。彼はクレーン車のクレーン部分に括りつけられ、海のほうにぶら下げられていた。暗いのに二人の姿が見えたのは、クレーン車の灯りのせいのようだった。
ユンユンは長い煙管のようなものをトントンと振りながら、「で? その10万円は何に使うつもりアルカ?」とソウジに尋ねる。
「しゅ、就職するんだってば! さっきも言ったろ⁉ スーツとかなんやかんやで結構使うんだよ! 面接受けないと話が始まらな、」
ソウジが話している途中で、ユンユンが指をパチンと鳴らす。そうすると、クレーンが下がり始めた。ソウジは頭から海面に向かって落ちていく。
「ひぃいいいいいいいッ!」
悲鳴を上げていたソウジは、海面スレスレのところで止められ、また引き上げられた。ガクガクブルブルと震えているソウジに、ユンユンは煙管をヒタヒタと押し付けながら言う。
「次は鼻まで浸けるヨ?」
「ひぃいいっ、ホント! ホントなんです! 信じてくださいぃいい!」
「ホントアルカァ? 誠意が感じられんアルナァ? そうやってこれまでどれだけウソをついてきたか、わからんアルからナア?」
「ホントに! ホントです! 本気なんですッ! ちゃんとした会社で、あのッ! 調べてくれたらわかるんで! ホント!!」
ソウジが必死に会社名や代表の名前を喋った。その言葉にユンユンが後ろを振り返る。すると、どこからともなく黒服にサングラスの男たちが駆け付け、ヒソヒソと耳打ちをした。それを聞いて、ユンユンは頷きながらソウジに言った。
「オマエ、騙されてるアルナ」
「エッ⁉」
「馬鹿なヒトを安く雇って、ネズミのように働かせ、使い古した猫じゃらしのように捨てる連中アル。最悪オマエが前科者になって終わりアルナァ~。10万円返すどころか人生ドブに捨てることになったネェ」
「そ、そんな、そんなぁ……!」
オレ、オレ本当に今度こそやり直さなきゃってぇ。ソウジが泣き始めると、ユンユンは「フゥン?」と首を傾げた。
「オマエ、やり直す気があるのカ?」
「あ、有るっ、有ります! もうこのままじゃいけないって決めたんです! 借りた金だって絶対に返したい、トウマはオレの親友だから……ッ! なのに、こんな、騙された挙句中国マフィアに殺されるなんて……」
うえぇええええ、と声を上げて子供のように泣き始めたソウジ。それを尻目に、ユンユンは黒服の男に何事か囁いた。黒服の男が何処かに電話をして、大きく頷いて見せると、ユンユンはソウジにニッコリと微笑む。
「いいコトを思いついたアル。オマエ、ワタクシの店で働かんアルカ?」
「そ、ソウジ、ダメだそれ、ダメな流れだっ!」
トウマは飛び起きかけて、それで「ぐあああああ」っとまたベッドシーツに沈み込んだ。全身が痛い。特に両腕から肩、背中に腹筋、ああやっぱり全身がとんでもなく痛い。プルプルしながら辺りを見渡すと、真っ暗なそこは夜の埠頭などではなく自分の部屋のようだ。
ハァハァ呼吸をしていると、ナァン、とユンユンが後頭部に擦り寄って来た。ぐりぐり額を押し付けられている気がする。それで、夢か……と安心する。きっと「オシオキ」が激しすぎたのと、ソウジが心配だったからあんな夢を見たのだろう。
「……ユンユン、心配かけてごめんな……」
そう言うと、ザリザリ首筋を舐められた。そういえば首輪も外れているし、寝間着も着せられている。痕になってなきゃいいけど……と思いつつも、身動きを取る気がしない。そう考えたのがわかったのか、ユンユンはぴょいとトウマの上を跳んで、どすんと正面に降り立つ。すりすりとトウマの手のひらの中に頭を押し込んできたから、それを撫でてやった。
こういうところはとても甘えん坊の猫だ。トウマにはどうも、ユンユンのことがよくわからない。そういえば、これまで一度もキスもされていないし、挿入もされていない。猫である彼にとって、人間はそういう対象ではない、ということなのだろうか。
ゴロゴロと喉を鳴らすユンユンのことを、世界一かわいいうちの猫だと思う。同時に彼のことがよくわからない。どんな生い立ちで、これまでどう生きて来たのか。何故トウマを選んで、こうして一緒にいてくれるのか。一度ゆっくり話をしてみたいけれど、色々聞いたとしても、いつもの調子ではぐらかされるだけのような気もする。
ただ、今回ユンユンは本気で怒っていた。それはわかる。だから、トウマのことを本当に思ってくれているのだ。たぶん『にゅ~る』のことを恨んでいただけではないと思う。たぶん。
とりあえず、ユンユンをモチーフにした小説、結構ダークヒーローにしたら面白そうだなあ、とぼんやり考えながら、トウマはまた眠りに落ちていった。
「トウマ! コレ!」
それからしばらくして。ソウジが部屋にやって来るなり、すぐに封筒を差し出してきた。中を見ると、いくらかのお札が入っているようだ。
「ソウジ、」
「これまですごい迷惑かけたけど! ようやく返済できそうだよ! 全額は時間がかかっちまうけど……必ず、少しずつ返すから……」
「お前……!」
トウマは目頭が熱くなった。正直に言えば、ソウジが金を返すようなことは無いだろうと思っていたのだ。髪まで黒く染め直したソウジが、照れ臭そうにしているのを見て、心から「良かったなあ」と呟く。
「その、言ってた仕事、上手くいったのか?」
ベッドに腰掛けたソウジに、お茶や菓子を持って行きながら問う。今日はユンユンはまだ怒っていないのか、ソウジからは少し離れた床に丸くなって寝ているようだった。
「いやそれが」
ソウジはお茶を一口飲んで語る。
「中国マフィアみたいなのに絡まれて」
そこまで聞いたところでトウマはお茶を噴き出しそうになった。んぐ、と耐えてソウジを見ると、頭を掻いている。
「いや~、死ぬかと思ったけど、そのマフィアみたいなやつが良い人でさ、なんかよくわかんねえけど、銀行の雑用係みたいなのに斡旋してくれて」
「銀行」
「あんなマトモな仕事に就けるなんて思ってなかったからさ! オレ、人生やり直すつもりで頑張ってるんだ。そしたら職場の人にも優しくしてもらえてさあ……ホント、あれから何もかも上手くいってて夢みたいだよ」
トウマはチラリとユンユンに視線を移した。彼は、大きな欠伸をしただけで、特に何の反応もしなかった。
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