1 / 6

第1話

     プロローグ 「ねえ、きょうもねるときに、あのおはなししてね」  四歳のリオン・アウレールは、揺り椅子で編み物をしている祖母にねだった。 「またいつもの、森の野獣族と魔獣族の話かい? リオンは本当にあの話が好きだねえ」  祖母が優しい口調で答えると、母のカタリナがちょっと眉間にシワを寄せた。 「リオン、おばあちゃんがお疲れになるからだめよ」 「ああ、私ならかまわないよ。可愛いリオンのお願いだからね」 「すみません、おばあちゃん。じゃあリオン、せっかくお話してもらうなら違うお話にしなさい」 「どうして?」  リオンは黒い瞳を見開いて、渋い表情の母にあどけなく訊ねた。 「ぼく、あのおはなしすきだもん」 「でも、野蛮な獣人たちの昔話なんて……」  カタリナはあからさまに嫌そうな顔をする。 「いいじゃないのカタリナ。リオンが聞きたがっているんだから。じゃあ、ベッドに行こうかね」  祖母はリオンのさらさらとした亜麻色の髪を撫で、杖をついて立ち上がる。リオンはカタリナにおやすみなさいのキスをして、わくわくしながら寝室へと入った。  簡素な、小さな家だ。台所兼食堂の他には、子どもたちと両親の寝室、祖母の寝室の三部屋しかない。  決して裕福とは言えないが、リオンはここ、クラフの村で家族とともに幸せに暮らしていた。  クラフの村は、かつて、野獣族が治めていた森の国と隣り合わせているが、森の国が滅んだ今も、そのずっと昔も、人がその森に立ち入ることはなかった。  人々は、気が遠くなるほどの昔から、身体に毛が生え、鋭い爪をもった野獣族を野蛮で忌まわしいと毛嫌いしている。森の国を滅ぼした、不気味なコウモリの姿をした魔獣族は言うまでもない。  リオンはベッドに潜り込んで、毛布からちょこんと顔を覗かせた。隣のベッドでは妹のジェインが眠っているので、祖母は囁くような声で昔語りを始めた。 「昔むかし、この世界の創世主さまは、人、野獣、魔獣族をお造りになった。そして、人の国は人間に、森の国は野獣族に治めさせた。だが、魔獣族は良き魔術を使わずに、悪しき魔術で世に混乱ばかり起こしていた。だから、創世主さまは、魔獣族に領地を与えなかった」 「どうして、まじゅうぞくはわるいまじゅつばかりつかったの? もりのやじゅうさんとは、なかよしになれなかったの?」 「さあ、それはわからないねえ」  リオンはいつも同じことを訊ね、祖母も同じことを答える。そして昔語りは水が流れるように淀みなく続く。 「野獣族には、犬や狼、狐などの獣人がいるが、獅子の王が皆を治めていた。彼らが住む森は、大きな木が何本もまっすぐにそびえ、青々として美しかった。彼らは森に住む動物たちを守って、穏やかに暮らしていたらしい。片や人は、野獣族や魔獣のことを嫌い抜いていた。自分たちと姿かたちが違うために、人の方が立派だと思っていたのさ。でも、森の野獣たちは人と仲良くしたがっていた。一緒に魔獣族に立ち向かいたいと思っていたのさ。一方で、魔獣族は人の国の土地が欲しかったから、何かと人の国にちょっかいをかけてくる。そして森の野獣たちに、ともに手を組んで人の国を滅ぼそうともちかけた」 「でも、もりのやじゅうさんはことわったんだよね」  寝る前だというのに、リオンは目をきらきらさせる。 「やじゅうさんたちはえらいなあ。だから、ひとのくには、まじゅうぞくにおそわれなかったんだよね」 「ああ……そうだね」 「それなのに、ひとはどうして、もりのやじゅうさんたちがきらいなのかな」  リオンの無邪気な疑問に曖昧に微笑、祖母は話を結ぶ。 「それでついに魔獣族は怒って森の国に戦いをしかけた。森の野獣たちも懸命に戦って、最後は結局、両方とも滅んでしまったのさ。しかも、魔獣族は死の間際に、野獣族が復活しないようにと、二重、三重にも呪いをかけたらしい。それで野獣族は復活せず、あの森は荒れ果てたまま……この世には人の国だけが残ったのさ」 「ほんとうに、もりのやじゅうも、まじゅうも、だれものこっていないの?」 「残っていないと言われているね」 「じゃあ、のろいってなに? ほんとうにだれにもとけないのかな?」 「さあね……リオン、これでお話はおしまいだよ」  祖母の手に髪を撫でられながら、リオンは目を閉じる。 (ほんとうに、だれものこって……いないのかな……やじゅうぞくの、のろいは、とけないのかな……)  眠りの国の入り口で、リオンはふわふわと思いを巡らせる。 (のこってたら……ひとのくにを、まもってくれて、ありがとうって……いいたいな)  どうしてこのおはなしがすきなのか、ぼくにはわからない。ほんとうに、なぜだかわからないけれど……。  そんなことをうつらうつらと考えながら、可愛い口元を結んでリオンはまどろむ。  祖母はそっと呟いた。 「早いものだ。もうすぐこの子も五歳になるんだね」  そして、彼女は窓の向こう、空の星に向かって祈りを捧げる。  この子の五歳の誕生日、どうか何事もありませんようにと――。

ともだちにシェアしよう!