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第1話
プロローグ
「ねえ、きょうもねるときに、あのおはなししてね」
四歳のリオン・アウレールは、揺り椅子で編み物をしている祖母にねだった。
「またいつもの、森の野獣族と魔獣族の話かい? リオンは本当にあの話が好きだねえ」
祖母が優しい口調で答えると、母のカタリナがちょっと眉間にシワを寄せた。
「リオン、おばあちゃんがお疲れになるからだめよ」
「ああ、私ならかまわないよ。可愛いリオンのお願いだからね」
「すみません、おばあちゃん。じゃあリオン、せっかくお話してもらうなら違うお話にしなさい」
「どうして?」
リオンは黒い瞳を見開いて、渋い表情の母にあどけなく訊ねた。
「ぼく、あのおはなしすきだもん」
「でも、野蛮な獣人たちの昔話なんて……」
カタリナはあからさまに嫌そうな顔をする。
「いいじゃないのカタリナ。リオンが聞きたがっているんだから。じゃあ、ベッドに行こうかね」
祖母はリオンのさらさらとした亜麻色の髪を撫で、杖をついて立ち上がる。リオンはカタリナにおやすみなさいのキスをして、わくわくしながら寝室へと入った。
簡素な、小さな家だ。台所兼食堂の他には、子どもたちと両親の寝室、祖母の寝室の三部屋しかない。
決して裕福とは言えないが、リオンはここ、クラフの村で家族とともに幸せに暮らしていた。
クラフの村は、かつて、野獣族が治めていた森の国と隣り合わせているが、森の国が滅んだ今も、そのずっと昔も、人がその森に立ち入ることはなかった。
人々は、気が遠くなるほどの昔から、身体に毛が生え、鋭い爪をもった野獣族を野蛮で忌まわしいと毛嫌いしている。森の国を滅ぼした、不気味なコウモリの姿をした魔獣族は言うまでもない。
リオンはベッドに潜り込んで、毛布からちょこんと顔を覗かせた。隣のベッドでは妹のジェインが眠っているので、祖母は囁くような声で昔語りを始めた。
「昔むかし、この世界の創世主さまは、人、野獣、魔獣族をお造りになった。そして、人の国は人間に、森の国は野獣族に治めさせた。だが、魔獣族は良き魔術を使わずに、悪しき魔術で世に混乱ばかり起こしていた。だから、創世主さまは、魔獣族に領地を与えなかった」
「どうして、まじゅうぞくはわるいまじゅつばかりつかったの? もりのやじゅうさんとは、なかよしになれなかったの?」
「さあ、それはわからないねえ」
リオンはいつも同じことを訊ね、祖母も同じことを答える。そして昔語りは水が流れるように淀みなく続く。
「野獣族には、犬や狼、狐などの獣人がいるが、獅子の王が皆を治めていた。彼らが住む森は、大きな木が何本もまっすぐにそびえ、青々として美しかった。彼らは森に住む動物たちを守って、穏やかに暮らしていたらしい。片や人は、野獣族や魔獣のことを嫌い抜いていた。自分たちと姿かたちが違うために、人の方が立派だと思っていたのさ。でも、森の野獣たちは人と仲良くしたがっていた。一緒に魔獣族に立ち向かいたいと思っていたのさ。一方で、魔獣族は人の国の土地が欲しかったから、何かと人の国にちょっかいをかけてくる。そして森の野獣たちに、ともに手を組んで人の国を滅ぼそうともちかけた」
「でも、もりのやじゅうさんはことわったんだよね」
寝る前だというのに、リオンは目をきらきらさせる。
「やじゅうさんたちはえらいなあ。だから、ひとのくには、まじゅうぞくにおそわれなかったんだよね」
「ああ……そうだね」
「それなのに、ひとはどうして、もりのやじゅうさんたちがきらいなのかな」
リオンの無邪気な疑問に曖昧に微笑、祖母は話を結ぶ。
「それでついに魔獣族は怒って森の国に戦いをしかけた。森の野獣たちも懸命に戦って、最後は結局、両方とも滅んでしまったのさ。しかも、魔獣族は死の間際に、野獣族が復活しないようにと、二重、三重にも呪いをかけたらしい。それで野獣族は復活せず、あの森は荒れ果てたまま……この世には人の国だけが残ったのさ」
「ほんとうに、もりのやじゅうも、まじゅうも、だれものこっていないの?」
「残っていないと言われているね」
「じゃあ、のろいってなに? ほんとうにだれにもとけないのかな?」
「さあね……リオン、これでお話はおしまいだよ」
祖母の手に髪を撫でられながら、リオンは目を閉じる。
(ほんとうに、だれものこって……いないのかな……やじゅうぞくの、のろいは、とけないのかな……)
眠りの国の入り口で、リオンはふわふわと思いを巡らせる。
(のこってたら……ひとのくにを、まもってくれて、ありがとうって……いいたいな)
どうしてこのおはなしがすきなのか、ぼくにはわからない。ほんとうに、なぜだかわからないけれど……。
そんなことをうつらうつらと考えながら、可愛い口元を結んでリオンはまどろむ。
祖母はそっと呟いた。
「早いものだ。もうすぐこの子も五歳になるんだね」
そして、彼女は窓の向こう、空の星に向かって祈りを捧げる。
この子の五歳の誕生日、どうか何事もありませんようにと――。
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