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3-3 校内お姫様抱っこ運搬羞恥刑
須崎が動きを止めた隙に、オレは自らの腕を奪取した。素早くリストバンドを元の位置に戻し、手首の縄痕を覆い隠す。息が荒くなる。背筋が冷えた。
――み、見られた? 須崎に。
顔を窺う。須崎はまだ目を丸くして硬直していた。ぜ、絶対見られてんじゃん! これ!
「トキ! 大丈夫か!?」
内心悲鳴を上げるオレに、タカが心配して問い掛けた。今しがた須崎に掴まれた腕を確認しようと、オレの手に伸ばされるタカの手。しかし、それが触れる前に、その場に通りすがりの教師の怒声が割り込んできた。
「何を揉めている! ケンカか!?」
「やべ、須崎さん、行きましょ!」
「っタカ! 行くぞ!」
呆然と佇む須崎を、取り巻き達が促して連れ去る。オレもこれ幸いとタカの腕を逆に掴んで駆け出した。そのまま校庭に降りると、すぐに四限の始業時間が訪れ、リストバンドの話はなし崩し的に流れた。
良かった、タカにまで余計なものを見られずには済んだ。けど、須崎には確実に見られちまった。手首の、縄痕。――どうする。どう出てくる。
不安を抱えたまま体育の授業は進んでいき、(いつもなら張り切って参加してたハンドボール……今日は全く身が入らなかった)授業終了の合図と共に教室に戻る面々の中、須崎が動いた。横を通り過ぎ様、オレにだけ聞こえる音量で、伝言を落とす。
「昼休み、実習棟三階の男子トイレに一人で来い」
「!?」
思わず須崎の方を振り向きそうになって、堪えた。近くに居るタカに、勘付かれてはいけない。努めて平静を装うが、鼓動はやたらに速いし、息も浅くなる。ザーッと血の気も引いて、一気に気分が悪くなってきた。
「どうした? トキ……顔色が悪いぞ」
「あー……っと、連日の夜更かし後の体育って、やっぱしんどいな。思った以上に疲れたみてえ」
苦笑して返す。またタカに心配掛けちまった。
「大丈夫か? 保健室で休むか? それとも早退するか?」
「そこまでは酷くねえよ。……あ、でも行くかな、保健室。昼休みの間だけ寝とく」
「付き添う」
「いや、タカは昼飯ちゃんと食えよ。あと、出来れば一人にしてくれた方がよく眠れる」
こういう言い方は我ながら卑怯だ。タカは言葉を詰まらせた後、渋々了承してくれた。それならせめてと、保健室まで送って行くという。それに同意した次の瞬間、ふわりと身体が宙に浮いた。
「ぅおっ!?」
タカがオレを抱え上げたのだと、その腕に横抱きにされてから知る。
「お、おいタカ! 大げさだって、これは!」
皆見てんじゃん!! 恥ず!!
「大げさじゃない。トキは具合が悪いんだから、歩く必要は無い」
「い、いや大丈夫だって! 歩くくらい!」
「――花鏡、どうかしたのか?」
九重だ。騒ぐオレに気が付いて、優等生モードの気遣わしげな表情で寄ってくる。
「え、えっと……ちょっと具合が悪くなったから、保健室に行こうって」
「それなら、学級委員の僕が運ぼうか」
そうだ、九重は生徒会長な上に、学級委員長でもあった。でも、この場合名乗り出るなら普通保健委員じゃね?
オレを受け取ろうと差し出された九重の手を、タカはすっぱりと断った。
「いい、俺が運ぶ」
直後、ピリつく空気。九重の瞳の奥に、例の凶暴な光が浮かんだ。うわぁ、これ……怒ってね?
しかし、タカも負けてない。毅然とした態度で、九重を睨むでもなく生真面目な眼差しで見据えて制す。優等生モードの九重は、それ以上強くは出られない。
「そっか……。何かあったら、すぐに僕にも知らせて欲しい。きっと、力になるから」
言葉だけは優しい。けど、大概お前のせいだぞコラ。九重の裏表のギャップに最早脱力しつつ、色々諦めたオレは、抗わずにタカにお姫様抱っこをされたまま保健室まで運ばれた。……道行く通行人の教師、生徒達にガン見されて、かなりの羞恥刑だった……。
到着後、ベッドに横になったオレを、タカは心配そうに見下ろして手を握ったまま、なかなか立ち去ろうとしない。オレは苦笑して告げた。
「タカ、そんな顔するなよ。大丈夫だって。ちょっと休んだらすぐ元気になっから。もう行っていいぞ」
「……トキ。昨日からお前の様子がおかしかったの……本当はずっと具合が悪かったんだな。すぐに気付いてやれなくて、済まない……」
おっと、そういう風に解釈したのか。しゅんと萎れたタカの様子に罪悪感を抱きつつも、少し助かったと思ってしまう自分が居たりして……ちょっと自己嫌悪。
「タカが謝ることなんて、何もないだろ。オレが自己管理出来てなかっただけだし」
「そうじゃない。お前はいつも無理ばかりするから……俺がちゃんと見てなきゃいけなかったのに」
タカ……。
「あのさ、そんな風にタカが気負う必要、ないんだぞ? タカはオレがガキの頃に誘拐された時のことでずっと自分を責めてるみたいだけど、タカが責任感じることなんて、何もないんだ。タカはもっと、自由に生きていい」
「――違う」
存外強い口調が返ってきた。キョトンと見上げると、タカの栗色の瞳には真摯で強固な意志が宿っていた。
「責任とかじゃない。俺が、自分でこうしたいからしている。これが俺の自由意思だ」
そう言われてしまうと、反論も何も出来ない。言葉を失うオレに、タカは静かに続けた。
「俺は……お前に助けられたんだ。だから、お前のことは俺が助けるって、決めてるんだ」
「オレが? タカを助けた?」
タカは深く頷いてみせた。それは初耳だ。何の話だ?
「俺の肌……生まれつき浅黒いだろ。日本人なのに。だから、子供の頃周りからは〝ばっちぃ〟とか〝風見菌〟だとか言われて避けられてた時期、あっただろ」
「ああ……あった、な」
思い出した。それは小学生になりたての頃。幼稚園の頃はそんなこともなかったのに、そのくらいの年齢になると急に他者との違いを意識し始めるのか、タカの肌の色のことで一部ではそうした差別が起こった。
タカはどちらかというと寡黙で、言い返したりしないタイプだったから、余計にそれで周りが調子に乗って、いじめみたいになったんだ。
「皆が俺を馬鹿にして避ける中……お前だけが違った。お前だけが俺に、触れてくれた」
――『タカは汚くなんかねーよ! 肌の色は生まれつきだ! キレイでカッコイイ色じゃんか! そんなことも分からないなんて、お前らはまだまだ子どもだな!!』
「そうやって、クラスの奴らを叱り飛ばしてたよな、お前」
「あー……そうだったな」
なんか、ちょっと恥ずいな。そりゃ小学生低学年だし、皆子どもだろ。子どもに子どもっつってもな……。
「――俺は、嬉しかった」
ハッとした。見上げたタカの栗色の瞳は、穏やかで至極優しく、オレを映していた。
「嬉しかったんだ。だから、今度は俺がトキを助けようと思った。俺が辛い時、いつでもお前が傍に居てくれたように……俺もずっと、お前の傍に居る」
「っ……」
真正直で、ひたむきな言葉。正面切ってそんな風に言われたら、胸を打たれない訳がない。顔が熱くなる。オレきっと、今赤い。
「そ……そ、か。んと……ありがとな、いつも」
なんて返せばいいのか、分かんねえ。思わず目を伏せて、照れ隠しに視線から逃げてしまう。タカは……そんな風にオレのこと、想ってくれてたのか。
――なのに、オレは。
ずきりと、胸が痛んだ。こんなに真っ直ぐにオレのことを想ってくれているタカに、オレは秘密を抱えて、嘘ばかり吐いている。
――ごめん。ごめん、タカ。
でもオレ、お前のことだけは……絶対に守るから。
「それじゃあ、行くな。ゆっくり休めよ。何かあったら、遠慮なく連絡しろ」
「……ん」
最後に、ぽんぽんとオレの頭を撫でて、タカは保健室を出て行った。
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