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4-2 駅ナカ、痴漢チェイス!!

「おい、何してんだよ!?」  思わず声が出た。悪いことしてる自覚はあるようで、痴漢リーマンが弾かれたようにこちらを見た。同時に、そいつに触られていた被害者の子も、驚いたような表情で振り向き――目が合った。息を呑む。めちゃくちゃ可愛い子だった。  襟足だけが外側に跳ねたミルクティーベージュの長めのショートカット。白磁のような白い肌。同色の瞳は大きく黒目がちで長い睫毛を冠し、小さな鼻、小さな口唇と、パーツの位置も全て完璧に整っている。  童顔だが甘くなり過ぎず何処か艶っぽさもある、可愛い中に綺麗さも内包された、贅沢な出来映えの紛うことなき美少女……! 「な、何だいきなり!」  痴漢リーマンが上げた不服の声で、ハッとしてそちらに意識を引き戻された。  コノヤロー……こんな可憐な子になんてことを! 「何だじゃねーよ! 触ってただろうが!」  途端に、車内がざわめきに包まれた。「えー? なになに? 痴漢?」女子高生のそんな声が聞こえ、当事者のリーマンは見る間に青くなっていく。 「い、言いがかりも大概にしろ!」 「言いがかりじゃねーし! その手にしっかり証拠が残ってんじゃねーのか!?」  直後、電車はタイミング悪く次の駅に到着を果たした。扉のすぐ近くに居た痴漢リーマンは、これ幸いと開扉と同時にホームに飛び出す。 「待て!!」  反射的にその後を追った。背に九重の制止の声が掛かったが、それもガン無視で駆ける。リーマンは次々に通行人を強引に押しのけて進んだ。皮肉にもそれが道となり、オレの足も次第に加速していく。  あともう少し……!  手が届きそうな距離にまで詰めたかと思いきや、地上に上がる階段に差し掛かった時、前を下っていた女性に痴漢リーマンが思い切り乱暴に体当たりした。短く悲鳴を上げて、女性が体勢を崩す。 「危ない!」  落下しそうになった彼女の身体を、咄嗟に両腕で受け止めて支えた。 「大丈夫ですか!?」 「は、はい……」  女性は茫然自失の(てい)だったが、とりあえず怪我なんかはしていなさそうだったので、安堵の息を吐く。それから、思い出したように階段上に目を向けるも、リーマンの姿は既に見当たらず。女性に「ごめん」と一言掛けてから階段を登りきると、地上に目を凝らした。  だけど、外は都会の真っ只中。特徴の薄いスーツのサラリーマンなんかは、街の雑踏に飲まれてもう判別がつかなくなってしまっていた。――完全に見失った。 「くそっ!」  一人悪態をついていると、階下から九重の呼ぶ声がした。 「花鏡、足速いなお前。急にどうした」  後から追ってきていたらしい、九重は少し息を切らせて、困惑の表情を浮かべていた。 「痴漢だよ。取り逃しちまった」 「何? ……いつ触られた?」  オレの説明に、スッと九重の声から音域と温度が下がる。背筋がピリつくような物騒な空気――オレは慌てて手を左右に振った。 「いや、オレじゃねーよ!? 女の子だよ!! 同じ宵櫻(よいえい)の子っぽかったけど」 「なんだ、ならどうでもいいな」 「いや、良くはねーだろ……」  九重から不穏な気配が消え去ってホッとしつつ、そのあからさまな態度にオレはまたも脱力を誘われたのだった。    ◆◇◆  その後、「相手がもし逆上して何かしてきてたらどうするつもりだったんだ」だの「何も無かったから良かったものを、お前はもう少し後先考えて行動しろ」だのの、九重からのありがた~い(イヤミ)お小言を頂きつつ、何とか無事に学校に辿り着いた。  元々迷う可能性も考慮して早めに家を出ていたので、時間的には問題無かった。  でも、くっそー、あの痴漢ヤロー取り逃しちまったの、悔しーな。被害者の子も放ってきちまったけど……あの後大丈夫だったかな。  苦い気分で下駄箱に向かうと、そこで須崎(&取り巻きーズ)とバッタリ遭遇した。 「お、須崎! はよ!」 「何だ花鏡、須崎さんはおめーとなんか話さねーよ!」 「そうだ、馴れ馴れしいぞ、花鏡!」  取り巻きーズが囃し立てる中、須崎は小さく首肯して、「おう」と挨拶を返してくれた。それに対して取り巻きーズは数秒間絶句した後、阿鼻叫喚の悲鳴を上げた。 「須崎さんっ!? 何でこんな奴に挨拶なんか!?」 「な、何かあったんスか!?」 「オレ達、昨日ダチになったんだよ」 「なー?」と誇らしげに胸を張って須崎に笑み掛けると、須崎はオレの顔をじっと見据え、それから目を(しばたた)いた末に、ゴシゴシと擦り始めた。 「? どうした? 目にゴミでも入ったか?」 「いや……何か……疲れ目かもしんねぇ。やたらに花鏡が……」 「オレがどうした?」  じっと窺うように見上げると、須崎は瞬間、うっ、と言葉を詰まらせ、オレの顔をがしりと手で覆ってきた。 「うわ!? 何だよ、須崎!!」 「う、うっせぇ!! あんま見んな!!」 「何でだよ!?」  オレ達、昨日仲良くなったじゃん!? なのに、その態度無くね!?  若干ショックを受けていると、突如横合いから腕を引かれて須崎の手から脱した。見ると、少しタイミングをズラして来ていた九重だった。 「こ……っ!」 「花鏡、少し話があるんだけど」 「いいかな?」なんて訊きつつ、全く有無を言わせぬ姿勢だ。須崎達一行が呆気に取られた様子でこちらに視線を送る中、オレは優等生モードの胡乱な笑みを貼り付けた九重に角まで引きずられていった。 「な、何だよ九重っ」  人目を気にして、小声で問う。九重はオレを逃がさないように両サイドから壁に手を着いて、低い声で問い返してきた。 「お前、須崎と何があった?」 「何って……昨日メールで伝えたろ? 須崎の妹さんを病院に送るって」 「それだけじゃないだろ。何した?」 「は? いや、別に何も……」  何だよ、九重の奴。何で急に機嫌悪くなってんだよ。何が訊きたいんだ?  オレが気圧されていると、九重は横を向いて深く長い溜め息を吐いた。 「……大体お前、アイツとは仲悪かった筈だろ? 完全にノーマークだったぞ、あんな奴」 「マーク? そりゃだって……困ってる時はお互い様だろ? とにかく、こんな風に話してたら怪しまれんぞ。教室行こうぜ」  何処の生徒会長様が役員を壁ドンする必要があんだよ。九重の包囲網をやんわり解いて、オレは教室の方へと向かった。その途中、今度は勢い良く廊下に飛び出してきたタカと出会した。随分慌てた様子に、こちらも驚く。 「タカ!? どうし」 「トキ!!」  ぅおっ!? 皆まで問う前に、いきなりタカに抱き締められた。強い力。固い抱擁。傍らで九重の顔が引き攣るのが見えた。 「な、なんだ!? どうした、タカ!?」 「トキお前、大丈夫だったか!?」 「は!? 何が!?」  困惑を(あらわ)に腕の中であわあわしていると、タカは少し身を離してオレを見つめた。その形相のあまりの必死さに、固唾を飲む。  果たしてタカは、とんでもない爆弾発言を繰り出してきた。 「お前が痴漢に遭ったって……同じ電車で見た人が居るって、噂になってるぞ!」  ――は? 「はぁあああああっ!?」  オレの渾身の叫びは、その日、校舎中を震わせた。

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