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4-3 あらぬ噂、広がる。
「トキ~、痴漢されたって、マジ~?」
「かわいそう、大丈夫~?」
廊下を行く顔見知りの女の子達が心配そうに声を掛けてくる。オレはその度「あ、ああ」なんて歯切れ悪く苦笑を返した。
それはまだいい。酷いのは一部の男子だ。
「花鏡、お前男にケツ触られたんだって~?」
「どうだった? 感じちゃった~?」
などと野卑な言葉と笑いを掛けられたりして、何とも頭が痛い。大概は九重の絶対零度の笑みとタカの無言の睨みの圧力と、須崎の「んだコラ!! てめーら、ぶっ飛ばされてーか!?」という直接的な脅し文句で彼らも黙らされることになるが。いや本当……どうして、こうなった。
とりあえず、本当に相手を殴りそうな勢いで掴み掛かっている須崎を止めに入る。
「落ち着け、須崎。オレは大丈夫だ」
「大丈夫じゃねーだろ!? こんなこと言わせといていい訳ねー!!」
「須崎は優しいな。さんきゅ。お前が代わりに怒ってくれたから、オレはそれで充分だよ」
笑み掛ける。すると須崎は胸元を押さえてよろめいた。
「お、おい! 大丈夫か!?」
何だどうした、胸が痛いのか!?
「須崎さぁぁんっ!!」「おいたわしや!!」と取り巻きーズが介抱する中、おろおろと見守るオレに、隣を歩くタカが気遣わしげに言った。(尚、移動教室の最中だった)
「トキ、本当にいいのか。誤解を解かなくて」
〝誤解〟とは、痴漢被害の話だ。被害に遭ったのはオレじゃあないのに、何故か周囲にはそう広まってしまったようだ。……でも。
「まぁ、な。『オレじゃない』っつったら、じゃあ誰だ? って被害者探しみたいになっちまうかもしんねーし……。こんな風に騒がれんのはオレだけでいいよ」
「トキ……」
敢えてニカッと笑みを向けて答えるも、タカは相変わらず苦しげな表情だ。「お前がそんな顔する必要ないだろ」って、頬を軽く摘んでふにふにしてやる。
第一、これはオレが徒 に騒いだせいだ。被害者の女の子は大事にはされたくなかったかもしれないのに、オレは自分の勝手な正義感で突っ走っちまった訳で……。一歩間違えばこうやって冷やかしの対象にされたのは、あの子の方だったかもしれない。
卑劣な行為に晒されて、ただでさえ傷付いている筈のあの子が、更に周りから変な風に注目を浴びせられたりしたら……どれだけ辛いだろう。九重の言うように、オレはもう少しちゃんと考えてから行動すべきだったと、流石に凹んだ。
――だからこれは、オレへの罰だと思って、甘んじて受け入れる。
ちなみに、タカと須崎には事実を伝えてある。須崎は噂を聞いたら「犯人を見つけ出して、ぶっ殺してやる!!」なんて息巻いて今にも学校を飛び出していきそうな興奮っぷりだったし、タカはタカで「俺が朝練なんか出ずに、トキと一緒に登校していれば」といった風でまた変に責任を感じてたもんだから……。
そう、タカを誤魔化すのが大変だった。今朝も、色々とヒヤヒヤしたもんだ。
◆◇◆
「それじゃあ、被害に遭ったのは本当にお前じゃないんだな?」
オレの釈明を聞くと、タカは念を押すように問うた。それに対してオレがしっかり頷いてみせると、タカもようやくホッと気を緩めたようだった。
「良かった……」
心の底からそう思っているのが伝わってくるような、感極まった一言。オレは何となく面映ゆくて、飄 げてみせた。
「つか、タカは心配し過ぎだって! オレ男だぞ? 痴漢になんか遭うわけねーじゃん!」
「いいや、そうとも限らない。トキはもう少し、自分の魅力を自覚した方がいい」
おっと、思いがけず真面目に返された。あまりに真剣なタカの表情に、言葉に詰まる。そうしている内に、タカはある決意を語り始めた。
「やっぱり、オレも部活なんか辞めて、中学の時までみたいにお前と登下校しよう。そうでないと、いざという時お前を守れない」
――!!
「い、いや待てよ! オレのことでタカの私生活が犠牲になんのは嫌だっつってんじゃん!」
「別に、問題ない。サッカー部も元々、お前がやると言ったから俺も入っただけだ。お前が居ないのなら、在籍している意味など」
「でもタカ、すっかりサッカー部の期待のエースじゃん!? それに、オレもタカがサッカーしてる姿好きだしさ! 簡単に辞めるなんて、言うなって!」
オレが必死に言い募ると、タカは暫し思案げに黙した後、「……トキが、そう言うのなら」と、ひとまずは納得してくれた。
危ねぇ! 今一緒に登下校なんてしたら、漏れなく九重が付いてくんぞ! 絶対諸々余計なことバレるって! ……いや、タカのプレイが好きなのも本当だけどさ。
内心冷や汗を掻いていると、タカはふと何かに気が付いたように目の色を変えた。
「……待て。そもそもお前、どうして今日は電車に乗ってたんだ? お前のマンション、学校に近いから電車なんか乗る必要ないだろ?」
ハッとする。そうだ……そうじゃん!
「えぇっと、それは……そう! 昨日は実家の方、帰ったんだよ! 体調不良で車で迎えに来て貰ったじゃん? それで、そのまま……一人暮らしのマンション戻るより、看病して貰えっしさ!」
こ、この言い訳は苦しいか? でも、これしか思い付かねー!
タカは少し眉根を寄せて考えるようにしてから、
「そうか……それで昨日もお前、ドアチャイム鳴らしても出なかったんだな」
などと宣ったもんだから、オレはまたぞろギクリとした。
「え? タカ、昨日もオレのマンション来てたのか……?」
「ああ。早退したお前が心配で。また寝ているんだと思ったから、あまりしつこく呼ぶのも悪いと思って、すぐに帰ったが」
マジかよ!! タカ、ドッキリが過ぎるって!!
「悪ぃ……今度からすれ違いのないようにさ、ちゃんと来る時は予め言ってくれ。な?」
「分かった」
とりあえずタカが了承してくれたので、次からはもう大丈夫だと信じたい。オレが密かに疲労感に包まれていると、タカはここでオレの背後に視線を向けて、おそらくはずっと気になっていたであろう事柄の質問を飛ばしてきた。
「……ところで、どうして九重と一緒なんだ?」
ギックリ。だよな。やっぱそこ、気になるよな。そう、タカが来た時からずっと、九重はオレの傍に寡黙に控えていた訳で。
オレが何か下手な言い訳を述べるより先に、九重の方が口を開いた。満を持したような口調だった。
「生徒会の話をしていたんだ」
「……生徒会?」
「花鏡は今日から、生徒会役員になることが決定してね。その話をしていたんだよ」
タカが驚いた顔でこちらを振り向いた。
「本当か? トキ」
「あ、ああ、まぁ……」
「僕から是非にと頼んだんだ。広報担当をずっと探していたんだけど、花鏡なら宣伝力もあるしね」
タカが怪訝そうにオレの顔を覗き込んでくる。オレは目が泳がないようにするのが精一杯だった。
「トキ……本当に引き受けたのか? お前、九重のこと苦手な筈じゃ」
「そ、そうなんだけどさ! ほら、生徒会役員とかって、内申にもいいかなって! あんまりオレの仕事は忙しくないって言うし!?」
タカの視線からオレを守るように、九重が間に割って立った。胡散臭いいつもの笑みを向けて、タカに言う。
「そういうことだから、これからよろしく」
何に対しての『よろしく』なのか。九重の笑みと宣言を真っ向から受けて、タカの堅い表情の中、栗色の瞳に火花が散ったように見えた。
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