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10-2 その気持ちの正体は?

「つまり、トキは九重に弱みを握られていて、それをネタに脅されてアイツと一緒に住んでいた、と?」  話の終わりに、タカがオレに問うた。オレは頷いて、今の確認に抜けていた部分を付け足す。 「でも今はオレ、命令とか関係なく自分からアイツの傍に居るって決めたんだ。だから、もう強制されてる訳じゃないし、タカが心配することは何も無いんだ」 「待て、トキ。お前の話には情報が足らなさ過ぎる。まず、その〝弱み〟というのは?」  うぐっ……。 「……それも言わなきゃダメか?」 「九重がそのカードを切れないように取り上げる必要があるからな。知っておきたい」 「たぶんもう、その辺は大丈夫だと思うんだけど……」 「曖昧な情報じゃ判断出来ない。具体的に九重に何を握られている? 俺にも知られたくないようなことなのか?」  あー……言って平気なのか? これ。 「えっと、その……は、恥ずかしい写真?」  目線を外してもごもごと告げると、一瞬でタカの放つ空気がピリついた。 「何をされた?」 「あ、あー、うん……脱がされて? 写真撮られたっつっつーか?」 「それ以上のことを、されたんだな?」 「いや、あの……っそん時は、まだそこまで……」 「〝その時は〟? 〝まだ〟?」  あああ、タカの圧が凄い。もう誤魔化さないとは決めたものの、そこら辺はあんまり詳しく話したら逆効果な気がする。  オレは苦し紛れに方向転換を図った。 「でっでも! 今日のは本当にアイツじゃないんだって!」 「その話も肝心な情報が抜けている。九重以外にも別口でお前を脅している奴が居るというのは分かったが、それは結局、誰なんだ?」 「だから、それは……言えない」 「何故言えない? 全部話すと言っただろう」 「九重とのことは話すって言ったけど、そっちは……」 「そこを話せないのなら、やっぱり九重を庇っているのだとしか思えない」 「っ違う!」 「なら、話して欲しい」  言葉に詰まった。半ば関係性のバレていた九重のことはともかく、四ノ宮のことは出来ればそのまま隠し通したい。  でも、それだと納得できないっていうタカの言い分も、最もだし……。 「……相手に何もしないって、約束してくれるか?」  そっと、窺った。タカは生真面目な表情を崩さず、「それは、出来ない相談だ」とキッパリ否を唱えた。 「じゃあ、話せねーよ……」 「どうして、そこまで庇う?」  どうしてって……。  教室での四ノ宮の言葉が脳裏を過ぎった。  ――『いくら抱いても汚しても、手に入れた気がするのはその瞬間だけで……貴方は決して僕のものにはならない。だから、永遠に満足することはないんです』  もしかしたら、四ノ宮( ア イ ツ)が本当に求めてるものって――。 「オレが、自分で何とかするから……だから、その件に関してはタカにも首を突っ込まないで欲しい」 「何とか出来る保証は?」 「無い……けど。たぶん、ちゃんと話せば分かってくれると思う」 「……甘いな、トキは」  ふぅ、と溜息を吐くタカ。オレが何も返せずにいると、彼は続けた。 「まぁ、いい。俺がずっとお前の傍を離れなければ、第二の脅迫者もお前に手出し出来ないだろう。その内に相手が尻尾を出したら、引っこ抜く算段で行く」 「ずっとって……それじゃあ」 「俺の決意は変わらない。お前がどう思っていようと、オレは九重のことは信用出来ない。このままお前をアイツの元へは帰せない」 「タカ!」  つまり、交渉決裂ということだ。何とか考え直して貰おうと口を添えようとするも、タカがそれを遮った。 「ストックホルム症候群って知ってるか? トキ」 「知ってるけど……」  唐突な質問に気勢を削がれる。  ストックホルム症候群。監禁拘束下等で犯人と長く一緒に過ごす内に、人質が犯人に好意のような感情を抱き、自ら協力的な態度を取ったりするようになる現象のことだ。  それがどうした、と訊く前にタカはこう言った。 「お前が九重に抱いているのは、それだ。一種の洗脳に近い」 「なっ……!」 「自分の心や体を守る為、そうした暗示を無意識に自分自身に掛けてしまう、防衛本能のようなものらしいな」 「そんな……オレは、そんなんじゃ!」 「でなきゃ、同情だ。九重の家庭環境が複雑で、アイツが孤独で寂しそうだから、傍に居て癒したいと思ったんだろう?」 「っ……」  愕然とした。この気持ちが、同情? 自己暗示? ……そう、なのか?  違うと言いたい。だけど、言い返せない。自分自身でも、これがどういったものに由来する感情なのか、よく分からないから――。  戸惑いに言葉を失っていると、不意にタカは眉を下げて苦笑した。 「トキは優しいから……そうやって、誰にでもすぐ心を砕いてしまう。だけど、それでトキが犠牲になるのは、おかしい。お前が何と言おうと、俺がお前の目を覚まさせる。今は辛いかもしれないが、お前の為だ。分かってくれ」 「そんな……」  そんな風に言われたら、オレは……。  無力感が襲った、その時、場違いに明るいインターホンの音色が来客を告げた。  オレとタカが同時に玄関の方に振り向くと、誰も応対しない内から、勝手に扉の開く音がする。  あれ? オレ、五十鈴センパイを見送った後、ちゃんと鍵かけたよな? まさか、センパイが何か忘れ物でもして取りに来た? いや、そんなまさか。  こちらに向かってくる足音に身を強張らわせていると、タカが警戒するようにオレを背に庇った。走る緊迫感。張り詰めた空気を切り裂いて、次の瞬間リビングの扉から姿を現したのは――。 「九重!?」  ――だった。いつもの余裕そうな憎たらしい笑みは何処へやら、切羽詰まった手負いの獣みたいな表情で、こちらをギロリと睨め付ける。オレと目が合うと、何に安堵したのか、ほんの少しだけ纏う雰囲気が和らいだ。 「鍵を持っていたのか」と忌々しげに零したのはタカだった。続けて敵意を剥き出しにした声音で、九重に問う。 「何をしに来た」 「あんな意味の分からない伝言を聞かされて、〝はい、そうですか〟って引き下がる訳がないだろう。――花鏡( ソイツ)を受け取りに来た」  二人の間にかつてない程の剣呑なムードが漂い始めた。九重はタカの前でももう優等生モードをかなぐり捨てる覚悟で来たんだろう。笑顔の仮面を取っ払った彼の素顔は、今やタカへの嫌悪を露わにし、一切取り繕う気配がない。 「トキと金輪際関わらないと約束した筈だ」 「あんな契約書も無い口約束なんかに、何の拘束力もありはしない」  迷いの無い足取りで進んでくると、九重は牽制するタカを押し退けるようにして、オレの腕を掴んだ。 「帰るぞ」 「待て!」  当然のように、タカがそれを阻止した。オレの腕を引く九重の肩を押し、その場に留める。 「退け」  不機嫌そうに鼻に皺を刻んで獰猛に吐き捨てる九重。普段と全く異なる彼の様子にも、タカは別段怯まなかった。 「それがお前の本性か。ようやく化けの皮が剥がれたな」  ふと覚えた既視感に、以前五十鈴センパイと同じようなやり取りがあったことを思い出す。それでオレは少し冷静さを取り戻した為か、我に返った。 「こっ九重……待ってくれ、オレ、帰れない」  ――タカが納得してくれるまで、まだ。  そう訴えるべくおずおずと見上げると、九重は怪訝そうに眉を寄せた。物問いたげに唇が開かれるも、そこから言葉が漏れるより先に、タカが毅然と告げる方が早かった。 「トキから手を離せ。脅して従わせるような卑劣な輩に、トキは渡せない!」  その一言が、場の空気を変えた。九重は目を見開き、刹那凍り付いたように動きを止めた。それから数秒の後、唖然とオレに問い質した。 「……話したのか」  琥珀の瞳の奥、動揺と共に浮かんだのは驚きか怒りか哀しみか。やがて、それらが融合し、一つの感情に帰結する。そこに映し出されていたのは――失望だった。

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