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狂夏の盛3
担いでいた鈴蘭を背負い直し、峠をいくつか走り抜ける。
その途中で目を覚ました鈴蘭は、アギリの予想の反して驚かなかった。
「どこにゆくの」
とまた聞いてきただけだった。
「どこにいきてえ?」
先ほどより少しマシな無愛想具合で、アギリは問いに問い返した。
それに答えず、鈴蘭は少し黙ったのちに質問を変えた。
「俺はどうなるの」
「俺と対になる」
その問いには、アギリはすぐ答えた。
「俺の種族は対となる相手を捜し出して一生を共にする。俺は、目はあまり役に立たねえが匂いで解る。おめえが俺の対だ」
「一生っていったって。ねえ、俺は男だ。あんたの子供は産めないよ」
動揺したらしい鈴蘭の言葉に、アギリは鋭く尖った歯を見せ笑った。
「それは作れる形の対を見つけた奴同士に任せておきゃあいい。男だろうが異種だろうが、俺の対はお前だ」
もう暗闇に浮かぶ星しか見えない中、鈴蘭はなんだかたまらない気持ちになった。
「俺はどうなるんだ」
「俺と対になる」
思わずつぶやいた言葉に、アギリがまた答えた。
「あんたと対になる」
「そうだ」
「いいかげん俺はどうなっちゃうんだ」
「俺と」
言い掛けたアギリの肩を、鈴蘭はたたいた。
「次はあんたの対をする事になったってのは解った。そうじゃなくて。俺は、本当は俺は。どうすればいい」
サジの相手として育てられて、結局無用になって。
あの場所で色々諦めて諦めて諦めて諦めて、ある意味楽になったと思ったら、そしたらまた居場所が変わって。今度は誰の何だというのだ。
感情がこみ上げるだけで思ったことは口にしなかったが、アギリはその鈴蘭の声を聞いて何かしら読みとったのか、歩みの早さを落とした。
そして、峠道の脇にある少々広い場所で鈴蘭を降ろした。
丁度いい大きさの石に座らせ、鈴蘭の向かいにしゃがみ込む。
鼻先がすんすん動いて、アギリの指が鈴蘭の顔に触れた。
指先で鈴蘭が泣いていることを知った。
「俺は、居場所がほしいよ」
鈴蘭の小さな声を聞いた後、ほとんど見えない目で鈴蘭を見つめ、
「……もどりてえか?」
と聞いてきた。
対と名乗るその男の問いに、鈴蘭は涙を拭いながら問い返した。
「うんと言ったら、もどしてくれるのかい?」
その問い返しに、アギリは目を閉じた。
そしてまた、ふすふす鼻を動かして鈴蘭の匂いを嗅いだ後、絞り出すような声で、
「やだ」
と一言答えてうつむいた。
鈴蘭はその一言をきいて、アギリと同じくらい沈黙した後に吹き出した。
本当は戻りたいわけではない。どこだっていい。
ただ自分の意志とは関係なく次々と居場所を決められてしまうのが嫌だったのだ。
「やだなら、じゃあいい」
鈴蘭は泣き笑いして、アギリに近くに水場はないか聞いた。
急に何を聞くのかと言う顔をしながら水の匂いを追い、アギリは近くに沢があると鈴蘭に告げた。
「身体を洗う。あいつ等のが色々ついてるから。ねえ、あんた繁殖期で俺を対としてみつけたんなら、ここまでくるのに相当我慢してたんだろう。どうする。そこでする?それともあんたのすみかで落ち着いてする?……ええと名前は」
鈴蘭は月明かりを頼りに教えられた方向に歩く。
「アギリ」
「アギリ。俺は鈴蘭」
鈴蘭の後を歩きながら、アギリは彼が何を思っているのか察した。
鈴蘭はアギリの『対』という言葉を信用してはいない。アギリが街に返したくないと言ったのも、強者の一時的な所有欲だと思っている。
アギリは鈴蘭を抱き上げた。
「ちょっと?」
「お前、山歩きなれてねえだろう。躓きそうな大きい石とかがあったら教えろ」
言いながらアギリはすいすいと木々の中をすり抜けて歩く。
そしてあっという間に沢に降りた。
近くの岩場に腰掛けて待つアギリを鈴蘭はしばらく見ていたが、やがて肩にまとっていた敷き布を降ろすと浅瀬で身体を流し始めた。
汚れが落ちるほど鈴蘭の甘い匂いが強くなってきて、アギリは戸惑った。
先ほどの鈴蘭の言葉に棘があるように感じて、住処に落ち着くまで手を出すまいと思ったのに、早々に決心は揺らいでいる。
アギリの様子がおかしい事に、水浴びから戻ってきた鈴蘭も気がついた。
困ったように鼻をこすったり口で息をしたりしていて、その様子を見て、どうやら匂いに関しては嘘はないようだと思った。
「どんな匂いなの?俺自分ではぜんぜん解らない」
鈴蘭に隣に立たれ、ひときわ濃くなった匂いにアギリはンッと唸った。
「対を探す種にしかない能力だ。同族同士でも、対でなきゃわからねえ。俺と同じ種のやつがあんたをかいでも、対の相手じゃないから何も感じねえ。だから、あんたが解らなくてもそれは普通だから。俺は目が利かない代わりに鼻が余計に利くから、なおさら」
花や果物や菓子のような感じでもない。
アギリの神経の奥までとけ込んでくる、彼だけの為の極上の匂いだ。
「どうする、アギリ」
鈴蘭は先ほどの問いの答えをアギリに聞いた。
アギリは頭を押さえて、首を振る。
けれど、彼にもう限界が来ていると鈴蘭は見抜いている。
鈴蘭はアギリの名をもう一度呼んで顔を上げさせた。
薄く白濁した瞳を見つめながら、瞼を閉じるように言い、その瞼にキスをした。
それで、アギリを抑えていた最後の糸が切れた。
アギリの抱き方は今までのどの客とも違って、ぎこちなく不慣れで、丁寧だった。
対を探し出すまで、自分たちの種は処理はほとんど自慰だから、と、始める前に鈴蘭につぶやいたのも嘘ではないらしい。
抱きながら、時折鈴蘭の耳元や首もとで鼻をふすふすしているのもなんだか妙で、鈴蘭はそのうちにたまらなくアギリが可愛く思えてきた。
「俺もアギリと同じ種で、あんたの匂いを感じられたらいいのに」
そう言いながら鈴蘭は不思議な感覚にため息をついた。
今まで店で何人も相手にしてきたのに、こんな事は初めてだった。
額や頬を合わせるだけでも妙に胸が躍って、アギリの手が身体をなぞるだけで全身がぞくぞくと喜びにふるえた。
「俺はいい匂い?」
今まで知らなかったその感覚にくらくらしながら、鈴蘭は対の相手に聞いた。
アギリは鈴蘭の胸元に額をつけ、何度も頷いた。
アギリの汗の匂いが鈴蘭の鼻をくすぐった。それは彼にとって嫌な匂いとは感じなかった。
彼と同じ種族で対であれたならもっといい匂いに感じ取れただろうに。
「ずるい」
鈴蘭はうっとりしながらつぶやいた。
「あんたばかりずるい……俺もアギリの匂い知りたい」
鈴蘭の体がまだ辛いこともあり、二人は互いが『対』であることを口付けと愛無を繰り返しゆっくり確かめ合った。
そして夢のような痺れの波に飲まれていった。
夏の一番狂った時期が終わる頃。
アギリの集落の彼の小屋には、彼が連れてきた『対』の姿があった。
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