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第6話
「何?オマエ…」
顎に無遠慮に掛けられた手に、嫌悪感を覚える。
赤い顔で、すでに出来上がった様子の男は大学の講義がたまに一緒になる男だった。同じ学部という事は留年している自分とは違い、きっと年下だろう。
がっちりとした身体に、ホストの様な甘い女受けする顔つき。学生の本分そっち退けで、いつも違う女の子を連れて歩いている。名前は確か、勅使河原。
珍しい名前だから覚えていた。
「綺麗な顔だよな、静」
「気安く…名前、呼んでんじゃねーよ。殺すぞ、てめー」
話し等した事も無い勅使河原に気安く名前を呼ばれて、静の眉間の皺が深くなる。
長年付き合った暁でさえ吉良と呼ぶのに、この男は今まで相当恵まれた環境に居たのか、自分は何をしても許されると言わんばかりにニヤけた顔を静に近づける。
キツい香水の香りが酒に混じって気分が悪い。さすがに我慢も限界と、顎を掴む勅使河原の手を払いのけた。
周りに視線を向けてみるが、さすがに酒の席ということもあって、みんな他人に関心を向けるような状態ではない。島津がこれに気がつけばすっ飛んでくるだろうが、その肝心の島津も遠くの席に居た。
「威勢の良い、静姫。そう言われるだけあるよな」
「…はぁ?ふざけんなよ、てめぇ」
静姫なんて自分が言われてるなんて、初耳も良い所だ。とはいえ大学で付き合いが有るのは暁だけ。もしそう呼ばれてたとしても、知らなくて当然だ。
睨みつける静を勅使河原は鼻で笑い、片手で静の膝をそっと撫でた。刹那、静の背中に悪寒が走り勅使河原を突き飛ばしたが、体格の良い相手に静のそれは何の抵抗にもならなかった。
静の身体を舐めるように見てくる勅使河原を、静は嫌悪を含んだ眼差しで見つめた。
この視線には覚えがある。大多喜組の事務所で、嫌という程に浴びせられた視線だ。
「あんた、マジでそそる…。俺、男とか無理って思ったけど、あんたはヤれそっ…うわっ!!」
言いながら静に手を伸ばした勅使河原の身体が、唐突に引き離され見事に床に転がった。
派手に転がりグラスを倒したせいで大きな音がして、さすがに宴に夢中だった連中も何事かと視線を集中させた。
「……おま…え」
静は、転がった勅使河原の向こうに見る男に眼を見開いた。酒で潤っていた喉が一気に乾く。その視線の先ではゆらゆらと、紫煙が揺らいだ。
「いってー!!何すんだ!てめ…っ!?」
転がされた勅使河原は勢い良く立ち上がり振り返ると、拳を握った。だがその表情は一瞬で凍りついた。
黒のタイトなスーツを身に纏い長い前髪の隙間から射抜く視線で静を見る、その双眸は獣そのものだ。勅使河原は息を殺してみたが、一度見つかった獲物を逃すような獣は居ない。
勅使河原は目の前に立つ心の視線が自分に向かないように、ゆっくりと顔を背け目を伏せた。
「俺はパンクチュアルな人間やあらへんけど、待つことも出来ひん人間やからな」
心はそう言って、銜えていた煙草を座卓の灰皿に押し潰した。
ふと心が勅使河原に視線を向けると勅使河原はそれだけに悲鳴を上げ、その場に座り込んでしまった。
まるで海原を自由に泳ぐ大魚のようにゆったりと動く心を、周りの人間は息をするのも忘れ見入っていた。まるで、今まで見たことのない何かを見るかのように。
これが、鬼塚 心のカリスマ性か。
騒々しかった店内に静けさが走る。誰も、その獣に何か言える者は居なかった。
そして静もまた、見た事もない表情で勅使河原を見下ろす心を、ただ黙ってみていた。
間違いなく危険だとは分かっていても、触れればケガをしてしまいそうな心のオーラに何も言えず、ただ、固唾を飲んで見つめるしか無かったのだ。
だが、その時だ。心は突然、足下で動けずに居る勅使河原の顔を躊躇いもなく蹴り上げた。
「きゃああああああ!!」
悲鳴の中、勅使河原の身体がスローモーションを見る様に、ゆっくりと血を蒔き散らしながら倒れる。心はそんな勅使河原に目も向けずに、静の腕を掴んで立ち上がらした。
「やめ!!離せ!てめー!!!」
店内は一気に騒然とした。勅使河原に駆け寄る人間と、どうしていいのか分からずに狼狽える人間。ただ、誰も心には向かって行こうとはしなかった。
心は暴れる静の身体を軽々と肩に担ぎ上げ、そのまま店を出た。
店の外の大通りに何台もの黒の高級車が並び、その前には何人もの組員が微動だにせずに立っていた。そして、そこには相馬の姿もあった。
「相馬、中、どうにかしとけ」
心はそう乱暴に言うと静の身体を車の後部座席に放り込み、そのまま乗り込んで来た。
まるで荷物のように放り込まれて静は心を睨みつけたが、その横顔は怒りの色が滲み出ていて、さすがの静もそれに恐怖を覚えて何も言葉が出なかった。
この世界から音がなくなったかの様に、車内は静寂に満ちていた。
それはこの車が最高級車であり、そのエンジン音でさえ聞こえないような代物だとしても、今の静には乗り心地の悪いものだった。
黙ったまま前を見据える心に、静は何も言えずに膝に上で握り締める拳を見つめていた。そうしていたところで、ふと疑問が湧いた。
明らかな怒りをヒシヒシと感じてはいるが、正直、何故ここまで怒っているのかが分からない。
もしかして、心のところへ行かなかった事を怒っているのかとも思ったが、たかだかそれくらいのことで?いや、まさかなと結局、堂々巡りになる。
どう考えてみても心が静に執着する理由はさっぱり分からないし、一時期の迷いなどであれば関わりたくないのが静の本音だ。
一時期の迷いというよりも、たまたま拾った人間が不本意ではあるが中性的な顔立ちをしているので魔が差したとかであれば、そのままなかったことにしてほしいくらいに関わりたくない。
もしかして、自分が来いと言ったのに行かなかったことに怒っているのか?我が儘そうだもんなと思いながら、結局、何に対して怒っているのかはっきりと分からないまま車内の重苦しい空気に小さく息を吐いた。
ちらり、前方に視線を移す。静と居る時に饒舌だった相馬も押し黙ったままだし、ハンドルを握る見た事も無い男は、空調の利いた車内だというのに異様に汗をかいてる様に見える。
やはり、この心の醸し出す不機嫌オーラのせいなんだろうなとは思ったが、不思議と静は恐怖を感じなかった。
ただ何の躊躇いもなく、顔色一つ変えずに勅使河原の顔を蹴り上げた心の顔が、脳裏から離れなかった。
やはり、この男はそういう世界で生き抜いてきた男なのだ。この若さで鬼塚組を取り纏める男。人を、しかも顔を、あんな無情に蹴り上げる人間は居ない。
非情、無情、外道…どれも当てはまるなと車窓から見える街並みに視線を移した。
今頃、店内はどうなっているのか。島津や他の学生は、勅使河原を蹴り上げた男と共に消えた静をどう思っているのか。考えるだけで胃が痛んだ。
車は見慣れたビルの前にゆっくりと停車した。昼間は誰も居ないように見えたビルの前は、多数のそれらしき人間が居て一斉に花道を作り上げた。
こんなところ出ていけるわけがないと、シートにしがみ付かん勢いの静を心は引き摺るようにして引っ張り出すと、ビルの中を闊歩する。それに抵抗してみせたところで、力の差は一目瞭然、全く歯が立たなかった。
鋼のように硬い指先が腕に痕を作る。それが心の怒りそのものに感じ、静はさらに抵抗を見せた。
多分、これはヤバいことになると、本能的に思ったからだ。
それは正解で、部屋に着くなり心は静をベッドに倒すと、苛立った様にジャケットを脱ぎソファに投げ捨てた。
「何なんだよ…」
ようやく絞り出した声はアルコールのせいか、それとも緊張のせいか乾いていた。それがどこか悔しくて、静はぎゅっと唇を噛んだ。
「お前は自分の立場が分かってへんな」
心の低い声が部屋に響く。静は思わずたじろいだ。そんな静に心は鼻を鳴らすと、ネクタイを解きながらベッドに近づいてきた。
「な…にする気だ」
嫌な予感と、静が顔を青くする。そして次の瞬間、ベッドから逃げようとする静とそれを捕まえる心の長い腕は同時に動いた。
細く華奢な腰に腕が周り、あっという間にベッドに倒される。静は足をバタつかせ、拳を握った。
当たったところで何のダメージにもならないとは思ったが、やらないよりはマシと心の顔をめがけて拳を突き立てた。
だが心はまるで赤子の手でも掴むようにして、それを大きな手で受け止めると、静の両手をあっという間に拘束してネクタイで縛り上げたのだ。
「や…!!何すんだ!!解けよ!!」
心は、暴れて叫ぶ静の顎をきつく掴み上げた。顎の軋む音が、静の脳にダイレクトに伝わる。
「…静」
行動とは裏腹に、囁く様に慈しむ様に名前を呼んだかと思うと、心はゆっくり静の唇に口づけた。
静の身体は驚いて強張ったが、無理矢理に口を開かされ、心の舌が中に入り込んでくると足をばたつかせて抵抗をした。
だが静が足をばたつかせたくらいで、鍛え上げられた心の身体にダメージを与えられるわけもなく、静はされるがままになった。
上顎を舐め上げられ歯列をなぞるそれに、思わず肌が粟立つ。逃げ場を失った舌は心のそれに絡み取られ、静はその度に身体を震わせた。
こんな深い口づけをしたことがない静は、巧みな心の舌に全身の力を根こそぎ奪われていたのだ。
「…ん、…ふっ…」
静の身体が震え、鼻から抜ける甘い声に涙が滲む。
どうしてこんな事をするのか、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。
目眩がする様な口づけに、静は気が遠くなりそうになった。そんな静のズボンを心は器用に脱がしにかかる。
「…!!あ!やだ!!!」
身体を捩って口づけから逃れ、静は心に抵抗をみせる。
心はそんな静の身体を易々と押さえつけて、一気に下着ごとズボンを脱がしてしまった。露になった下半身に、静は羞恥に身を染め絶望に顔を歪めた。
「いい加減にしろよ!こんな事!!何考えてるんだ!!」
静は自分の上で表情も変えずに見つめてくる心を睨みつけた。そんな静を構いもせずに、心の手が静の萎えたペニスに触れてくる。
心の冷たい手に包み込まれ、静はガンガンと内側から頭を叩かれる様な、そんな気がした。
「やだ…」
止めて欲しい、離して欲しい。そう思っていても心の愛撫は実に巧みで、同性だから解るのだろうかクチュクチュと卑猥な音を立てながら、実に的確に静の弱い部分を扱きにかかる。
気持ちとは裏腹に静の息はあがり、ペニスも形を露にし、血が集まる。
それを感じた静は言い様の無い羞恥から、白い肌を一気に朱に染めた。
同じ男であり、そして自分が嫌悪する極道の頂点に君臨する男に身体を貪られ、今にも達しようとしている現実。それでも、微かに残る理性がそれを許しはしない。
ボタボタと先走りが射精した様に溢れ、心の掌を汚しても絶対に達してなるものかと唇を噛みしめた。
「強情やな、静…」
心は静にそう言うと驚くべき行動に出た。こともあろうか、はち切れんばかりの静のペニスを口に含んだのだ。
「ひ…あああっ!あ!ん…ああああ!」
女性との経験もない静にとって、初めて味わうフェラは想像を絶する快感。巧みに動く舌が、先端の窪みに舌を捩じ込ませ雁高に歯を立てる。
吸われるようにして口を窄められると、それに身体が跳ね上がった。心はそれを見逃さず、一気に吸い上げる様に静のペニスを舌で扱いた。
「い…っ!!!ダメっ!!離せっ…イクっ!!!!」
静は悲鳴にも似た叫び声を上げ、一気に心の口腔内に性欲を吐き出した。心はそれを躊躇う事無く、ゴクリと、それこそ静に聞こえる様に嚥下した。
達した余韻で静の身体は時折痙攣し、羞恥からか快感からか、それとも憎むべき男の口で達した己自身に対する憎悪からか大きな瞳からは涙が溢れていた。
心はその涙を指で拭うと、仄かに赤く色づいた目尻に口づけた。
「…満足か。辱めて、地獄にでも落としたつもりか」
両手を拘束されたまま、静は天井で微笑む天使を見ながら呟いた。
天使なんて偽りだ。神なんて虚像だ。存在は否だ。
だがもしこの世界のどこか、空の上にでも神が居るとするのであれば、是非教えてもらいたいものだ。
俺が何をした。どうしてこんな目に遭わさなければならないのかと。
「静、自分の立場を分かってへんよな。お前は俺のもんや。やのに、何で他の男がお前に触れてんねん」
「…外してよ…これ」
心の言葉を聞いてるのか聞いてないのか、静は拘束を解いてくれと心に懇願した。
心はそれを聞き入れ、静の両手を縛るネクタイを解いた、その瞬間に心の頬に衝撃が走る。
ガツンという久々の衝撃に、心は暫くのあいだ何が起こったのか分からなかった。だが頬の痛みで静に殴られたのだと分かり、口角をあげてニヤリと笑った。
「ふ…ええな、やっぱ」
心はそう言って笑った。殴られたのに笑う心に静は蛾眉を顰めたが、心は楽しさに笑みを零す。
この鬼塚 心を殴る男が、この世の中にまだ居た。心のただならぬ雰囲気に、すぐさま媚び諂う古参共。鬼塚の名前だけで闘争心をなくしてしまう同業者。
その恵まれた容姿と財力に、恥じらう事もせずに足を広げる女達。どれもこれもうんざりな日々。
だがこの吉良 静という男はどうだ。心の素性を聞いても怯む事無く、それよりも憎悪を向けて灰皿を投げつけ暴言を吐き、今に至っては頬を殴りつけた。
心はそれが可笑しくて、いや、嬉しくてたまらなかった。
「笑ってんな!!俺はオマエに買われたつもりはない!契約書も交わしてない!借金くらい全て俺の力で返してやる!オマエの企みになんか嵌ってたまるか!ボケ!」
ボケ…産まれてこのかた、身内以外に言われた事の無い言葉だ…。
心を恐れずに歯向かい、誰もが飛びつくであろう好条件をも一蹴する。見た目も光輝を放っているが、その中身はとてつもなく気高い。
心は産まれて初めて他人に欲情し、関心を持ち、生まれて初めて独占欲というものを知った。それが男だろうが年上だろうが堅気だろうが、どうしても手に入れたくなった。
それこそ、身も心も。
「…静」
甘く囁くように静の名前を呼ぶと、心はゆっくりと静を見下ろした。長い前髪の隙間から見える心の漆黒の瞳に、静は危懼した。
この男は絶対にやると言ったらやる男だ。この男には不可能という文字は存在しないのだ。
それは心の瞳が全てが物語っていた…。
「オマエは俺のもんや、何度も言わせんな」
凄んでいるわけでも命令しているわけでもない、でもそれは静の胸に突き刺さる言葉だった。まるでそれしか道がないのだと、静自身思わざる得ないような言霊。
カリスマ性…これがそれなのだろうか…。
「…俺に、何でそんな…」
「執着するんか?」
そう…執着…拘泥、固執、執心なんでもいい。とにかくどうして静なのか。
特別に何かあるわけでもない、本当に何もないのだ。女でもない男で、借金だらけで少し顔立ちが女っぽいだけ。
だが性格も気性もそれに見合わないと良く言われる荒さ。
なのに、そんな静の足枷となっていた大多喜組と話をつけると言い出した。それどころか静の母親、妹まで面倒を看るという夢のような話。
その全ては、静が心のモノになるという条件で…。
「執着の理由なぁ…。それは俺も聞きたい」
「はぁ?」
心の思ってもいなかった言葉に、静は呆れた様な声をあげる。
解らないけど執着していますで、誰が納得するんだ。そう言いたくても何だかバカバカしくなって、静は布団を被ってベッドに転がった。
「もうバカバカしい…オマエと話すの」
この男が何を考えているのか、本当に解らなくなってきた。執着する意味も解らないくせに、人をとんでもない目に遭わせて辱める。
ゲイでもないくせに同じ男のペニスを扱き上げ、口にまで含んだ。だが、ただそれだけと言えば語弊はあるが、静がされることがあっても心が要求する事は無い。
要求されたとしても、とても出来はしないが同じ男だから耐える辛さくらいは分かる。
そもそも心は興奮しているのか…。もしかして自分だけが…。
「契約書、交わさへんのか?」
ぐるぐると考える静を、心が布団ごと抱きしめて囁く。それはもう蕩ける様な囁きにも似ていて、ただでさえ息苦しい布団の中が、更に息苦しくなる様な気がした。
「俺に触れるな…条件」
心を押し退け、布団から顔を出して下から睨みつけて言いきる静に、心はいかにも不服そうな顔をした。
「何やそれ?プラトニックか」
「お前と俺は通じ合ってねぇよ」
「まぁええわ…それもそれで楽しい。静を堕とすんもな」
少し考えたあと、心はそう言って静の耳元に口づけた。
「誰が堕ちるか!このバカ!!!!」
静はすかさずその顔を押し退け、フカフカの枕を心の顔面に叩き付けようとした。
だがやはり心の様な弾丸さえも避けると言いきった男に、易々と当たる訳もなく、すかざず避けられて静は見事な空振りを披露した。
それを見て、心が声をあげて笑った。その顔はどこからどう見ても、20歳そこそこのあどけない少年臭さの残る笑顔だった。
何だ、そんな顔して笑えるんじゃん。
静はそんな心に自分が気がつかないうちに、ほんの少し気を許していた。
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