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第22話

恨みしか持たなかった極道。それも頂点に居る男にこんなにも依存してたなんて…。 ほんの短い間しか一緒に居なかったのに、こんなにも心に惹かれていたなんて思いもしなかった。 離れてみて初めて、痛いほどそれが分かる。 だがダメだと静はシーツを濡らす涙を必死に拭って、歯を食いしばった。 依存して惹かれても、心が飽きてしまえば。 そう、遅かれ早かれ別れが来るのなら、こんな優しさに馴れるよりも人間の汚い裏側を見ている方が断然マシだ。 優しさは暴力よりも自分をダメにする。その良い例がこれだ。 以前であれば、こんな事なんともなかった。攫われたとしても、例え逃げれなくても逃げ出そうとする気力があったし暴れたりもしただろう。 それがどうだ、今は眠ることも食べることも出来ない…。まるで何も出来ない。 いつからこんなに弱くなった?いつからこんなに女々しくなった? 自問自答する中、静寂の空間にヒタヒタと廊下を歩く足音が静の耳に入り、身体が強張る。 だんだんと近付く足音は部屋の前で止まり、ゆっくり障子が開いた。 「あったわ…」 放たれた御園の声に、静は目を閉じた。 眞澄ではなくて良かったという思いからか、静は気が付かれないよう息を吐き出した。 「寝たん?」 近付く声に、静はさも今目覚めたとばかりにゆっくり布団を退けた。 「な…に?」 「携帯…忘れててん」 にっこり笑う御園に、静は“ああ…そう”と素っ気なく返事を返したが、内心バレやしないか気が気ではなかった。 御園の手に握られた携帯が暗闇の中、妖しく光り静は思わず目を背けた。 「よお眠れた?薬でクラクラせん?」 「やっぱり薬かよ。頭クラクラするから…」 「堪忍え。ちょっとでも寝てもらわなあかん思って。まだ眠たいやろ…よお寝よし」 御園はそう言って、部屋を後にした。 また静まり返った部屋で、静はどっと出る汗を拭い一気に息を吐き出した。 その頃、大阪のホテルに泊まっていた心は、切られた携帯をただ眺めていた。 最上階のスィートからは海を越えた向こうに神戸の夜景が見え、それはまさに宝石を散りばめたようだった。 だが心はそんなものには目も向けず、いつもの様にソファに身体を投げ出していた。 静かな野獣に連れ立って大阪入りした崎山や佐々木は、震駭した。心のように直情径行の人間が不気味なほど静かで、逆に心の内情の熱さを物語っているようだった。 心は小さく笑って携帯をテーブルに滑らすと、煙草を銜え火を点ける。すると部屋の扉が開き、視線だけそちらに向けると相馬が見えた。 「橘が着きました。これ、頼まれていた物です」 布に包まれた、長い棒のような物を相馬はテーブルに置いた。 ゴトリ…その重さを物語るような、鈍く重い音が鳴る。心はそれを手に取ると乱暴に布を剥ぎ取り、中身を出した。 心の手に握られたのは日本刀だった。相馬の喉元に突きつけられた、あの日本刀だ。 柄を握り引き抜くと、シャリリッ…と刃が鞘と擦れる音が不気味に響く。引き抜かれた刀を掲げ光に当てると、刃がギラリと光った。 刀は心が以前、大阪に居る時に骨董屋で手に入れたらしく、どの時代のどの物なのか分からない物だった。 だが心が手にすると、それは妖刀の様に見えるのは相馬だけだろうか。 「眞澄さんを斬るのですか?」 相馬の疑問に、心はニヤリと笑った。 「鬼頭のオヤジも了承した話や」 相馬の脳裏に、風間の本家で先程成された光景が浮かぶ。 急に呼び出された鬼頭組三代目組長鬼頭 信次は、何事かと慌てふためいて風間の本家に来た。だがそこに心や相馬までもが居るものだから、訳が分からない風だった。 鬼頭は心の父親である五代目鬼塚 清一郎の妹である久佐子の旦那で、正真正銘の心の叔父だ。 だが清一郎はその叔父の信次までもか実の妹の久佐子にまで心の存在を知らさぬままだったために、信次が心に実際に逢ったのは襲名式が初めてだった。 突然に現れた甥。しかもそれが鬼塚組を継ぐというのだから当時は信次も困惑し、更に心の存在を把握していなかったことを周りから責め立てられた。 「これは一体…。心までおって何ですねん」 ただ事ではない雰囲気に、信次は額の汗を拭った。 信次はどこか極道らしからぬ極道だった。見てくれも貫禄がなく、普通のサラリーマンと言っても通じそうな風貌。だが双眸だけがギラギラ光り、そこは極道だ。 ただ顔つきはどちらかというと穏やかに見え、厳しさはない。それとは対照的な久佐子に似た眞澄は、間違いなく鬼塚の血筋を濃く引き継いでいると思われた。 「実はなぁ…鬼頭」 「眞澄、(ばら)すわ」 龍一の声を遮り、心は憮然とした態度で言い放った。 「なん…何を言いよる!?おのれ、鬼頭に戦争しかけんのか?理由はなんや!?血迷うたんちゃうんか!」 動揺を隠せないまま心と龍一の顔を、交互に見る。龍一はやれやれと言わんばかりに肩を落とした。 「血迷うたんは眞澄や。眞澄は俺のもん勝手に持ち出しよった。俺はなぁ、叔父貴、自分のもんに手ぇ出されるんが死ぬほど嫌いやねん」 信次を見つめ、ニヤリと不敵に笑う心の顔は息を呑むものがあった。 信次が心を血縁者だと思えなかったのはここだ。誰に対しても何に対しても恐れがなく、恐怖という感覚が死んでいる様な…。 父親の清一郎も恐ろしい男ではあったが、それとはまた違う、腹の奥に化け物を飼っているような薄ら寒さを感じる。 年端もいかぬ甥に畏怖するのもおかしな話だか、それぐらい恐怖に慄いてしまうのが鬼塚心だった。 「すまんなぁ、鬼頭。コイツは俺にも止められへんなぁ。それになぁ、眞澄のが先に手ぇ出したっちゅうんがなぁ」 押し黙る信次に、龍一が言う。 長である龍一までもがこう言うのだから、心は眞澄を本当に殺バラすのかもしれない。だからといって、はい、そうですかなどと簡単に了解する訳にはいかない。 眞澄は信次の子であると同時に、鬼頭組の若頭でもあるのだ。 その眞澄が心に(ばら)されでもしたら、下の組員も黙っては居ない。その全ての兼ね合いを解っていて、こういう発言をしているのか信次には解らなかった。 「北斗…あんた、これが間違うてると思わんのか」 信次は、ふんぞり返る心の隣で凛とした姿勢で正座をする相馬に問い尋ねた。 相馬の父親は先代の鬼塚の顧問弁護士だった。それが縁で鬼頭組とも知らぬ仲ではなく、その息子の相馬もよく知った仲だった。 その相馬が鬼塚組の若頭に襲名したと聞いた時は驚いたが、得手勝手な心と違い明哲な男だ。何が間違いであるのかどうかは正確に判断出来、そして唯一、心に意見出来る男だというのも有名な話で、鬼頭組にとってはその相馬が最後の頼みの綱だった。 「間違い…ですか?そうですね、私も間違いだと思います」 相馬の言葉に、信次は安堵の息を吐くと共に膝で手を打った。 「そないやろ!ほな、心に言うて聞かせろ!内紛なんぞ、やっとる場合か!」 「間違いは眞澄さんです、鬼頭組長」 相馬の切れ長の双眸が、信次を見た。 元々、冷たさが伺える爽涼な顔つきは、心とは違う恐怖を覚える。愕然とした顔で相馬を見る信次に、表情一つ変えずに相馬は続ける。 「うちの舎弟の成田を眞澄さんは暴行し、病院送りにしました。そして、うちの関係がある堅気の人間を拉致しました。本来、京都統括長である鬼頭が会長代行の鬼塚に牙を剥くなど言語道断。鬼頭は解散してもおかしくはない。それを眞澄さんの首一つで片付けると言っているんですから安いものでしょう」 相馬が言う話は、信次には真しやかに信じられるものではなかった。眞澄がそんな事をしでかしているなど、夢にも思わなかったのだ。 従兄弟で年下の心が仁流会の会長代行に成り上がったのを、初対面から心を嫌っていた眞澄が面白くなかったのも解ってはいた。常に眞澄は心をライバル視してきたし、潰してやると口癖のように言っていた。 だが無理な話なのだ。鬼頭と鬼塚では規模が違いすぎるし、眞澄と心では度量も違いすぎる。 身のほどを弁えては居ると思っていたのに…。 「諦めぇな、叔父貴。往生際悪いで…我のケツくらい拭かさななぁ」 心がクツクツ笑いながら煙草を銜えた。その時の信次の顔は、まさに顔面蒼白だった。 「相馬ぁ…久々に血が騒ぐやろ」 刀を光に当てニヤリと笑う心に、思考が他所へいっていた相馬がハッとした。 暴対法の改正以降、公に抗争らしい抗争はしてはこなかった。まして、鬼塚に牙を向ける組もなかったし、どちらかと言えばものぐさな心がわざわざ抗争をする事もなかった。 その心が刀を持つときは、起き上がった猛獣同然。起き上がった猛獣は止まる術を知らない。 アナクロニズムな心は、拳銃よりも刀を好む。その理由を聞いた時に、人を斬りつけたときに噴き出す血が良いと言われたときは、刹那的な男だと思った。 「血が騒ぐのは勝手ですが、派手にやらないようにしろと言われたのを忘れないでくださいね」 「ふん…。地味な戦する奴がどこにおんねん、あのクソジジイ」 心は、忌々しいとばかりに眉間に皺を寄せた。 それは勿論、龍一に言われた言葉だ。相馬もそれは同感だった。 仁流会会長補佐ともなると、自然とその動向が他の組の耳に入る。今回は幸い風間組に抗争を仕掛けた馬鹿な組のおかげで鬼塚が関西に居る理由はつくものの、眞澄と心の不仲は有名は話だ。 眞澄は次期組長と言われている男であり、もし組長に襲名したときには心とどうなるのか分からないとも言われている。 それほどまでに仲違いする二人の間に流れる不協和音を、周りの組がいつ悟るか分からない。 もし、今、この状況を他の組に勘付かれると厄介だ。 仁流会会長補佐と言えど、傘下組から疎ましく思われている男だ。潰す時には、あちこちの組が手を組むだろう。 そうなれば心といえど、どこまで勝ち進むことができるのか…。 「もう少し、日頃の行いを良くしてくださればねぇ…」 「阿呆か、お前。誰があのくそ狸等に諂うねん。俺が気に入らんなら、陰でこそこそやらんと仕掛けてきたらええ…。それが出来んのは、そこまでの器量やいうだけや」 「あなたに喧嘩売るバカは、眞澄さんくらいですよ」 「眞澄も俺が年下っていうだけで気に入らんねんで。年功序列なんかいつの時代の話や。この世界、力ある奴だけが上に上がる。鬼頭の家でぬくぬく育ってきた眞澄じゃ、俺を潰すんは無理や」 心は刀を鞘に納めると、テーブルに置いた。ガチャンッと音を立てるそれは、早く血を吸いたいと言っているように見えた。いや、血を吸い損ねた相馬に牙を剥いているのだろうか。 相馬はそれを視界の端に映し、大きく慨嘆した。 確かに何の不自由もなく、平穏無事に暮らして来たのは眞澄の方だろう。 風間組のチンピラ連中にしごきを受けたわけでもない。どちらかと言えば、その肩書きで今まで過ごしてきたようなもの。 鬼頭組の若頭になったとて、落ち着きがあり明敏なのは同じ時期に眞澄の右腕になった御園の方だ。 「静さん…無事ですかね」 相馬はソファに深く座ると、投げ出された刀を見て呟いた。 「眞澄は阿呆やけど、御園は阿呆やない。お前とよぉ似た人間や。静が傷ついたらどないなるか、よぉ分かっとるやろ。御園の相手するんは、オマエやぞ」 「わかっていますよ。本当はイヤなんですけどね」 「敵わんのか」 「どうでしょう。噂通りなら厳しいでしょうね。それに面倒臭そうじゃないですか、御園って」 「大丈夫や、お前のが面倒臭い」 どういう意味だと思いながらも、相馬はタイを緩めて解きテーブルに滑らした。 「崎山達だけ動かします。他は本部を任せてきました。眞澄さんの屋敷の偵察に佐々木達が行ってます。多分、本家ではないので、組員も少ないとは思いますが成田をやったのは、所謂、精鋭部隊ですね。鬼頭組ではやはり群を抜いて腕が立つ者ばかりで、これが厄介かと」 「崎山にやらせろ。成田の仇取らせんとな。精鋭部隊か。人数によりけりやけど崎山と…相川で片付くやろ」 心は紫煙を吐き出しながら不敵に笑った。 崎山は鬼塚の数多い舎弟の中でも五本の指に入る強者だ。見た目は華奢で、女性を思わす様な中性的な顔つきは相手を見事に裏切る。 冷血無慈悲な男は、妖艶な笑みを浮かべながら相手の腕を折り関節を潰すのが趣味の鬼畜だ。 後遺症を残し、自分の行いを死ぬまで後悔させるという餞別だ。 相馬の直属の舎弟は成田らを含めて六人ほどの、所謂幹部。その下に枝状になって若衆などが続き、鬼塚組は構成されていている。 心に代が変わってから古衆は第二、第三団体を纏める長に就任したが、やはり第一団体の心達は比較的若い。若いだけに暴走もするし、纏めるにも力がいる。 第一、誰よりも若いのが心だ。やはり、子供の暴走族と陰口を叩く会派の組は数多い。 そう言われても当然な年齢だが、心の言う通りそれは時代錯誤な考えなのだ。 若いなりにある弱点は、それをフォロー出来る人間を付ければ良い。心にとって、相馬がそれなのだ。 ふと、心は徐に携帯を取ると貪りだした。 心は年齢に似合わず、携帯という便利ツールをあまり利用しない。どちらかと言えば嫌いで、その心が携帯を貪っている事に相馬は違和感を覚えた。 「さっきな、電話あってん」 「電話ですか?どなたから?」 「静」 「は!?」 相馬は思わず声を荒らげ、前のめりになった。 「非通知。どないやって俺の番号知ったんや…?」 「ちょっと、そんな事はどうでもいい。本当に静さんでしたか?一体どうやって?まさか、こちらの行動を読まれてしまったか、鬼頭組長が眞澄さんに話したんじゃないですか?いや、静さんはなんて?」 思わず一気に捲し立ててしまい、相馬は落ち着こうとテーブルに転がる心の煙草を手に取った。 もしこちらの行動がバレていたとして、鬼頭が全組員を総動員して奇襲をかけてくれば、今なら手も足も出ない。 そこまでの人数は、まだこちらに来てはいないのだ。 「何やねん、驚くやん。慌てんな。静な、自分の意志で眞澄んとこ行ったんやから、来んなやと」 言いながら心は、ククッと喉の奥で笑う。何が楽しいのか、心はまるでこの状況を楽しんでいるようだ。 「阿呆やな、アイツ。俺がそんなん許すと思ってんのか」 ギラリと双眸が光る。相馬は思わず息を呑んだ。 心がこういう顔をしている時は、酷く怒っている時だ。普段、ものぐさで何事も無関心な男は、沸点が恐ろしく低い。 やられたら倍返しが心情の極道界の中でも、心の倍返しは半端ない。極限の怒りを通り越すと、笑みさえ漏れてくるのか相馬はそんな心を見て目を細めた。 紫煙を漂わせ何事もないような顔をしながら内心、高揚感が湧き出てくるのを止められないで居る。 どこかで、久々に見る心の獰猛さを楽しむ自分が居たのは明確だった。 もともと極道でも何でもない。言うなれば、人畜無害で善良な一般市民として暮らしてきた。 それが心と再会して若頭に就いてからは、本来の姿はこれだったと思うほどに毎日が順風満帆に快適に過ごせるようになった。 そう、心が生まれた時から極道であるように、相馬もまた、生まれた時から極道だったのだ。

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