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第23話

心は携帯を持ったまま何かを考えていたようだったが、徐にどこかに電話をかけだした。 そんな心を他所に、相馬はテーブルに用意されていたウイスキーセットに手を付けた。ロックグラスに氷を放り込み、甘い香りのするブランデーを注ぐ。 本来、ブランデーよりも日本酒を好むのだが、今はアルコールであれば何でも良かった。 普段は沈着冷静な相馬も、自分が思っている以上に神経が高ぶっているようだった。 だがそれは仕方がないことだろう。どこかしらの組との抗争ではなく、身内。 しかも、先代組長が兄弟盃を交わした仲でもある鬼頭組だ。 「眞澄か?俺…。明日の夜、俺のもん返してもらいに行くから、首洗って待っとけ」 目の前で優雅にソファに座る心の通話相手との会話に、相馬は銜えた煙草をポロリと口から落とした。 「あつっ!」 手の甲に落ちた煙草が、チリッと肌を焼いた。 「何しよん…。ダセェ…」 心は携帯の通話を切ると、テーブルにそれを滑らしながら相馬のそれを蔑んだ。 「お…、お前はバカか!」 そんな事も構わずに相馬は心を罵倒した。少し焼けた手の甲の痛みなど、全く感じない。 それよりも目の前の男に所業に、相馬は怒りさえ込み上げて来た。極道の喧嘩は命をかける。この御時世でも、それは変わることなく行われている。 だが心は今、切った張ったの“戦”をしようと目論む相手に、そちらの命を狙っていますよとわざわざ伝えてやったのだ。 「今頃、慌ててんで」 呆れ果てる相馬とは対照的に、心は愉快そうに喉を鳴らして笑った。 「じゃないだろ!逃げられたらどうするんだ!」 「眞澄やぞ?俺を殺りたい奴が、逃げるわけあらへん」 「静さんに何かあったら!」 「返してもらうって言うたんや、この俺が。それがないときどうなるか、眞澄も御園もよー知っとる」 傲岸不遜な心の態度に、相馬は疲弊する。まるで、それしかないと言わんばかりの余裕のある言い振りだ。 人質を取られているのはこちらなのに、それを微塵も感じさせない心。 人質を取られようが丸腰の状態で銃口を向けられようが、常に主導権を握るのは自分だと言わんばかりの態度だ。 それは根拠のない自信だったが、揺るがない自信でもあった。だからこそ誰からも恐れられるのかもしれない。 いかにもものぐさそうな男は、誰にも、付き合いの長い相馬でさえも心奥が見えないのだ。 「お前、本当に」 「口の利き方、戻ってんで。北斗」 ニヤリと笑う心に、相馬はギロリと睨み盛大に溜め息をついた。 この男の思考は最早、謎だ。理解不能であり、理解したいとも思わない。 本当にこれが策略なのか相馬には理解に苦しむが、恐らく、本能で理解出来る人間が居る。 眞澄だ。一緒に暮らしたこともなければ、親しい間柄でもない。 だが眞澄と心は血縁というだけあって、やはり似ているところがある。 二人とも異常なまでに引くことを知らないという鬼塚の血を、それは濃く継いでいるのだ。 負けると分かっていても、死んでも引かない。売られた喧嘩は相手が誰であろうと、喜んで買うのが鬼塚の人間の血だ。 そう、例え心が攻めてくると分かっていても、眞澄は絶対に引かないし逃げない。この兄弟のように似る二人は、遅かれ早かれ衝突していたのだろう。 「静め。俺から逃げれると思ってんのか」 心はこれから起こるであろう戦争に、舌なめずりをした。 眞澄は携帯を握りしめ、ベッドの上で固まっていた。空調の行き届いた部屋に居るのに、額には汗が滲んでいる。 静さえ手中に入れば心を翻弄出来ると思っていたのに、翻弄されるどころか意気揚々と電話をかけてきた。確実に、眞澄の手中に静があると解っているにも関わらず。 眞澄が静に危害を加えるとは、思っていないのか?いや、もうそこではないのだろう。 殺るか殺られるか。心の頭にはそれしかないのだ。 「クソッタレ…」 眞澄は頭を抱えた。 御園の言うとおり、これは踏み入れてはいけない心の領域だったのか。 だからとて、今更、引くわけにはいかない。こうなれば全兵力を使って心を潰すだけ。 思うやいなや、眞澄はベッドから飛び降り部屋を出た。 暗い廊下の板の間は、眞澄が歩く度に撓んだ音がする。世紀を跨いだ家屋は、あちこち奥ゆかしい古屋の顔を覗かしていた。 眞澄はその古めかしさが好きではなかったが、自由に出来る屋敷がここしかなかったので仕方なく身を置いていたのだ。 廊下を進んだ奥、少し分かり難い場所にある部屋の襖を、声を掛けることなく乱暴に開けた。 真っ暗な部屋の中央に敷かれた布団がゴソゴソ動き、白い腕が布団から顔を出すと、畳の上に置かれた携帯を手探りで探し当て掴むと中に戻っていく。 誰かが部屋に入って来た、その”誰か”を確認するよりも時間を確認する辺りはこの男らしいが、こんな非常識な時間に乱暴に襖を開ける人間が屋敷には一人しか居ないと分かっているくせにと眞澄は舌打ちした。 「はぁ?坊主やてまだ寝てんで」 携帯で時刻を確認したのであろう御園が、眠たさを醸し出した声を出しながら布団から顔を出した。 「このくそ暑いんに、布団を頭まで被るんやめぇ」 眞澄は部屋に入ると襖を閉め、御園の包まる布団をパシリと叩いて腰を下ろす。 「眞澄、それ言いに来やはったやけなら潰すえ」 御園は起き上がる気もないらしく、布団の横に座る眞澄をチラリと見るだけだった。 「…心から電話来た」 眞澄の言葉に御園は片目を開けると、また目を閉じた。何をどうしても、起きる気は皆無らしい。 「さよか。ほんで、何て?」 「明日来るて…。静返せって……」 「ふふ…バレとるし。怒ってはった?」 御園は動じることもなく、呑気に眞澄に聞いてくる。だが御園とはこういう人間だった。 寺院の息子とは名ばかりではなく、御園の実家は正真正銘の寺院だ。それも歴史と由緒のある、名のある寺院の。 御園自身も現在も住職に就いている厳格な父親に説法を叩き込まれた経歴があるせいか、幼い頃から心身ともに鍛えられて来た男は感情の起伏が波のように静かだった。 感情のコントロールが上手いのか、それとも持って生まれた性格なのか、知り合ったときにはこうだったので知る由もない。 「…怒り頂点」 「せやろなぁ…。心はんは沸点低いし、北斗も案外短気やしなぁ…。ほして、どないするん」 覚醒しているのかさえ怪しい声で、御園がボソボソと言う。眞澄は顎を撫でながら、何か考えている風だった。 「親父に兵隊、借りに行く。こうなったら心潰すだけや」 「…無理やて」 「あぁ!?」 御園は仰向けになると目を腕で覆い、ゆっくり続ける。 「心はああ見えて義理堅い男や…。いきなりあんはんと交えようなんか、思うたはらへん。オヤジに直談判に行っとるはずや。殺させてくれて」 「御園!お前、親父がワシを売った言うんか!」 激昂して声を荒らげる眞澄に、御園は目も向けずに長嘆した。 「あんた、オヤジに許可なく静攫うてしもてるやん…。オヤジなんか寝耳に水やで。そへんなんで心があんたを殺すって言いに来やはったら、”うん”言うしかあらへん。組長たる人間が下の人間の仕出かした事知りまへんどしたなんぞ、恥やで。仁流会会長代行のイロ攫うた時点で、あんはんは下剋上しでかそうと目論んでるんやて。やて、俺はやめとき言うてん」 「…くそっ!ここにおる奴らじゃ頭足らん!」 頭を抱える眞澄を、御園は眠気眼のまま見た。 ”だから言ったのに”なんて言ったところで、もう何もかも動き出している。 とどのつまり、どれだけ後悔しようが、もし”ごめんなさい”などと言ったところで心が眞澄を許す訳がない。 動き出した獣を止めれる人間なんて、誰一人居ないのだ。 「どこぞ誘いかけてみる?鬼塚潰すんでやりまへんかて。まぁどこもイヤや言うやろな。何せ相手が心や。あ、明神のとこの万里くらいやないか、やる言うん」 「あかん。アイツは心と仲がめちゃくちゃ悪い、やて、同時に俺とも悪い」 「せやなぁ。明神はあんはんとも仲悪かったなぁ…。ほな、やっぱり俺らだけやな」 御園はクスクス笑って、布団を捲った。 「修行僧やないんやさかい、もうちぃと寝ましょ。何やかんや言うても、心かて鬼塚組の人間全員引き連れて来たはるとは限らん。心ほど己に過信しとる奴は、我らだけでいけるってそない頭揃えて来てへんかもしらん」 「…来てたら?」 眞澄の問いかけに、御園は相変わらずの眠気眼で眞澄を見ると、フフッと笑った。 「来るべき時は来たと思えば、頭数なんてどないやてええ。ほら…早ようし。寝れんくなるわ」 御園は眞澄の腕を引っ張ると、その長い身体を布団に転がした。 男二人。しかも、長身な眞澄が入るとダブルの布団もなかなか窮屈だ。だが、御園は眞澄の腕にひょいと頭を乗せると、早々と寝息を立てだした。 逼迫した状況でも御園は何も変わらない。余裕があり焦りがない。 それを見ていると、案外、いけるかもしれないと錯覚してくるのが不思議だ。 すやすやと寝息が聞こえる。眞澄はそんな様子につられ、欠伸を一つ…。 そして傍らに眠る御園の吐息に合わせるように、眠りについた。 朝、静は目覚めるといつもより外が騒がしいなと感じた。 いつもは静の居る奥のこの部屋まで聞こえない足音や声が、今日はやけに大きく聞こえてくる。 「うるさい…」 静は起き上がると、徐に首を回した。変に薬で眠ったからか、身体が重くて頭も覚醒してこない。 正直、自分がここに来て、どれほど日にちが経ったのか分からなかった。暁も心配してるだろうし、母親にも会いに行っていない。 ふと、あの豪華な病室のベッドに座る母を思い出した。 心に自らここに来たと言い、更に迎えに行くという申し出を断った以上、心はあの病室を引き払っているかもしれない。 そして対価の払えなくなった静の代わりに、妹にターゲットを変えたかもしれない。 大多喜組からの借金を肩代わりしてもらったのは事実だし、契約書にもサインをした。なので静は心の許可なく何処かへ行く事は、契約上は違反行為だ。 それを心が面白く思っていないのは、心の性格上、免れないことだろう。 だが此処へ心に迎えに来てと一言言ってしまえば、知り合いの家に迎えに来るのとは訳が違う。 確実に戦争になる。絶対に、あり得ると言ってもいいほどだ。 同じ会派の極道とは言えど、心の部下である成田を暴行したのだ。それこそ完膚なきまでに。 それだけでも恐らく大事件だろう。 それに心は、自分の所有物と決めたものに手を出されるには、何よりも嫌う性格だろう。 「俺、何処へ行っても”物”扱いなんだな」 大喜多組もそうだ。最終的には借金の払えなくなった自分を何とか男娼にしてしまおうと、無理難題ばかり押し付けて来た。 結局、それだけの価値の男なんだろう、自分は。 色んな事がありすぎてネガティブになっている事に自嘲する。すると襖が開き、御園が姿を現した。 相変わらず、極道というよりは大学生という出で立ちだ。そして全身が脱力しているかのように、ふにゃっとした雰囲気。 そんな御園を見ると、釣られてこっちの気までもが抜けてしまう。 顔立ちはとても良いのに、その気の抜けようが何もかも一蹴してしまうほどだ。 「おはようさん。悪いけど着替えてくれはる?出かけるによって」 御園はそう言うと静に紙袋を手渡した。チラッと中身を覗けば、それは静の着替えだった。 「何かあるのか?騒がしいけど?」 「ああ…。お客はん来はるさかい、準備しよるんよ。静の知らん人やさかい、気にせんでええよ」 御園はそう言うと、にっこり微笑んで部屋を出て行った。 御園は静にとって謎でしかなかった。威圧感もなければ、虚勢を張る事もない。 外見にしてみても誰も極道とは思わないだろう。いや、外見どころかどこからどう見ても御園は極道とは程遠い。 気の抜けそうなゆったりとした口調に似合う京弁と、穏やかに笑みを浮かべる口許。全て、極道を連想させるには無理があり、なぜ極道なんてものをしているのか全く理解出来ない。 何らかの事情があるのか、それとも本性を隠しているのか…。 「どっちにしても、変な奴…」 静は誰に言うわけでもなく呟くと、紙袋から着替えを取り出した 着替えを済ませると、布団を畳み軽く部屋を掃除する。窓から見える枯山水はいつ見ても見事で、静はぼんやりそれを眺めていた。 「こしらえ終えたん?」 急にかけられた声に静が飛び上がる。振り返れば、そこには御園が立っていた。 「びっくりするだろ、気配、隠すなよ」 「堪忍ね。あーあ、あんはん色白いさかい痣が痛々しいわ。どもない?」 御園が静に近付き、静の前に座ると指で口端を撫でた。刹那、ズキッと小さな痛みが走り、思わず顔を顰める。 「別に馴れてる」 静はその手をやんわり払い除けると、小さな痛みの残る口端を手で拭った。 大喜多組のチンピラは、何かあると暴力で力を誇示してきた。まさに”暴力団”の名の相応しい輩達。 この位の傷には馴れていたのは、本当の事だ。 「心はんは、あんたを殴ったりせんかってんねぇ」 「……」 “心”の言葉にツキンと胸が痛み、痛みの理由が分からない静は首を捻った。 確かに心は、そういう事をしなかった。何事にも無理強いはしなかったし、眞澄の様に怒りに任せて暴力を振るう事も声を荒らげることもなかった。 それよりも反対に、静の方が喚き散らしていた印象だ。 得手勝手で傲慢知己な俺様だったが、理に適った行動をしていたように今は思えた。 「ほな行こうか」 「どこに…?」 「観光したあらへん?」 「はぁ?」 御園の言葉に、静は耳を疑った。 自分の置かれたこの状況からして、どう考えても呑気に観光等している場合ではない。言わば”囚われの身の上”なのに、一体何を考えているのか。 「京都、来やはったことあるん?」 「ねぇよ…。ってか、人攫っといて観光って何だよ」 「やて、暇やろ?残念やけど、眞澄は今日は忙しないねんなぁ」 「…何、考えてんだよ」 安閑とした日を送る気はさらさらない。自分の人生を投げやるつもりはないが、懐柔されるつもりもない。 まして観光旅行に来たわけでもないし、京都を満喫しに来たわけでもない。 一体、御園は何を考えているのか。静は目の前の御園を睥睨した。 「なぁーんも考えたあらへんよ。静は案外、疑り深いねんなぁ」 フフッ…と笑って、御園は訝しむ静を連れて部屋を出た。

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