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第26話

間もなくして、ガチャっとドアが開きいつもと変わらない気怠そうな御園が現れた。御園は疲れたーと声を上げ、眞澄を見ると微笑んだ。 「おまっとーはん。あんまりの渋滞にクラッチ滑るか思うたわぁ…。ほれ、お土産」 御園はテーブルの上に包みを置くと、眞澄の前に腰を下ろした。 「何やこれ」 「団子…。食べたいって言わはったやろ??」 御園の飽きれる様な言葉に、眞澄は嘆息した。 ”食べたい”だなんて一言も言ってはいないし、状況を考えれば団子など嗜んでる場合ではない。それでも御園はそんなの関係ないとばかりに、食わんの?などと聞いてくる。 「…静は?」 眞澄が溜め息とともに聞くと、御園は手を扇ぐ様に見せた。 「便所…。車に酔うてなぁ…可哀想に吐いとるわ」 「誰か付いてんのか?」 「但馬がついてるさかい。あー、しんど」 御園はソファーにゴロンと寝転がると、目を閉じた。 「寝んなよ」 「寝んよー」 全く緊張感のない男だ。だがこの緊張感のなさが、逆に眞澄の昂った神経を緩ませた。 「失礼します」 声と共にドアが開かれ、顔面蒼白の静と但馬が現れた。静は本当に具合が悪そうで、今にも倒れそうだ。 「あらら…。ほんま、どもないかいなぁ…。山道やったさかいねぇ」 御園は起きあがると、静の腕を引き自分の隣に座らせる。安っぽいソファは、静と御園の体重で今にも潰れんばかりにギシギシ音を立てて鳴いた。 血の気のない顔色の静は、チラリと眞澄を見ると口元を拭った。 「…御園」 眞澄は具合の悪そうな静を気にする事なく、真山に合図した。すると真山が黒い物体をポケットから取り出し御園に渡した。 「何やの自分ら。酔うて気持ち悪い言うてるんに…。静、堪忍え」 御園は一言そう言うと、静の細い両手を手に取る。何が”堪忍”なのか分からずに、静は御園の顔を見た。 御園はその静の細い手首を擦ると、フフッと笑った。 ガチャン…。生まれて初めて見て、生まれて初めてかけられた手錠。 冷たいそれは、ズシリと腕に重みをかけた。 「はは…お前ら、バカじゃん」 「せやねぇ」 御園は静の手をゆっくり自分の両手で包むと、にっこり笑った。 「心がお前を奪え返しにくるかは知らん。ただ、あいつの我がのもん取られたない性格考えたら…」 眞澄はテーブルに足を乗せると威丈高に言い放つ。 そんな眞澄を、気分がすぐれず青い顔をした静が鼻で笑った。 「お前さ…。あいつと俺が、ヤッてるみたいに言ってたよな?味見してこいって言われたって」 「それが何や」 「俺とあいつは、お前らが考えてる様な事は何もしてねぇよ?」 「え?ほんまに…寝てへんの?」 口を挟んだのは御園だ。相当意外と言わんばかりの顔だが、こんなこと嘘を言ってどうなる。 「ああ…だから見当違いだ。あいつが俺を奪い返しになんてな…。もしあるなら、成田さんの敵討ちだよ」 ククッと眞澄は笑うと、静の胸ぐらを掴み寄せた。喉が閉まり気持ち悪さが増す。 だが静は眞澄から目を離さずに居た。睨み合ったまま微動だにしない二人の間で、腕にかけられた手錠がジャラリ、音を奏でた。 「ヤル前に攫われて、しかも相手は何も分かっとらん。ちょい心に同情するわ」 眞澄は静を乱暴にソファに倒すと、フンッと鼻を鳴らした。 「心はん、いつ来よるんかねぇ。俺、今日観たいテレビあるさかい、早よう帰りたいわ」 御園は場違いな事を言いながら、静の膝に頭を置くと猫のように擦りついた。 危機感も緊張感も何も微塵もない。これには、さすがの静も呆気にとられた。 「やる気出せぇ。どあほうが」 眞澄がそう言って舌打ちをした刹那、ドドーンッ!!と床が揺れる様な振動と爆音が響いた。 「なんや!」 眞澄が事務所の窓に駆け寄り外を覗くが、外は粉塵が舞い真っ白で何も見えない。ただ、眞澄の部下が慌ただしく走り回っている影だけが確認出来た。 古い事務所がギシギシと危うい音を鳴らし、御園もさすがに起き上がった。 「若!」 組員が部屋に飛び込みドアを閉めた。黒いスーツは、真っ白になり外の状況が凄まじいものだと物語る。 「何や!どないなってんねん!」 「車がっ!車が飛びよったんです!何ぞ仕掛けられてっ…」 「…っ!あのクソガキ…!御園!静、よぉ見とけ!」 眞澄は御園にそう言うと、組員達と部屋を飛び出した。 自然に心拍数があがる。初めて聞く爆音と、地を這う様な地鳴りに揺れ。 心が来たのか…? 「…さて」 御園は立ち上がると、無造作に置かれていた鞄を手に取り中を漁りだした。 いつもと同じで、いつもとは違う、そんな空虚な感じに静は違和感を覚えた。 「……っ」 フッと御園が振り返る。そして静に向けられた黒い鉄の塊。そのグリップを握る、いつもと同じやる気のない御園の顔がアンバランスで思わず息を呑んだ。 「ほんまもん見たことある?」 ただ向けられているだけなのに、その拳銃に思わず身震いした。それらしい物を大多喜組で見た様な気もするが、こうして向けられたのは初めてだ。 「…ない」 「あら、ないん?おもちゃみたいやろ?こっから出るちぃこい鉛の玉が頭をぶち抜けば、脳味噌飛び散る。避けて顔に当たれば、顔が抉れる。なしてこへんなもんあるんやろうねぇ?こないなもん作り上げた人、何を思いはったんやろうか?」 「何よりも恐ろしきは人なり。何かで聞いたことあるぜ」 「やねぇ。怖い?」 「怖いね。さすがに」 「あんはんの素直なん、ほんま好きやで」 バンッ!という衝撃音に身体が震えた。撃たれたと思ったが、そうではなく御園の背後のドアがぶち抜かれた音だった。 ドアが大きな音を立て倒れ、うっすらと人影が見えた。 「あら…ナイトはあんはんかいな。ナイトなら馬に乗って颯爽と現れてぇな。ドア蹴破ってどへんしはるん」 御園は静の手錠を掴み上げ立たせると背後から身体を押さえ込み、こめかみに銃口を押し当てた。 「…本当に、つくづく鼻につく男だ」 「相馬…さん」 そこには、いつになく凜とした姿勢で立つ相馬が居た。 粉塵が落ち着く中、パチパチと燃える車体に眞澄は眉を顰めた。黒煙が日が落ちようとしている空に昇る。 確実にこの敷地内に心は居る。正々堂々と言うべきか、ソッと奇襲をかけるのではなく、派手にあからさまにここに居ると言わんばかりの攻め方は心の専売特許だ。 ジワリジワリと襲うのは、ものぐさな心の性格からすれば面倒なのだろう。こんな時まで、そんな性格が出るのは心らしいなと眞澄は思った。 「あたり探せ!固めろ!」 真山が組員に指示を出し、組員達がわらわらとあちこちに散らばった。 真山の顔に焦りの色が伺える。眞澄はそれを横目に見ながら、大きく深呼吸した。 遂にこの時が来た。もう戻れない。 あの心を相手にするのだ。それ相応の覚悟をしておかなければならない。 「ぎゃぁぁぁぁああ!!!!!」 「うぁぁぁぁああ!!!!!」 眞澄が覚悟するのに合わせる様に、倉庫の中から悲鳴が聞こえた。その悲鳴に眞澄も真山も身体を震わせた。 複数のそれは止む事は無く次々と聞こえる。眞澄は一瞬、息を呑んだが、弾かれる様に身体を前に押し出した。 「何や!!」 悲鳴のする方へ駆けつけてみれば数人の組員が倒れ、その中に男が見えた。 スラリとした身体に、埃立つ中に見える顔。ダークグレーのスーツは乱れなく、その場に酷く不似合いな艶麗な顔をした男は眞澄達を見るとにっこり微笑んだ。 「さ…崎山」 眞澄と真山は驚愕した。 崎山の足下は砂埃が引き、まるで真っ赤な絨毯を敷いた様に赤かった。それが血だと分かるのに、時間はかからなかった。 「こんにちは…。あ、こんばんはか。成田、可愛がってくれた御礼に伺いました」 崎山はゆっくりと腰を下ろすと、転がる男の腕を徐に取った。 最早、虫の息の男は小さく唸ると、怯えた様な瞳を崎山に向けた。 顔は原型をとどめない程に殴られ、離れた場所に居る眞澄からも、その惨たらしさは鮮明に見える。 助けてやらなければと思うのに、眞澄も真山も身体がビクとも動かなかった。 眞澄達の後ろには他の組員も集まってくるが、どの組員も何が起こっているのか分からない様子だった。 それもそうだろう。ここに居ることが場違いなほどに、崎山は極道には程遠い容姿の男だった。身体つきも華奢で顔立ちは女のように柔らかく、妖艶だ。 間違えて紛れ込んでしまったと言っても通りそうな、それほどにこの情景とは不釣り合いなのだ。 鬼塚組は謎の部分が多い。 心が組長に就任してから、それまで居た幹部連中を二次団体へごっそり移動させた。 元々、心が組を継ぐのに反対していたような連中なので、そこは大きな反発もなく表向きは穏便に済んだ。 なので今、鬼塚組を形成している幹部連中は心が独断と偏見で決めたと言っても過言でない様な人員で、尚かつ、その数多い組員の中、心や相馬の直属の舎弟は少なく、その正体もあまり知られていない。 眞澄でさえも数人の舎弟の名前を知ってる程度で、全てを把握している訳ではなかった。 その中でも崎山 雅という男は、この世界に居る事が不思議な容貌を持つ男だった。 先代の頃から幹部である男の右腕としてその手腕を発揮し、怜悧な頭脳をもって鬼塚組を大きくすることに貢献してきた。 だが崎山は見かけによらず冷酷非道で、恐ろしいまでに武勇に優れた男だとも噂されている。それを証拠に、眞澄の屋敷に居た幹部を残酷なまでに打ちのめしている。 「…チッ。爪が折れた。ああ、こいつの指輪だ。だから男の装飾品って嫌いなんだよね」 崎山は呟くと、腕を掴んでいた男の指に嵌められた指輪を触る。男は、情けない顔で涙を流しながらガタガタ震えていた。 短時間、ほんの短い間にこの男は崎山に何をされたのだろう?崎山よりも厳しく身体の大きな男は、掴まれた腕を振りほどくことも出来ずに怯えていた。 崎山はそんな男の顔を見て妖艶な微笑を浮かべると、何の躊躇いもなく、まるでそれが本来あるべき状態の様に男の肘を反対側に曲げた。 「ぎゃあああああああ!!!!!」 ゴキッという鈍い音と、男の悲鳴。その見てくれからは想像出来ないほど残酷に躊躇いもなく腕を折る崎山に、周りの組員が戦慄いた。 「ね、どうする?まだやる?俺は全然構わないけど?」 「な、何しとる!相手は一人やぞ!かからんか!」 真山の声と共に組員がハッと我に返り、一気に崎山に向かっていく。 崎山は、そうこなくっちゃと呟き、男の折れた腕を離すと思いっきり踏みつけた。男の悲鳴と組員達の怒涛が混ざり合い、崎山が艶かしく笑った。 鬼塚組若頭、相馬の右腕といわれる崎山 雅。これが鬼塚組の力かと、眞澄はギリッと奥歯を噛み締めた。 ここには一体、何人の鬼塚組の人間が来ているのか。 心は大勢で押し寄せるような人間ではない。自分の周りに置いている人間の数も、あの規模の組にしては少ないのだ。 少人数だとしても、恐らく全員が崎山クラス。 眞澄は倉庫の中に視線をやって、唇を噛んだ。多勢に無勢。数だけで言えばまさにそれのはずだが、崎山は舞うかの如く組員達を倒して行く。 一切、迷いのない動きは武道を心得た者のそれで、崎山一人の存在だけでも眞澄達は危殆に瀕していた。 機械の如く正確に確実に相手の急所を突く。肩を外し、喉に拳を入れ、膝を蹴る。 少ない攻撃で組員達は叩きのめされ、崎山の足下に転がった。 「つ、強い!」 真山が驚いた声をあげた。ただの組員では相手にならない。恐らく崎山は、眞澄や御園でなければ倒れないだろう。 心の舎弟に対して、若頭の眞澄や御園が相手をしなければ勝てない現実。圧倒的な力の差。 これが心の力であり、鬼塚組の強さ。 そう、分かっていた。あの組を、あの年齢で継ぎ纏め上げた心の実力。 だが、それを認めるわけにはいかなかった。 その認められないで居る自分の弱さの結果が、今、如実に現れている。 だが今更、後悔しても遅く、走り出した状態で止まるわけにはいかない。 これは下剋上。もう、戻れない所まで来ているのだ。 「こないなとこで終わられへん」 ならばと眞澄は銃を取り出した。真山がハッとした顔で眞澄を見たが、眞澄は何も言わずに構え、崎山に標準を合わせた。 静を攫った瞬間に心に牙を剥いた。今更、悪かったと詫びる気も許してくれと乞う気もない。それなら行くとこまで行ってやる。 眞澄は意を決して、トリガーに指をかけた。と、ヒタり…。氷の様に冷たい物が首に添えられた。

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