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第27話

「後ろは、よぉ見とけ」 低い声が、笑みを含んで眞澄に届く。 「…心」 眞澄の声に隣に居た真山が振り返り、ヒッと悲鳴を上げた。 首に添えられた重く冷たい物は、眞澄の視界の端にも入ってくる。眞澄の顔を映すくらい見事に磨き上げられた刀は、ギラギラ光り眞澄を捕らえていた。 「相変わらず、好きやなぁ。お前は侍か」 「お前の血ぃが噴き上がるんも、見物やろ?」 トンッと刃で肩を叩かれ、眞澄は息を凝らせた。 心の酷薄さは眞澄もよく知っている。恐らく確実に心の殺意は本物だ。 だがそんな危難に遭いながらも、眞澄はフッと笑った。 「わしの血ぃなんか見て、どへんする?悪趣味やな」 「俺の猫…勝手に持ち出して、悪趣味はどっちや」 「ふふ、おいしゅう頂きました」 眞澄が言うと、心は背後から眞澄の背中に膝を入れた。背骨が折れたかと思うほどの衝撃に、眞澄の息は止まり膝を着く。 蹴られた時に身体が動いたせいか、首に添えられていた刀が肌を裂く。その熱い痛みに、眞澄が顔を顰めた。 隣の真山は咄嗟に腰に差した拳銃を抜き取ると、心に向けた。だが心は俊敏に眞澄の首に置いていた刀を、真山の太腿に突き刺した。 「ぎゃああああ!!」 悲鳴が空に向かって上げられる。ドクドク流れる血は、土の地面を見る見るうちに汚していった。 「邪魔すんな。俺は邪魔されんのが一番嫌いじゃ」 心は真山の太腿から刀を抜くと、傷口を押さえて踞る真山の顔面を蹴り上げた。血飛沫を口から吐き出しながら、真山はそのまま後ろに倒れた。 「…心、おどれ…」 膝をついたままの眞澄が、心を下から睨みあげた。 そんな眞澄に心は口角をあげてニヤリと笑い、血のついた刀を振り下げた。空を切った刀は、地面に真山の血をまき散らす。 「お前が成田にやったことと大差あらへん。あれがおらな、うちの車整備するんがおらんやんけ」 心は相変わらず涼しい顔をして言い放つ。 舎弟の成田を病院送りにされ、静を攫った事を怒っているのか?眞澄の狡猾な手段に怒っているのか? その表情から読み取れるものは、何一つなかった。 「内紛決定やな…わし殺したら親父もさすがに黙ってへんぞ」 「会長補佐の俺と、京都統括長の鬼頭組の若頭のお前…。秤に掛けたら、どっちが重たい?貴様の後始末に、鬼頭組破門にしてもええんやぞ」 「おどれの叔父貴やぞ…」 「それがどないした。血の繋がりより盃の繋がりいうて、お前は親父に習わんかったんか」 意外に饒舌だったんだなと、眞澄は妙な感心をしてしまった。喋ることすら煩わしいというような男は、眞澄とさえも言葉を交わすことは少なかった。 普段、人と会話をしない男は語弊能力が低いかと思っていたが、よく考えてみれば心の側近の相馬は言葉の魔術師の様な男だ。 その相馬と常日頃からつまらない言い合いをしている心に、いくら京都出身で言葉遊びに長けている眞澄でも敵う訳がない。 力量も器量も、何もかも劣っているというのか。ある日、突然湧いて出て来た、この男に。 「…素手じゃ」 「ああ?」 ゆらりと眞澄が立ち上がる。膝を入れられた背骨が痛んだが、眞澄はその痛みを拭う様に頭を振った。 何か一つ、何か一つくらいは心よりも勝るものがあるはずだ。 「素手で勝負せぇ」 眞澄の言葉に心は犬歯を見せて笑うと、地面に刀を突き刺した。 「お遊びがすぎたんじゃないですか?あなたも眞澄さんも」 地を這うような相馬の声に、御園の腕の中で静の身体が小さく震える。 いつも紳士的で穏やかな相馬が、まるで別人だ。そうか、これが極道の相馬の顔なのかと、改めてその世界の人間だということを思い知った。 部屋の外では轟音と我鳴り声が聞こえる。一体、何が起こっているのだろうか不安で視線が彷徨う。 「難儀やなぁ。そへん怒りなや。静がビビっとるやへんの…。可哀想に」 「そんなものを頭に突きつけといて、よく言えるな」 相馬が冷笑する。 確かにそうだ。可哀想にと言うならば、自分が突きつけている物騒な物は何と説明するのだ。 自分の事は棚に上げてなんとやら。静は身体を捩ったが、思いのほか強く抱かれた身体は御園の腕から逃れる事は出来なかった。 上背も心や眞澄、相馬の様にある訳でもなく肉付きも細身だ。なのに静の身体はビクリとも動かなかった。 「せやなぁ。あ、心はんはどこや?眞澄のこと捕まえたやろなぁ」 「…さぁ?あれはあれで、こういう時は首に縄をつけても、縄を噛みちぎって自由にする人間だからな」 「困った大将や…あんはんなら止めれるやろ?静、返すさかいに、眞澄に手ぇ出さんといてくれへん?」 「何を今更。そんな早々に白旗か?」 「組の大義名分なんか、どないやてええ。俺は眞澄を守るんだけが仕事や。あんはんには無い忠誠心やな…聞いてくらはるやろ?」 「断れば?」 「引き金を引くだけや。あんはん、俺の性格分かったはるやろ」 「……」 「あんはんと俺、似とるさかいな。静は好きやけど、何事も犠牲はつきもんや」 コツリと顳かみに冷たい凶器が当たり、静は息を呑んだ。目の前の相馬は涼しげな表情だが、どこか厳めしい顔を見せる。 狭い部屋の中、三人の間に流れる何とも言われぬ空気に自然と心拍数があがり、吐き気まで催してくる。 修羅場をくぐり抜けてきたつもりでは居たが、こうして、まるで身体の一部の様に命を奪う物を突きつけられた事は皆無だ。 御園は静に殺すと宣言した。御園の人差し指一本で、静の命は散るのだ。 「子供の喧嘩じゃあるまいし。成田の件もあるからな。はい、ごめんなさいで済むなんて思ってないだろ?」 「せやなぁ。俺はおらんかったさかい、無茶しはったん止められんやった…。それは俺の責任や。やから、心はんに言うたらよろしいわ。俺の命で堪忍してって」 「ちょっ!待てよ!」 思いもしていなかった話の飛躍に、静は驚いた。 だが口を挟もうとした静の顳かみを、御園は拳銃で抉る様に力を入れた。小さな痛みに静が顔を顰める。 相馬は長嘆し、何かを考える様な仕草をみせた。 「お前の命で?」 「安いか?鬼頭組若頭補佐やで?ええ買い物や思わん?」 「鬼塚とやり合う気はないと?」 「ハハッ…俺は端からあらへんし。眞澄は心はんを気に入らん言うたはるけど、俺からしたら、どないでもええんよ。そへん面倒なんは好かんさかい。それに心はんとなんかやり合うたら、命いくつあっても足らへん。名の通り、あん人は鬼やさかいな。今更、堪忍え言うて、あん人が堪忍してくらはるなんて微塵も思わへん。せやから静は返すし俺の命もあげるさかい、眞澄を堪忍したって」 静からは御園の表情は見えないが、その声は実に楽しそうに聞こえた。 そこまでして、御園は眞澄を守りたいのだろうか?それが極道の忠誠心というやつだろうか? こうなったのも全て、眞澄の勝手な行動ではないのか?御園はそこまでして、眞澄を守らなければいけないのか? 静は理解出来ない極道の忠誠心とやらに、考えを巡らしていた。その静の顔を、離れた場所に居る相馬がジッと見据えていた。 「静さんの口元、変色してるな。殴ったのか?」 相馬は静の口元の痣を目敏く見つけた。 もともと肌の色の白いから余計に目についたのだろう。この緊迫した状況の中、相馬は静の身体を隅から隅までチェックしていたのだ。 静の顳かみに当てられている物が、どういうものなのか感じさせないほど相馬は冷静だった。 「…ああ。言うこと聞かんさかい、俺が殴った」 御園の言葉に、静がビクッと身体を揺らす。 静を殴ったのは眞澄だし、御園は眞澄から静を守ったくらいだ。なのに何故…。 「眞澄を助けるために静を殺したろう思ったけど、心はんのまだ誰も触れたことない逆鱗に触れるんは、あんまり仁流会にとってもプラスやなさそうやし」 「そこはまだ利口か。そうしてもらうのが賢明だな。あれが暴走しだすとどうなるのか…仁流会を潰すことになるからな」 「ほな…」 御園は静の顳かみから銃を退けると、静の拘束を解き、軽く静の身体を押した。 ずっと御園に抱きしめられていたせいか何の拘束もなくなった身体は、どこか空虚感に襲われた。 「ちゃんと心はん止めてや」 御園はニヤリと笑うと、自らの顳かみに銃を当てた。 静は振り返り、その状況を目の当たりにした時、思考よりも先に身体が反応していた。 「やめろ!!!!」 御園の構える銃を、静が御園の手と銃を一緒くたに両手で掴んだ。その光景に相馬がギョッとした。 「静さん!!」 「阿呆!危ない!!離さんかい!!」 御園が慌てて、静に掴まれた手を振り解こうとする。揉み合う二人に相馬が駆け寄ろうとした瞬間、ガーンッ!!と鼓膜を潰すような銃声が部屋に響いた。 そして、ズルズルと御園の身体から静の身体が崩れ落ちていった。 「静!!!」 「静さん!!!」 「がはっ…」 地面が赤黒い染みで彩られる。眞澄は血を吐きながら、地面に這い蹲った。 初めて合わせた拳の衝撃は、想像を絶するものだった。重み云々より、内臓を外側から抉り取られるような、拳その物が刃物のようだった。 ゼェゼェと肩で息をする眞澄と違い、心は息一つ乱していない。眞澄の振るった拳をわざと受け、ニヤリと笑った心を見た時の眞澄の恐怖は計り知れない。 「もう終わりか?」 立ち上がろうとしない眞澄の前にしゃがみ、心は溜め息混じりに言う。つまらないという顔をする心に、眞澄は生まれて初めて怯えた。 心は誰も知らない存在だった。眞澄の父、信次でさえも知らない存在。 そんな男がある日突然現れ、鬼塚組を継いだ。初めて逢った時から、何もかもに無気力なやる気のない男だと思った。 だが今はどうだ。水を得た魚のように生き生きしている。 眞澄を殴り、眞澄の身体から血が流れる度に心は愉悦に酔っているようだった。 まさに鬼。心は極道に成る可く生まれた様な男だと、眞澄は思った。器量が違うとは、そういうことか…。 「心…」 「喧嘩売ってきた割には、骨があらへん。まあ、ええ退屈しのぎにはなったなぁ。静の事を除けば…」 何事も退屈だと口癖のように言ってきた心は、もはや起き上がれない眞澄の頭を軽く叩く。 「わしがオマエに…牙、剥いたん…気に入らんか」 「何?」 「いつまでも…鬼頭が、鬼塚の…コマでおる思うたんか?」 ゆくゆくは鬼頭組を継ぐ眞澄。だがその上にはいつまでも心は居る。組を継いだとしても心が居る限り、眞澄は心の駒でしかないのだ。 「やからこんな暇な事したんか。ご苦労やなぁ。コマやなんやて、そういうのんは俺は興味あらへんから分からん」 どこか感心する様な言い方の心に、眞澄はやっぱりなと大息をついた。 いくら鬼頭組は京都統括長と言えども、どう考えてもこれは内紛だ。なのに心は、それに対してはまるで他人事だ。 やはりこの男は仁流会の未来などに興味はないのだ。 この得手勝手な男は、興味がなくなればいつでも幕引きをするのだろう。ここは極道の世界で、そんな子供の様な我侭は通じないとしても心は確実にやり通す。 仁流会と戦争になっても、涼しい顔でそれを受けて相手を殺して行くのだろう。 そう、心は自分が通る道に邪魔な障害が現れれば、それを排除していくことしか考えていない男なのだ。組など関係がない、話し合いなんてものは選択にはない。 自分が邪魔だと思った人間は、誰であろうと排除するのだ。放逸的な男は、いつどんな時でも自分の決めたルールで動いていた。 「けったくそ悪い男や」 「眞澄、血縁者のよしみで選ばしたる。右か左か」 心はそう言って立ち上がり、地面に突き刺した刀を手にした。 沈みかかった夕陽が刃に反射し、刀は血を吸ったように赤く不気味に光っていた。 「…腕か」 「まずは腕や。五体満足で帰れる思うたか?俺に喧嘩売って?」 「わしは…お前が好かん。右も左も、腕やて足やて持って行け。…命もくれたる」 口の中に血が溢れ、喋る度に激痛が走りうまく喋る事が出来ない。眞澄は何もかも諦めたように、目を閉じた。 だが刀は眞澄の身体を切り刻む事なく、眞澄の顔の横に突き立てられた。目を開けると、その磨き上げられた刀に自分の変形した顔が映し出される。 心はいつでも銃を使わない。それは極道には多い事で、ドス等刃物を使う者は多い。足がつかないようにするためだ。 しかし心は他の極道とは違う理由でそれを使う。それは血飛沫がただ好きなだけということ。 鬼塚組組長に就任するにあたって、敵対する組の組長の首を戦国時代の武士の様に跳ねてきたという話は有名だ。 心は本物の鬼であり、悪魔なのかもしれない。そんな事を考えていると、ゴツっと冷たく重い物が眞澄の頭に押し付けられた。 まさかと思わなくとも、それは拳銃だった。どこから持ち出したのか、リボルバーS&W M19。 心は銀色に光るそれを、眞澄の頭にコンコンとぶつけながら何かを考えている様だった。 「あんま好かんねん、これ。こんな小さい弾が身体に入って死ぬって、どっか損した気分ならへんか?同じ死ぬなら刀で切られた方が死ぬ方も死に甲斐があるしな」 「…オマエは血ぃ見たいだけやろうが」 「ああ、血?そうやな。刀で切った断面はえげつないほど綺麗なん知ってたか?骨の白さと肉の赤さ。でも血はどこかどす黒いねん」 心は言いながらリボルバーの回転式弾倉を開けると、弾を取り出した。そしてそれを投げ捨てると、一発だけ弾をこめた。 「俺とオマエ、地獄に堕ちるんはどっちが早いかな?」 「…何やて?」 心は弾倉に掌を当てると、勢い良く弾倉を回した。銃器独特の音が響き、一体何をするつもりなのか眞澄は息を呑んだ。 「遊ぼうや…まず、俺からや」 心はそう言うと眞澄を蹴飛ばし仰向けにして、そのまま眞澄に馬乗りになった。 散々、痛めつけられた身体に遠慮なく乗られ、激痛が走った。 「何、する…気や」 「game start」 心は眞澄の質問に答える事無く銀色のリボルバーを顳かみに当てると、ニヤリとゾッとする様な笑みを浮かべて引き金を引いた。 「心…ッ!」

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