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第29話

何もかも、この自分よりも若く、自分よりも極道の道に入って日の浅い心にお見通しだったのだ。 「俺を誰や思うてんねん?眞澄。うちには頭使わせたら天下一品の人間が山ほどおんねんぞ」 眞澄は心の後ろに居る相馬や崎山の顔を見た。 どこをどう見ても極道とは無縁の様な男達は、仁流会の次期頂点に君臨するであろう組の幹部で心の懐刀だ。 心の力量も去ることながら、幹部の手腕が鬼塚組の急成長の要になっているところはある。 これでは、どこの組も勝てない訳だと眞澄は息を吐いた。 「来生の遣いいうんが、わしにコンタクト取ってきよった。わしのとこの舎弟がヘタこいたいうてな。結局はそれはわしに逢う口実やったんやけどな。そもそも、初めは万里(ばんり)に持っていったらしい。静のこと言うて」 万里というのは仁流会大阪統括長明神(みょうじん)組の若頭で、この万里と眞澄、心の仲の悪さは仁流会でも有名な話だ。 その万里の所に今回の事を持っていったとしても、万里は眞澄のように食いついたりはしないだろう。万里の組長への、組への忠誠心は誰よりも強く揺るぎないものだ。 組を裏切る様な生業には見向きもしないし、万里の側近の男は相馬に肩を並べても劣らない程の怜悧な男だ。心に本格的に手を出す事がどれだけのリスクが大きい事なのか、瞬時に判断出来る能力を持っている。 そして絶対に心を倒せないという現実も、しっかり受け入れているのだ。 「万里は無理や。神原(かんばら)付いとるし、万里のオヤジへの忠誠は絶対や。それにあいつはそんな姑息なことせん」 心はフンッと鼻を鳴らした。それに眞澄はただ頷いた。 「だから万里には静の事だけを、それとなく匂わしただけやったらしい」 そう言う眞澄に、御園は”何で”と呟いた。寝耳に水。まさにそれだろう。 鬼塚組に喧嘩を売っただけならまだしも、あろうことかクスリにまで手をだしているだなんて、御園は夢にも思わなかったのだろう。 御園は、ガクリと肩を落とし慨嘆した。 「眞澄、お前、俺が鬼塚継いだ時に、何で隠居のジジィ共弾き出したんか分からんやろ」 「言いなりにならんからやろ」 「ちゃうな、あんな頭の中が昭和の奴等が、いつまでものさばってても鬼塚は大きならん。一個の席を仲間内で取り合って、何がおもろい?今はな、女もクスリも海外者の資金集めの道具や。そんなんどうでもええねん。第一、リスクデカイ上に身入りも大したもんにならん道具で、いつまで食い続けれる?俺等に対する法だけが日々変わり、取り締まりも厄介で代紋下ろす組も多い中どう生き残るか。成長するためにここ使うねん」 心は頭を指で突いて、ゾッとする様な微笑を浮かべた。 「萎縮しかけた脳なんかいらんねん。昭和は終わった。過去に縋りたい奴は縋ってサツと追いかけっこしたらええ。オマエも御園大事なら、上等な塒用意したれ。仁流会はいつまでも天下でおらなあかんのじゃ。俺が飽きるまでな」 睨み合う二人を、皆、固唾をのんで見守った。 この男はやはり、普通ではない。その口調は仁流会を存続させれるのは、自分の力あってこそなのだと言わんばかりだ。 だがそれもこの男にかかれば夢物語、戯れ言では終わらない。 仁流会が存続するのも壊滅するのも心の気分次第。 仁流会のNO.2の存在の鬼塚組が万が一敵に回れば日本一の極道、仁流会は崩壊する。 それを心は分かっているのだ。今更ながら、何て男を相手にしてしまったのか眞澄は慄然した。 「さて、どないするかな」 心が呟くと同時に、正面から数台の黒のベンツが滑り込んできた。 それは心達の近くでゆっくり停まる。それと同時に運転席から見慣れた男が現れ、すぐさま後部座席に回りドアを開けた。 「梶原さん?まさか…」 相馬はハッとし、静を引き寄せ自分の背後に隠す様にした。 「え?え?」 静は何が起こったのか分からずに、おどおどしてしまう。だが、相馬の行動に静はそのまま隠れる様にして様子を窺った。 そんな中、車の後部座席から黒のスーツを着た男が降り立つと、心はチッと舌打ちをした。 「派手にやりよったのぉ。あほんだらが」 「何しに来てん」 心が露骨に嫌そうな顔を見せ、悪態づく。 そんな心の態度を他所に、その場に居た心以外の人間が深々と頭を下げ、静は面食らった。 一体誰だ? 「仁流会風間組組長です」 訳の分からない風の静に、相馬が耳打ちする。 「…あれが」 日本の極道のトップに君臨する男。 なるほど、その双眸の鋭さは身の毛がよだつほどだ。長身で、見た目の年齢割には鍛えられあげたしっかりとした身体付きをしている。 そして男の放つオーラーは、その背負っているものの大きさからか、とてつもなく強く、そのせいで男は誰よりも大きく見えた。 「派手にすんな言うたやろ。お前がウロウロするから、明神が嗅ぎ付けてワシんとこ来よったわ」 「明神?万里か?いや、神原か」 「お前は人気者やのぉ」 ククッと喉を鳴らし、風間は笑った。笑ったが、それはどこか背筋が寒くなる様な顔で、静は息を呑んだ。 「で、眞澄は生きとるんか?」 「生きとりますわ。派手にやられて虫の息ですけど」 梶原は御園の膝の上でぐったりしてる眞澄の顔を軽く叩き、風間に言う。 心に完膚なきまでにやられて、眞澄の気力も体力も限界にきていたのだろう。それが風間の出現で一気に身体の力が抜けたのか、もう目を開けようともしない。 「殺す気か、どあほうが。まあええ、眞澄と御園は預かる。処分は後日決めるさかい、今日は仕舞いじゃ」 「フンッ…」 心はそれを鼻で笑う様に受けると、煙草を取り出し銜えた。そんな心の様子に、風間は呆れた様に梶原に目配せした。 「相馬、中にもおるんか?」 梶原が相馬に尋ねると、相馬は無言で微笑んだ。それに梶原は大きくため息をつくと、携帯を取り出した。 「ここまでやったら充分やろ。鬼頭も眞澄のしでかした事に関しては、頭下げたんや。お前もちぃたぁ退け。内紛なんぞアホらしい」 風間が心を嗜める様に言う。 心はそれを聞いているのかいないのか、いつもの無気力さの滲み出た顔で煙草を燻らしていた。 「うちも無傷やないからやっただけや」 「分かっとる」 「もうええわ、飽きた」 心は風間にそう告げると、地面に突き刺した刀を抜き、鞘を差し出す崎山に刀を預けた。 そして、ゆっくりと相馬の影に隠れた静に歩み寄る。 「…静、悪かったな」 心は静の前に立つと一言だけ言い、静を引き寄せ抱き締めた。その瞬間、本当に終わったんだという安堵からか、すっかり緩くなった涙腺が崩壊しボロボロと涙が零れた。 心はそんな静をぐっと強く抱き締め、久方ぶりの静の香りを堪能した。 「…さぁ、帰りましょう」 そんな静に相馬が優しく囁いた。 静はどこか居心地の悪さに視線を彷徨わせた。 湾岸線を突っ走る、最高峰に君臨していると言っても過言ではない高級車の行列。CLS63AMGを先頭に、カイエン、H2、E550 AVANTGARDE。 一度にお目にかかることのない高級車の大名行列に、擦れ違う車は何事かと視線を送る。そのH2の助手席に静は居た。 いつもなら助手席でふんぞり返っている心が、どういう気紛れかハンドルを握っていて、静は強制的に助手席に座らされている。 ものぐさな心が運転だなんて、明日、雨が降らなければいいがなんて思いつつ、チラリと前を走るカイエンに目をやる。 若頭の相馬は心達の前を走るカイエンに乗り、このH2の車内は心と二人きり。もともと寡黙な心は、前を見据えたまま何も話さない。 運転中によそ見をしろとは言わないが、密室での沈黙は重苦しいものだと察して欲しいものだ。 まぁ、この男にそんな気遣いが出来るのなら、苦労はしないが…。 第一、静自身、心に対して恐怖等ではない変な緊張感を抱き、どうしたらいいのか分からずにいた。心臓はいつもより早い運動をしているし、顔もやたら火照る。 一体、どうしたのか。変な病気にかかったかと危惧していた。 「お前、ずっと運転すんの?」 沈黙に耐えきれずに溢した言葉に、心がチラリと静を見た。 「代わるか?」 「何でだよ。大体、免許持って来てないし」 免許不携帯で捕まれば、洒落にならないのは心ではないか。 警察にしてみれば、どんな軽犯罪であろうと一度は捕まえたいのが鬼塚 心だろう。 きっと叩けば咽ぶくらいに埃が出て来て、それこそ、そのまま収監なんて事もありえそうだ。 軽口を叩く心を軽く睨み、静は嘆息した。 「痛いか?」 「…は?」 何が?どこが?痛いなど一度でも言っただろうか?そもそも、どこも痛くも何ともないと静は首を傾げた。 「…口」 「口?…あ、ああ、痛くねぇし。こんなん全然」 眞澄が殴って出来た口元の痣。本人も忘れていたような傷だ。 相馬も御園に言ってはいたが、実際、本当に痛くはない。ただ肌の色が白いので変に目立つだけだ。 眞澄も加減をしたのだろう。正直、大多喜組の連中に殴られたときの方が効いた。 「…腹は?」 「減ってない」 御園にあちこち連れて行かれ、京都の名産だと茶団子や濡れ煎餅やら食べたあげく、峠道を走られ車酔いして吐いたばかりだ。減ってる訳がない。 「お前が減ってるんじゃねーの?相馬さんとか」 「まあな」 そう言えば、心が食事をしているのを見た事がないなと静は思った。 いつ京都に来たのかも、どういう行動をしていたのかも知りはしないが、一応人間だ。腹は減っているだろう。 かといってPAにこの車の列で入られると思うと、ちょっと待てと言いたくなる。車に知識がない静でも、ちょっと他とは規模が違う車というのはだいたい分かってきた。 それに運転手がまたバカみたいに目立つ。心を筆頭に相馬や、初めて見た崎山や橘もかなり目立つ。 何もかもが派手だ。何の因果か極道とは色々と縁があるが、仁流会の人間は皆派手だなと思った。 大多喜組の連中はいかにもの風貌で破落戸(ごろつき)と言う名がピッタリの男達だったが、鬼塚組も鬼頭組もどちらかと言えば上品だ。 風貌だけで言えば、心達は大多喜組に負けている。 「あ、もうすぐPAだ。寄る?あー、でも寄ったところで、お前、車に居るだろ?」 看板に表示された文字ではあと5km。それを見ながら静が言った。 目立つので、このまま何も食べずに関東まで。さすがにそれは言える訳がない。 だが心がPAで買い物している姿なんて、想像出来ないししたくない。 ”普通”が何もかも似合わない男が、この世に居るとは…。 「静がおるならおる。行くなら行く」 お前は俺の背後霊か。静は思わず悪態付きたくなった。 心はそんな静に何も言わず、徐に携帯を取り出し何やら弄くると静に投げてよこした。 「腹減ってないか聞け」 どちらさんに?乱暴に用件だけ告げる心に静は溜息をついた。 日本語は主語が大事だぞなんて言ったところで、何かが変わるわけがない。膝に投げられた携帯を取ると、既に通話状態だった。 「うわっ!もしもし!?」 『ああ、静さん。どうかされましたか?隣の無礼な男が何かしましたか?』 相馬の柔らかなテノールの利いた声は、その柔らかさに反して心に対して悪意極まりない。 「いや、相馬さん、飯どうする?」 『ああ、そうですね。何か食べたいですね。崎山達も空腹でしょうから』 「わかった…」 『どうかされましたか?ああ、二人きりでその能面のような男と居るのは、息が詰まりそうでしょう』 いや、そこまで言ってません。と思いつつ、実際、成り立たない会話にどうしていいのか分からないのは本当だ。 以前はどんな会話をしていたか、変に意識すると何も分からない。意識って何だ!と思いつつ、うーんと唸る。 「…あ、の」 ゆっくり言葉を紡ぎ出しながら、チラリと運転席を盗み見る。 密室の携帯は不便だ。密室に一緒に居る相手が会話の内容の張本人だと、どこか居心地が悪く歯切れも悪くなる。 まるで、お前の話だと言わんばかりの行動をしてしまう。 『ドライブしたかったのですよ』 「は?」 『この長い距離を、あのものぐさな男が運転してるだなんて奇跡ですよ。静さんとちょっとしたドライブしたかったんでしょ。相当鬱陶しいかとは思いますが、もう少し我慢してくださいね』 ちょっとしたドライブには馬鹿みたいな長距離だが、何だか変にくすぐったかった。 鬱陶しいとは言っても思ってもいないが、密室沈黙二人きりという普通ならば避けたい状況はかなりキツい。 「…長い」 「はい?」 くすぐったさを打ち消すようなドスの利いた声がしたかと思うと携帯は取り上げられ、ブチッと音が聞こえんばかりに通話は切られた。 「あー!話の途中!」 「知るか」 「お前は俺様か!」 狭い車内に、久々の静の怒鳴り声が響いた。 静は膝の上に置かれたたこ焼きを、至福の時とばかりに頬張っていた。 巨大なPAには露店まで出ていて、中のフードコーナーや土産物屋も大層広い。初めて来る巨大なPAに興奮気味の静だったが、現実は辛い。 PAに入ってきた高級外車の行列に、そこに居た人間の視線は集中した。カイエンから相馬が降りれば女性の声が沸き、H2から心が降りれば男は一斉に目を背けた。 静からすれば心はもちろんのこと、申し訳ないが相馬と歩くのさえ躊躇われた。 休日の夜ともあり、PAは人と車でごった返していた。何かあっては困るから車に残れと心にピシャリと言ったのは、相馬だった。 確かにそうだ。結局、静は崎山と橘と中に入り、食糧や飲み物など調達した。 吐いて気持ち悪いと思っていたが、露店で焼かれるたこ焼きの誘惑に勝つことは出来なかった。

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