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第30話
「関西って言えば粉もんだよなー」
「………」
「お前、まだ怒ってるの?」
車に戻った静達が見たのは、行く前に行われていた尽きることない罵り合いだった。
子供が駄々を捏ねてるようなそれと、嗜める感じの母親と言えば状況は温かいが、お互い顔を背けたままの罵詈雑言には崎山達も半ば引いていた。
それに渇を入れたのは静だ。崎山達もさることながら、静達を遠巻きに見ていた他の客はまさに鳩が豆鉄砲を喰らったように呆気にとられていた。
それもそうだろう。見た目は中性的な弱そうな男が、あまり関わりになりたくない様な男を怒鳴りつけているのだから。
そしてやはり一番叱られるのは心で、そのせいですっかり臍を曲げてしまったのだ。
小さい…。 静は一人思った。
どれだけ度胸があるかも肝が据わっているかも眞澄達との一戦でイヤと言うほど分かったが、たかだか叱られたくらいで臍を曲げるのは小さすぎる。
結局、相馬より自分が叱られた事が気に入らないのだ。
だが久しぶりに逢って、あんなことがあっても心は変わらない。静はその事に、どこか安堵した。
「何かゴメン」
たこ焼きの匂いが充満する車内。静は、ウィンドウを少し開けてそれを逃がしながらポツリと言った。
その謝罪の言葉が、何に対する謝罪なのか分からずに心は眉間に皺を寄せた。
「何がや」
「いや…あんな事になって」
「お前が謝ることない。第一、何もかんも眞澄がしでかした事や」
ああ、そんな事かと言わんばかりの言い方で心は言った。
だがそんな事では済まされない。いつまでもいつまでも、静の脳裏には血塗れの成田の姿が焼き付いて消えないのだ。
「だけど、成田さんもあんなんなって」
「成田がああなったんは、静のせいやない」
心は煙草を銜えると、運転席側のウィンドウを少し開けると火を点けた。
「でも」
心は、呟く様に言葉を煙と一緒に吐き出した。
「でも…?」
「いや、何もあらへん。眠たけりゃ寝ろ。目の下のクマが不細工や」
「失礼な…」
あんな状態でガーガー寝れるほど、そこまで肝も据わっていない。
京都に行く前、心と離れてから良く眠れなかっただなんて口が裂けても言えないが、確かにさっきPAで行ったトイレの鏡で見た顔は酷かった。
「寝られんかったやろ」
「まあ…。でも、窓から見える庭が綺麗で」
「枯山水や。あそこは旧家やから、あれは豪華や」
「あれが、あの中で一番好きだ。庭も豪華で、鯉に餌をやらしてもらった」
「御園か」
「うん。優しかったから」
「そうか」
「春は桜が綺麗で見応えがあるって」
「…そうか」
心はそう言ったまま黙って煙草を吸った。
静は、その時に心が何を考えているかなんて、全くもって想像しなかった。
結局、車の揺れと変わらぬ高速の情景に、静は眠りについてしまった。フワフワ身体が揺れると夢の中で感じたのは、心が静を部屋に運んでいたからだった。
それでも目を醒まさなかったのは疲労もあるが、やはり静のどこかにある安堵感。気を張らずに安心して眠れた。
そのスヤスヤと眠る静を心はいつものソファーに座りながら、見つめていた。どこか、何かを思い詰めた様に煙草を銜える心は、自嘲するように笑った。
静が目を醒ますと部屋はとても静かだった。
昨日、京都から帰ってきて、ずっと寝ていた様だ。部屋を見渡しても誰も居ない。
仕事だろうか?静はベッドから出て、奥のキッチンに向かった。冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注ぐ。
さて、これからどうしたものか。それよりも今日は何日なのか。京都には一体、どれくらい居たのか。
そんなことを考えていると、部屋のインターホンが鳴った。出るべきか否か迷いながらドアの近くまで行くと、ガチャっとドアが開き誰かが部屋に入ってきた。
静が驚いてベッドの横に身体を隠すと、静さんと名前を呼ばれた。
「崎山…さん?」
「おはようございます。どこか痛みませんか?」
「あ、はい。大丈夫…」
静は立ち上がり、大きく頷く。恰好の悪いところを見られてしまった。
ちらりと崎山を盗み見る。
崎山とは本当に接点がない。相馬に雰囲気は似てはいる。長い睫毛に縁取られたような目は綺麗なくっきりとした二重で、目の下に二つ並ぶ泣きぼくろが印象的だった。
その目にどこか影が見えるのは、やはり極道だからか。
静が言うのもなんだが、崎山は中性的な顔をしていてとても秀麗だ。なぜ、この世界に居るのか不思議だった。
「あの…」
「組長も若頭も仕事です」
事務的に言う崎山に、静はただ頷いた。
正直、静は崎山が苦手だなと思った。京都からの帰りに寄ったPAでも、ほとんど口を利かなかった。
橘は崎山は冷めた奴だからと言ったのだが、ただクールというのとはどこか違うような、静に対して何か怒っているような気がした。
確かに静の存在は、他の組員からしたら邪魔かもしれない。今回の眞澄達との事だって、静がことの発端と言っても過言ではない。
静が居なければ起こらなかった事なのだ。
「何か食べたいものとかありますか?」
崎山が入口付近に姿勢正しく立ったまま、静に聞いてくる。
食べたいものと聞かれても寝起きの静は身体が何を欲しているのか分からず、ありませんと短く答えた。
「では、適当に用意します。一時間もすれば用意出来ますので、その間にシャワーを浴びるなり好きなようにしてください。他にご用はございますか」
「ありません」
「では、失礼します」
崎山は静に一礼すると部屋を出て行った。ドアの閉まる音が聞こえ、静はほう…っと息を吐いた。
嫌いではないと思う。会話らしい会話をしたことはないが、嫌いではない。
相馬に似たタイブだ。眉目秀麗で上品な物腰。粗やガサツさが一切感じられないのは、育ちが良いのだろうと思った。
だが相馬はどちらかと言えば、こちらが話したいように雰囲気を作るのが上手い。弁護士を名乗るくらいだし、話術は相馬の専売特許のように思える。
だが崎山は違う。四方八方から壁を作られている感じが否めない。
「仕方ないけどさ」
静は消え入る様な声で呟くと、バスルームに向かった。
シャワーを浴びると目もすっかり覚め、着替えを終えた静はキングサイズのベッドに寝転がり天井一面に描かれた天使を見つめていた。
天使はあの時と変わらぬ微笑みで静を見下ろしていた。
初めて見たときは何も思わなかったが、この天使は心の趣味ではないだろう。部屋の調度品も違うように思えた。
そんなことを考えているとインターホンが鳴りドアが開いた。静はバッと起き上がると、入り口を見た。
「食事、お持ち致しました」
崎山が何やらワゴンに載せてやってきた。まるで、ホテルのベルボーイの様な…。
静の思いを知ってか知らずか、崎山は淡々と大理石のテーブルに料理を載せていく。
ピラフにサラダにスープ。海老等の魚介類が見えるのでシーフドピラフの様だ。
崎山がフライパンを振る姿を想像出来なくもない。
「崎山さんが作ったの?」
「私が?私は料理は出来ません」
「あ、そうなんだ」
意外。と、心の中で付け足す。
心の中でというところがなかなか距離があるななんて思っても、歩み寄るには時間がまだ足りない。
「全て召し上がっていただかなくても大丈夫です。食べれるだけで。また適当な時間に片付けに参ります」
さっさと部屋を出て行こうとする崎山を、静は慌てて「崎山さん!」と呼んだ。
「あ、あの!俺、行きたいとこあるんですけど…」
「どちらへ?」
「…病院」
「ああ、お母様のですね?確認しておきます」
さすが言わずとも分かる辺りが相馬の部下。教育の仕方が違うと言うのか、極道で教育って何だと思いつつも静は頷いた。
「あ、あと、成田さんの」
付け足すような形で言わなければいけないのが、どこか嫌な感じだ。だが、そんな静の言葉に崎山がピクリと身体を動かした。
「成田…ですか?」
何だか距離が更に開いた感じが否めないなと思いつつ、それがどうしてだか分からない静はただ頷いた。
「俺のせいで…成田さんがああなったから」
「俺のせい?」
崎山がハッと鼻で笑う。え?何で笑われてんの?
「あのね、成田がああなったのは警護していた私たちの責任です。成田があそこまでされるまで見付けられなかったし、あなたも持っていかれた。あなたに何ら責任はありません」
「でも…」
「あなたに何か出来ました?」
「え?」
崎山を見ると、酷く冷たい顔をして静を見ていた。何だろう、この違和感。
静のせいで眞澄達とのいざこざを起こしてるのに怒っている、それとはまた違う…。
「あの男達を打ちのめして、成田を助け出せた?」
「…いや」
「ね、出来ないでしょ?軽々しく俺の責任だなんて言わないでください」
切り捨てるように言われ、自分の責任で成田がああなったと思っていたことが途端に恥ずかしくなった。
自分の責任だなんて、今回のこと全てが自分を中心で回ってる様な言い方。まるで自惚れにも似たそれ。
「失礼します」
崎山は俯く静に目もくれずに頭を下げると、部屋から出ていった。
食事を軽く済ませると、告げた時間通り崎山はやって来た。顔立ちが中性的な分、表情のない顔はとても冷たく見えた。
「お母様の病院へ行く手配をつけました。お送りします」
「…え?会えるの?」
「同伴致しますが、病室までは入り込みませんから」
崎山は食事の載ったカートをドアの外に出すと、ポケットから小さなチューブを取り出した。
そして静に近付くと、顎を取り青く変色した口端にチューブの中身を塗る。
崎山の指は驚くほど冷たかった。
「適当にはぐらかしてください。面倒にならないように」
「崎山さん…俺…あの、怒ってる?」
「…?」
静の言葉の意味が理解できないとばかりに、崎山は首を傾げた。
「嫌ってるのもあるんだろうけど、怒ってるほうが先に出てるような…」
崎山は、ああ…っと息を吐いた。静の言わんとすることを理解したらしい。
さすが相馬の部下というか、察しの良さは楽で良いと静は思った。
「…八つ当たりと苛立ち」
「え…?」
崎山はそう言うと、徐にソファーの背凭れに腰掛けネクタイを緩めた。
「ね、俺、ヤクザに見える?」
静は首を振った。
崎山はどこをどう見ても極道には見えない。綺麗な顔立ちに、どこか上品さが伺える振舞い。どれをとってみてもヤクザには見えなかった。
「よく言われるんだよね。ヤクザに見えないって。でもね、ヤクザなんだよね。ヤクザって師弟関係が絶対条件なんだよ。俺ら舎弟にとって組長は親。君はその俺らの親を拒絶する、謂わば敵」
スッと冷たい目を向けられ、静は目を逸らした。
漆黒の目は冷たさを秘めていて、感情が読めない。だが、非難されているのは明らかだ。
崎山の言いたいことはわかる。心を受け入れようとしない静に対する敵対心か、苛立ちか。
どちらにせよ崎山達が忠誠を誓う男を静は拒み続けている。それが理由で、崎山の静に対する態度が冷たいものでも、静は文句を言える訳がない。
「キミはゲイ否定派?」
迷いのある静に気がついた崎山は、クスッと小さく笑い静に問う。
「……違う」
否定はしない。
誰にだって趣味趣向がある。それをとやかく言うつもりもないし、貶す気もない。
静はもう一度、違うと呟いた。
「でもね、自分に振りかかると否定する。組長が極道だからとか理由つけてるけど、結局は自分が男に足を開くことを全力で否定してるんでしょ?確信はそこ。牽強付会ってやつだよね」
崎山のストレートな言い回しに、静は驚いて顔をあげた。
ソファの背凭れに腰掛けたままの崎山は、妖艶な微笑みを静に見せる。それは背が凍り付くような冷たさを持っていて、静はごくりと息を呑んだ。
「俺はゲイなんだよね」
崎山がサラリと言うカミングアウトに、静はグッと歯を噛み締めた。目の辺りが痙攣した気がした。
「ね、否定はしないし理解する振りをする、してるつもり、なのが一番嫌いなんだよね。俺」
「そんなつもりは…!」
「俺は自分から身体を売ろうとしてたゲイだから、キミのそういうのムカつく。否定はしない、でも自分は無理。ね、それって一番最低だよね、表面だけで分かった顔して目の当たりにしたら、汚いもの見る目で俺を見るんでしょ?それならね、全身全霊で軽蔑してくれた方がありがたいんだけど?」
「そんな!」
「ね、仕事嫌いの組長が、仕事を理由にここに居ない意味わかる?」
「え……?」
「キミはもう、用無しなんだよ」
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