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#27 3E

 落ち着いて考えてみれば、一歩外に出て世間から見た一つの年の差なんて、その数学と同じく較べるに足らない微小なものなのかも知れない。  だが、校内での一学年の差は絶大だ。  その上、最上級学年(クラス)。半年もすれば成年の世界に()る彼等は、ただ笑っているだけで既にそこへ足を踏み入れているかのような余裕を思わせ、隔たりを感じる。  加えて、目に見えるものも、今まで見てきた風景にはなかった色合いが頻出していることに気づかざるを得ない。  室内履きのライン。袖の校章。赤。  見渡す限り、周囲の生徒が揃いの位置で纏っているものは、まぎれもなく赤だ。  一年の青は皆無、今まで僕達が向かいの校舎で安住して来たのだと気付かされた緑すら、ほぼなきに等しい。  体格、超えてきた時間の差なんて歳の一つしか変わらない筈だ。なのに、どうしても大人びて見える赤の群れに迷い込んだ僕は、完全に他郷(アウェイ)にいる境地だった。  それでも、(あきら)に背を押されている感覚を失わなかった僕は、帰宅途中の生徒を呼び止めて聞き出すことに成功した。  目的の教室はすぐ判った。背後の西側へ最奥を振り返る。  教室を通して廊下の床を差す陽はやや下方に傾いでいるが、まだ充分明るい。  突き当たりの左に配置された教室が見える。止まっていた脚を奮い立たせるように、一歩踏み出した。  この(フロア)に脚を踏み入れた時から気付いたが、受験を間近に控えているという緊張感はさほど感じられなかった。  熱心な進学校ではないと聞かされていたが、2F(うちのクラス)にも勉強熱心な生徒は当然存在する。  この学校の理念はあくまでも『個』であり、生徒の『自由』。クラス、他者の進路や活動にとらわれる事なく、個々の自尊、自立にどこまでも委ねられているらしい。  目の前にやって来た3Eも、扉付近では帰宅時の流動が賑やかに、廊下側から垣間見えた室内も、授業がはけた気軽さを感じる笑い声が複数響いていた。  ちょうど戸口に現れた生徒へ、内面の緊張は振り返らず平静を意識しながら声を掛けた。 「あの……、——夏条(なつじょう)先輩、お願い出来ますか」 「えっ、なっちんに用があるの? ……なっちん、なーーっちん! 呼んでるよお、まつばら君て子ー!」 「は? マツバラ?」  雑音にまぎれそうだったけれど、覚えがある低い声は、窓際の後方から聞こえた。  教室の最奥。窓から差す西陽は厚手のカーテンで遮られていたが、気怠げに顔を背け、長く組んだ脚が机に収まりきらないのだろう、後方に傾いだ姿勢で座る人物がこちらに顔を向けた。  染みるように気付く。——席、柚弥(かれ)と同じだ……。  梗介(きょうすけ)の眼が、戸口にいる僕を捉えた。  閑かな湖沼のように、揺れは感じられない。ただ、いるものを認識した色合いを浮かべた。  そして、怜悧な獣が遠くの風景を見るように、それはすっとほそめられた。  昨日の今日だが、一応、僕のことは憶えていてくれたらしい……。  情動を感じない眼差しで僕のことを眺めていた梗介は、やがて緩慢な動作で椅子から立ち上がった。  両の掌をポケットに忍ばせながら、焦りも急いた様子もなく、悠然とした歩調でこちらへ歩いて来る。  近づく距離が狭まる度に、胸の緊迫が鮮明さを増していく。  だけど、それも程なくして目の前に立たれた圧倒的な存在感をもって、霧散した。  動揺や躊躇いの類いの感情を挟む隙もなく、梗介の佇まいと見降ろされた眼差しは、あくまでも超然とした揺るぎのなさを放っている。  昨日も目の前に立たれたけど、今日みたいに相対していた訳じゃない。  身長差は、10cm以上は確実にある。必然、下から睨みつけるような視線になってはいないかと危惧した。だが、彼を前にすればきっと誰だってそうならざるを得ない。柚弥(ゆきや)だったら、きっともっと顎を反らさないといけない形になるだろう。 「——何だ、お前かよ……」  見降ろしているからといって、侮りの色は感じられない。  いきなり呼び出したのはこっちで、それに寧ろ常識的な範囲で応えてくれている。たじろぐ必要は、ないのに。 「突然呼び出して、すみません……」  ただの視線でもどうしてかこんなに鋭くて重い。  それを受け止めるのはやはり難しく、僕は他方にその行き先を一度逸らした。  触れていないのに伝わる氷のような波動は変わらない。再度見上げたら、変わらぬ深い内奥を感じさせる冷えた眼に行き当たった。   「何」 「…………柚弥君のことで、話があります」

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