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#66 乞う糸

 そう告げられた柚弥の言葉は、静かだけど、ひどく明瞭に届いたのに、その語尾に、震えが響いている気がして、僕は思わず顔を揺らしそうになった。 「寂しくて寂しくて、叫び出しそうだ」  多分、彼は今笑っている。顔は。口許は。  その言葉に揺らぎはないのに、その音の響きの底には、言葉通りの渇望が彼を蝕み、耐えがたい笑みを強いている姿が、浮かぶようだったからだ。 「…………つうか、もう切るよ。ちょっともう、……無理だ。 はあ。何なんだ。……何で電話して来たんだって、むしろ恨めしく思ってるね、今は。 たまにはこうやって、電話で話すのも悪くないかもな、なんて思ってたけどさ……。 もう切る。無理だ」 『とんだざまだな。随分威勢良く自分から脱した(とんだ)癖に、笑わせやがる』  僕でさえ、そんな皮肉めいた微笑をくゆらせる唇が思い浮かぶ。  だけど、その毒言も、きっと少しでもいつもより、 君を包む込むようにやわく、少しでもあたたかで(こま)やかなものなんじゃないのか。  大丈夫だ。ごめん。こんなところに連れてきて。  明日になれば。夜が。この夜が明けたなら。  朝になったら。 もう少し、待って。  散り散りな彼への言葉が、形とならずに胸の内へと沈んでいく。  今、彼が温もりが欲しいと思うなら、僕がここから起き上がって、彼の携帯を握りしめた手のひらを掴んで、その華奢で頼りなげな肩ごと包み込んでやれることだって出来るのに、 彼には、そんなものなんか今、全く何の意味も補いも成し得ない。  彼の欲しい、(もと)める温もり。  熱、鼓動、低い囁き、吸い込む度痺れるような匂い。  声だけじゃ充足できない、当たり前のように瞳の前に在る、ふれようと手を伸ばせばその腕のなかに抱き寄せられ、瞬いた先にはもうその姿をとらえることの出来る、 『彼』が、そのすがたを形成する微細な細胞に至るまで、 『彼』の全結集であることを惜しみなくしらしめる、ただそこに在るべき、『彼』という存在。  それはそのまま、柚弥が、また彼で在るということ。  いきている、とさえきっと確認し得る、祈りみたいなもの。  それを叶えることが出来るのは、糸みたいにぼやけて煩わしくか細い線の先に居る、世界でただ一人、"彼"だけなのだ。  恋。乞い。  恋と愛なら、恋の方が(わか)く、子供が初めてほのかに抱く、他者(ひと)への慕情だと思っていた。  愛の方が深く、醸成されているのだと。  だけど、恋とは、互いのこころの糸を引き合って乞い焦がれる、くるおしさを伴った、 ひとがひとを欲する限り、永続的に捕らわれる無尽蔵の枷なのだ。  『ふたり』は、すでに恋とか、愛とか、 ありきたりに括られた名前に捕らわれない、深い毒薬のような絆のなかに居ると思っていた。  それでも、今こんなに焦がれている。  恋。来い。  来て、と彼が囁いて叫んでいる、手繰り寄せたいその糸の先。  そのふたりの糸を、いたづらにたゆませたのは僕だ。  糸は、一本の繋がりしか行き着く先にはない。  そして僕には、へ絡む糸を、持ち得る資格を決して与えられない。  柚弥(かれ)が、僕がたゆませて孤独と背を合わさせた、だけど決して断たれている訳がない『彼』との一本の繋がりを、 この暗がりのなかでも少しでも見つけられたらと、ただ祈ることしか与えられないのだ。

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