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大吉の男

 いつものようにそいつは前触れなくドアをあけた。  いくら安アパートでもノックぐらいしろ。毎度のようにそう思ったが、毎度のように口には出さない。 「さっさと行こうぜ」  いつもとまったく同じ口調でいう。にしても、今日は学校も約束もないはずだ。 「どこに」 「初詣。正月だぜ。きまってるだろ」  そいつは鼻の頭を指でコツコツたたく。通販サイトのモデルみたいに長い足をすこし曲げ、ドアの木枠にもたれている。きざな恰好がサマになっているのにすこし腹が立つ。いつものことだ。足や肩の隙間から冷たい空気が入ってくるのも腹が立つ。ワンルームなんて言葉も似あわない、昔ながらの木造1Kは道をトラックが通るだけで揺れるし、靴脱ぎのあたりは桟もずれているから、ただでさえ寒いのだ。当然夏は地獄のように暑い。  ところがこの男は寒かろうが暑かろうがいつも涼しい顔をしている。そして「くじ運、よさそうじゃん。おまえといくと」などという。 「そんなことないよ」 「悪いわけないだろ。大吉なんだから」 「いうなって」 「いじってるわけじゃないから。俺本気でいってるから。本気」  本気なのはわかっている。場をもたせるための嘘やごまかしもできない男だからだ。見た目がいいので要領もいいのかと思いきや、不器用なのである。しかし自分の名前をこんな風に呼ばれるのはあまり好きじゃない。  だからこう答えた。 「行ってもいいけど、それ神社で呼ぶな」  するといきなりこちらに体をかがめて、犬のように顔を近づけてくる。ぎょっとして「なんだよ」といったとき、長いまつ毛がみえた。 「いやさ」  そういってぱっと笑った。白い歯がのぞく。眉は整えもしないのに細いし、鼻は通ってるし、ひたいは広くて頭が良さそうに見える。去年の春からの付き合いだ。もう見慣れてしまい、いつもはなんとも思わないが、たまにまぶしく感じるときがあって、今がそうだった。 「知ってる? 俺さ、よく凶をひくんだ」 「あっそ」 「今年こそ大吉を引きたい」 「わかったよ」 「じゃ、行こ?」 「待ってろ。着替えてくる」 「待つ間入ってていい?」 「なんで」 「寒いんだよ。ここに立ってると」 「何のためにスマホ持ってんの? 来る前に聞けよ」 「同じアパートなんだ。こっちの方が早い」 「じゃあ寒いっていうな」  そんなやりとりを交わしている間もそいつはさっさと靴を脱ぎ、あがりこんでこたつに足をつっこんでいる。同じような部屋に住んでいるくせにどうしてここにやってくるのか、いつもながらよくわからない。シャワーをあびてセーターをひっかぶり、厚手の靴下を探していると、うしろで「ねえねえ、みかん食っていい?」という声が聞こえる。なにがねえねえだ。まったく。 「みかんはダメ。準備できた」 「早いな」 「おまえがせかしたんだろ」 「なあ、俺のおみくじがいまいちだったらさ、交換して」 「やだね」 「ケチ。大吉のくせに」 「ケチじゃない。だいたい、こっちが凶引くかもしれないのに?」  そいつはこたつを名残惜しそうにみながらしらっという。 「ちがうの、おまえのおみくじがほしいの」 「なんだよそれ」 「大吉が引けばなんでも大吉だろ。ちがう?」 「そんな理屈あるか」  靴下を履いても玄関はやっぱり寒かった。外に出ると一月の匂いがする。今日は工事のトラックも通らない。ふたりで並んで階段を降りると、靴のリズムにあわせて階段が揺れる。 (おわり)

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