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長距離の男

 出張で訪れた支社のオフィスには真ん中にポールのような柱が立っていた。低いパーティションの島の中、そこだけぽかんと空間がひらいている。高い小さな丸いテーブルが間をあけて三つほどあるが、椅子はない。 「ミーティングスペースなんです」  久しぶりに顔をみる支社の男がいった。 「ここ、社内の打ち合わせはそこでやるんですよ。長引かなくていいでしょ?」  支社は雑居ビルのワンフロアだ。人員も多くないかわり広くもない。彼とは何度も会っている。別の支社で会ったこともある。この支社で再会した時は遭遇率が高いですね、と笑ったものだ。 「明日は九時半に商談ですよね。どうします? 飯行きますか?」 「いい感じのところ、ある?」  そうたずねると相手は「いや、知らないんですよ」といっておもむろにスマホを取り出した。 「下手に自分の知ってる店よりネットで調べた方がいいですから」 「だけど検索も才能だろう。前に行った店もよかった」  そういうと「そうですかね」といいながら少し笑った。  今回の店も当たりのようだ。白木のカウンターに出されたつきだしから美味い。 「長距離お疲れ様」と相手はいってビールのジョッキをあげる。 「忙しい?」  彼は飲みはじめるとすこしくだけた口調になる。それがなんとなく嬉しくて、こうして出張で顔を合わせるたびに、飯を食いにいく。 「いや、ふつうなんだけど……今週は出張が多くて」 「ああ」相手は得心したようにうなずいた。 「移動に時間とられてなにもできないもんね。新幹線乗って行って商談して帰ってその日が終わり」 「戻ってもやることは変わらずあるし」 「新幹線の中で仕事する?」 「メールくらいかな。急ぎの場合は別だけど、結局効率が悪くてさ」 「いちいち商談で本社から来るって無駄だと思うでしょ。ネット時代なのに」 「でも部長は好きなんだよな」 「上司あるある」 「でしょ」  せっかくだからと相手は土地の食べ物を頼んでくれる。ここは魚が美味い。東京を離れるとどこに行っても食べ物は東京より安くて美味いものだが、この相手と食べると特に美味いような気がする。どの支社で会った時もそうだった。  なんのはずみだったか忘れたが、以前、本社への異動は希望しないのかとたずねたことがある。相手は「いやべつに。ひとりだし、同期は女の子も多くて子育てで大変だしね。それに支社は通勤も楽だし」と答えた。 「来期はどうなるかな」と相手はいう。 「取引先が買収されたり合併されるのは痛いね」と答えると「大変?」と聞き返される。相手は自分の話はしない。 「まあ、それはそれだから……期の変わり目で打ち合わせがやたらと多いから、面倒」  思わずため息をついてしまった。すると相手は小さく笑いながら「疲れがたまってる?」という。 「そうかも。昨日なんか、今週中にするべきことを書き出して、ああ、こんなにあるなあ、と思って終わってしまった」  相手の眼がきらめく。「それで?」 「で、今日ここに来ているわけ。朝いちの新幹線に乗って」 「終わる?」  相手のビールは空だし、自分も空だ。二杯目をどうするか内心悩みつつ、「ホテルでいくつかは終わらせられるかな」と答える。 「どうせろくに寝れないし。終わらなかったら明日の商談のあと本社に戻ってやるか……ホテル、禁煙ルームなんだよね」  脈絡のない話になってしまった。相手は自分が煙草の箱を叩くのを見ている。見られているのを意識する。 「明日は金曜」といきなりいわれた。 「夜、うちに来る?」  ちょっと黙り、考える。 「そっち、禁煙だったっけ?」  そうたずねると相手は「ベランダなら。壁紙に匂いつけると大家がうるさくてさ」と答えた。  ベランダの暗闇で煙草が光っていた。 「俺の部屋くるの何度目だっけ」唐突に相手がいう。 「数えてないな」  そういってみたものの、内心はちがった。数え上げようとしてみても、いつから相手とこんな関係になったのか思い出せない。最初はどんなきっかけだっただろう。 「ずっと……これでいいかな」 「え?」相手はすこし驚いた顔をする。暗いのにそれがわかる。 「便利でしょ? 長距離移動の先にこういう部屋があるのって。煙草も吸えるし、俺はかまわないよ」 「自虐っぽいな」 「俺はこのくらいでいいんだよ。あんたは奥さんいるんだし」  さらっと相手はいい、その明るい調子に逆に心が沈む。だからつい、本当のことをいってしまった。 「いないよ」 「え?」 「あれ嘘。いるっていったら……終わるかと思って」  煙草の先がぽっと赤くなり、煙が白くひかってのびた。ろくに見えもしないのに、相手が困った表情になっているのがわかる。 「終わってないね」  ぽつんと落ちた言葉を聞いた。 「そう。だから……」 「俺は長距離でいい」  きっぱりといわれると何もいい返すことはできない。相手は重ねてくりかえす。 「長距離がちょうどいい」 「そう」  箱の底を叩いて新しい煙草を取り出した。くわえると自然に相手の顔が近づいた。息を吸う。暗闇にすうっと光がともる。 (おわり)

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