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第104話

「年度初めの、それも新入社員が入ってくる日に二人揃っては休めないぞ」 「わかってるよ、ちゃんと出社するって。でも、ここはベッドの上だ。お互いに下の名前を呼んでもいいんだろう? それに昨夜の返事ももらわないと」 「返事?」  悠希を組み敷いて見下ろす彰吾の顔を、悠希は暴れるのを止めて見返した。 「そう。俺の一世一代の愛の告白の返事が聞きたい」  真剣に覗き込まれる瞳の強さを悠希は目を逸らさずに受け止める。その表情にはもう各務の面影は無かった。その事実に悠希はなぜか安堵した。  ――ああ、あの人は本当に逝ってしまった。  俺の心の奥底に縛りつけられていたあの人の魂の欠片は、ちゃんと昇華できたのだ……。 「ねえ、悠希。返事は?」  彰吾が待ちきれずに催促する。そのどこか子供っぽい口調は、出会った頃の少年の姿を彷彿とさせた。悠希は組み敷かれたまま、彰吾を見上げると、 「返事は……、保留だな」 「保留っ!? なんでっ」 「俺は最初に出会ってからあとの相原のことを知らないんだ。鳴り物入りでうちの部署に来たのに、全く使い物にならない奴を恋人にしたなんてことは勘弁だからな。これからのおまえの本気を見てから考える」  ええっ、と不満げに声を上げた彰吾がますます幼く見えて、悠希は思わずふふっと笑ってしまう。 「それから目上の人を呼び捨てにするな。ベッドの上でなら下の名前を呼んでもいいという譲歩案まで出したんだ。彰吾の本気を期待して待っているよ」  柔らかな悠希の笑顔を不思議そうに見ていた彰吾が、あ、と何かに気付いたように小さく声を上げる。 「……それは、誘い文句だよね」 「……今さら聞き返すなよ、恥ずかしい……」  彰吾の唇がゆっくりと近づいてくる。悠希は彰吾の肩に両手を廻すと、少し頭を上げて迎え入れた。軽いタッチで唇をついばまれて、そして名残惜しく離れて行くと、彰吾は大きな胸の中に悠希を包んでくれた。  張りのある背中に手のひらを這わせ、逞しい筋肉の動きを感じると、悠希の胸の奥から小さな光が生まれ始める。暖かく体を灯した光に、悠希は心からの幸福に素直に身を委ねた。 「……雨が上がったよ」  この部屋に来る前から降り続けた雨は、今朝になって上がったようだ。先ほど見た窓の外の光景は、厚い雲の切れ目から眩しい朝日が街を照らしていた。 「予報では今日も雨だったのに」 「そりゃ上がるよ。だって俺は晴れ男なんだ。特に初めて経験することがある日には必ず晴れるんだ」  遠い日に聞いたような台詞が耳にくすぐったい。満ち足りた彰吾の吐息を耳元で感じながら、悠希は窓の外へと視線を向けた。空はすっかり雨雲が流されて、澄み切った青が広がっていた。  雨のあと。  これから彼と共に歩めば、いつもこんな綺麗な青空を眺められるのだろう。  この部屋を出て行く時間を気にしながらも、雨上がりの街を二人で走れば間に合うかと、悠希は彰吾の唇に自分の唇を優しく重ねた。 【哀しみのさき、雨のあと ー完ー】

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