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第131話
「何がおかしい?」
「いや。何か誤解があるようだけれど、林さんとは何もないよ。彰吾が入社する前に一緒に仕事をしたことがあるんだ。ちょっと大変な案件だったけれど上手くスケジュール通りに終わって、物凄く感謝されてね。その頃から本当にたまに二人で食事に行ったりするくらいなんだけど」
「――っ、そんな話、初耳だっ!」
何かされたんじゃないか、しつこく口説かれたんじゃないか、と矢継ぎ早に問い質す彰吾を押し止めると、
「あの人は奥さんと娘さん達が何より大切な人だよ。それに、おまえなら俺の好みのタイプもわかるだろう?」
……確かに林統括部長は小肥りで糸目のふにゃんとした表情をした癒し系の姿だった。
「随分前から親会社に来いって声をかけてくれていたんだ。でも、おまえとグルになって俺を口説くなんて思ってもみなかった」
「だからって話が違う。俺は四月には悠希を連れて元の部署に戻って……」
「俺を含めた営業チームのリーダーになる予定だったんだろ? まあいいじゃないか。今回の北海道の案件が早く終われば十月よりも前に親会社に戻れるらしいし、その頃には俺が彰吾を新プロジェクトに引っ張ってやるから」
悠希は少し背伸びをして、悔しそうに歯軋りをする彰吾の頭に、ぽふ、と優しく手を置いた。
「そんなに俺に一生懸命になるなんて。本当に彰吾はかわいいところがあるよ」
整髪料で整えられた髪を乱さないように、ぽふぽふと軽く頭を撫でた手をいきなり彰吾が掴んだ。目を見開いて驚く悠希に、
「ねえ悠希。さっきからベッドの上じゃないのに俺のことを彰吾って呼んでるね」
意外な指摘にきょとんとしていた悠希の顔が、何かに気づいて息を呑むとみるみるうちに紅く染まる。
「それはさ、俺が恋人だって周囲に知られてもいいってことかな?」
今度は意地悪げに頬笑む彰吾に悠希が、うっ、と口を噤む番だ。でもそれは形勢逆転が悔しい訳ではなくて……。
「あっ、そ、そうだっ。伊東さんにお土産を頼まれていたんだった」
話題を変えようと焦って言った悠希の声は普段よりも数音高い。くるりと彰吾に背を向けて、ギクシャクと歩き始めた悠希の耳たぶの裏側まで真赤になっているのを見つけて、彰吾は大きく笑いだしそうになるのを何とか我慢した。でも、先程までのもやもやした気分は、すっかりどこかに消し飛んでしまった。
(まあ、今回の案件くらいなら夏前には終わらせられるか。あとは裏で手を廻せば統括部長は何とかなる)
ごり押しで子会社への出向も勝ち取ったのだ。上司達のちょっとした弱味だって握っている……。
ほくそ笑む彰吾に売店の前で並んだ商品を手に取った悠希が声をかけた。
「相原、伊東さんのリクエストってこれだったっけ?」
(いつの日か、どこでも当たり前のように、彰吾って呼ばせてやる)
「ああ、それですよ、藤岡主任。それとチョコレートは……」
いつもの調子に戻ってしまった悠希に明るく応じて、彰吾は悠希の元へと駆け寄った。
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