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第1話 出会い
二月の冬空は乾燥していて星が綺麗だ。
でも、ここではそんなものは見えない。
代わりに人工的な地上の星がいやと言うほど目に入ってくる。
ギラギラと輝くネオンはお世辞にも綺麗だとは思えない。
けれど主張するためだけに光っているそれは、この街を訪れる人々の心を不思議と惹きつけて離さないのだろう。
自分も東京に出てきて最初の頃はそんな光にも心踊ったが、今ではすっかり慣れてしまった。
「要〜!もう一軒行かない?!」
すっかりお酒が回りハイテンションな友人が大声で聞いてくる。
「ごめん、明日一限あるから」
相楽 要はそう言うと片手で小さく謝罪のポーズを取った。
「えぇー、なんだよー!せっかく先月二十歳になったんだろ!遠慮なく酒飲めるんだぜ!?」
友人は顔を真っ赤にしながら要の肩に腕を回す。
「しかも冬休み明けたら急に髪の毛アッシュグレーに染めてくるしさぁ、正月地元戻ってたんだろ?なんか心境の変化でもあったのか?」
「別にそんなんじゃないよ。二十歳の記念みたいなもん」
要はそう言うと、肩にかかっていた友人の腕をさりげなく外した。
要が所属する写真サークルは週に二回活動日があり、最後には決まって飲み会がある。
飲む場所は大抵大学のある駅から三つほど行った歓楽街だ。
チェーン店から個人経営の店まで、数多くの居酒屋があり飲む場所に困ることがない。
その飲食店の立ち並ぶ場所から一つ路地を曲がると、今のところは特に縁もゆかりも無い夜のお店が並んでいる。
「お前もあんまり飲みすぎるなよ。寒いんだし路上で寝たりなんかしたら危ないぞ」
要はそう言いながら友人の背中をポンと叩く。
「わかってるよ〜。要オカンみたいだなぁ」
友人はふらふらとしながら笑った。
「要、一人で帰って大丈夫か?」
サークルの代表の堤が心配そうに聞いてきた。
「大丈夫ですよ。俺はそんなに酔ってないですから」
要はヒラヒラと手のひらを振ってみせる。
「いや、そうじゃなくてさ。お前綺麗な顔してるから変なやつに連れてかれるなよ」
堤はジッと要の顔を見つめて言った。
「・・えっ?」
その言葉に要は少しの不快感を示す。
すると横から先程の酔っ払った友人がヘラヘラと笑いながら入ってきた。
「先輩!要に顔の話したらダメですよ〜。こいつ自分の顔がコンプレックスみたいなところあるんですから!」
「えっ?あ、そうなのか。悪い要!」
堤は本当に申し訳なさそうに手のひらを合わせていった。
「・・いえ、こちらこそすみません。でも本当心配いらないので気にしないで下さい」
要はそう言うと「ではお先に失礼します」と言って駅の方へ歩き始めた。
自分の顔があまり好きではないのは、本当のことだ。
決して大きい方ではないが、薄い茶色の瞳を人より長めの睫毛が囲んでいる。
目尻はやや垂れ気味なので、穏やかな雰囲気の顔に見られがちだ。
しかし、昔からよく『綺麗な顔だね』と言われたが、それはあの狭い田舎の漁港の町では恰好の揶揄いのネタでしかなかった。
小麦色に日焼けした同級生達の囃し立てる笑い声は今でも耳に残っている。
高校に入ってからやっと身長も伸び、女の子のようだと言われる事はなくなったが、今度は面倒くさい嫉妬心や見当違いな理想像をぶつけられるようになった。
要は言葉数こそ多くはないが、おかしいと思ったことはハッキリと言う性格だ。
綺麗で穏やかそうな見た目で寄ってきた多くの同級生が、そんな要の言動に驚き失望していった。
そのため高校ではすっかり『かっこいいけど近寄り難い』だとか『顔は綺麗なのに性格がキツイ』などのイメージがついてしまった。
この狭くわずらわしい田舎町から出たい。
その一心で要は猛勉強をし、親が納得するレベルの東京の大学へと見事合格した。
それからもうすぐ二年。
上京したての頃は右も左もわからなかったが、今ではこの大都会の歓楽街を一人で堂々と歩いている。
時刻はもうすぐ二十三時になるというのに、街中の明るいネオンと道行く酔っ払いの笑い声でとても夜とは思えない。
しかし空をふと見上げれば、そこにはギラギラと光る太陽ではなくぼんやりとした輪郭の月が浮かんでいる。
「もうすぐ満月か・・?」
要が空を見てボソリと呟いた時だった。
ドン!!
「っ!?」
自身の身体になにかがぶつかる衝撃を受けて、要は一歩後ろに下がった。
そしてぶつかってきた正体へと目を向ける。
「あっ・・ごめんなさい・・」
髪をグチャグチャに振り乱した青年が、視線を下に向けたままペコリと頭を垂れた。
「・・いや、別に・・」
要がそう言った瞬間、
「おい!!」とドスの効いた声で知らない男が近づいてきた。
「・・っ!」
目の前の青年の肩がビクッと揺れる。
「逃げるんじゃない!話が違うだろ!?」
そう言うと男はグイッと青年の手首を掴んだ。
「俺が指名したやつはどうしたんだよ!?」
ググッと手に力が込められ青年の顔が少し歪む。しかし彼はキッと男の顔を睨みつけると静かに口を開いた。
「ですから、あなたは当店は出入り禁止です。それは出張サービスでも同じことですよ。名前を変えたってすぐにわかります」
「俺はあいつにもう一度会って話がしたいだけだって言ってるだろ!」
男は顔を赤くさせながら大声で叫ぶ。
青年がさらに反論しようと口を開けようとした時だった。
「・・うるさい」
抑揚のない要の声が一瞬響く。
「・・え?」
青年と男は要の方へ目を向けた。
「ここ道のど真ん中ですよ?いい大人が大声出して、恥ずかしくないんですか?」
要は男を睨みつけながら言った。
「なっ!なんだよお前は!?」
男は青年の手首を離すと、すぐさま今度は要の胸ぐらに掴み掛かろうとした。
要は殴られる覚悟で身構える。
しかし、その手が要に届く前に男の動きは静止させられた。
要が視線を横に向けると、黒のスーツをキッチリと着込んだスラリと背の高い男性が、強い力で男の腕を掴んでいる。
「ここで騒がれては困ります。石黒様、お話は私が伺いますので一緒に事務所まで来ていただけますか?」
スーツの男性はそう言うと、ジロジロと見てくる歩行者達へペコリと頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
それから要の方へ視線を向けると少し目元を緩めて微笑んだ。
「君も巻き込んでしまって申し訳なかったね。トキ、この青年にちゃんとお礼と謝罪を言っておくんだよ」
「あっ、はい!」
トキと呼ばれて返事をしたのは先程の髪がグチャグチャの青年だ。
「では、参りましょう、石黒様」
スーツの男性は怒り狂っていた男の腕を掴んだままぐいぐいと引っ張って行く。
「やっぱりすごいなぁ、佐賀さん」
トキはその様子を見ながらフゥとため息をついて呟いた。
それから男達が路地を曲がって見えなくなったところで、クルリと要の方へ体を向けるとトキがガバリと頭を勢いよく下げた。
「先程はぶつかってしまいすみませんでした!」
「えっ・・」
こんな繁華街の道の真ん中で頭を下げられてはかなり気まずい。
要は慌ててトキに声をかけた。
「ちょ、そう言うのいいんで。顔早くあげて下さい」
そう言われトキは上目遣いで顔を上げる。
トキの大きな黒色の瞳と目が合った。
その瞬間・・
ふわりと、懐かしい風が吹いたような気がした。
・・鼻にツンと香る潮の混じった匂い。
・・今は夜だというのに、目の前に太陽の光が差し込んだように感じて、一瞬要は瞳を閉じる。
それからもう一度目を開けるとジッとトキの瞳を見つめた。
「・・・」
「・・・」
トキもまた要の顔をマジマジと見つめながら黙っている。
ーなんだ今のは・・?
目眩でも起こしたのか?
でも・・なんだろう。この感じは・・
要が黙っていると、トキがおずおずと口を開いた。
「あの・・本当に、そのご迷惑をおかしました。それで、その・・」
「・・・?」
トキは少し口籠もったが、決心がついたのかキッと要を見つめて続けた。
「もし良ければお詫びとお礼を兼ねてご馳走させて下さい!」
「・・え?」
「あ、もう時間も遅いか。えっと、あのもしよければ明日とかどうですか?」
「いや、別に・・俺は・・」
「あの、別に変なことしません!お店もよければ決めてもらっていいので!」
「・・・」
「ダメですか・・?」
いきなりこんな繁華街の街角で出会った人物と食事に行くなど、普段の要なら絶対にお断りだ。
しかも先程の男とのやりとりから想像するに、水商売か風俗関係の人間だろう。
なるべくなら関わりたくはない。
・・・しかし
「・・いいですよ」
「えっ?!」
「明日の夜は空いてるんで。あそこの駅前に八時に待ち合わせとかどうですか?」
「あっ!うん!わぁ良かった!ありがとうございます!」
自分でも驚くことに、要は承諾の返事をしていた。
なぜだかこの人物には危機感を感じないからだ。
それにもう少し話してみたいとも思えた。
トキは「それじゃあ!」と元気よく言うとくるりと向きを変え走り出した。
男達が消えていった路地の方へ進んでいったので、『店』に戻るのかもしれない。
要はその姿を見送るとそのまま駅の方へと歩き出した。
よくよく見ると、見た目も声の感じもあまり歳が離れてはいないように感じた。
しかしこの街でこんな時間に働いている。
きっと何か理由があるのだろう。
明日その話が聞けるかも知れない。
不思議だ。
普段は他人の事なんて興味が湧かないのに・・
彼のことは全部知りたい。
どうしてここに来て、なにを考え、そして今はどんな暮らしをしているのか・・
ーーずっと会いたかった
「・・?」
ふと、変な感情が湧き出て要は足を止める。
今さっき初めて出会った奴のことを、『ずっと会いたかった』なんて思うのはおかしいな・・
「・・・」
要はグシャグシャと髪を掻きむしると再び駅の方へと歩き始めた。
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