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第9話 太陽の下

暖かい風が桜の花びらをヒラヒラと舞い上がらせる。 この間満開のニュースを見たと思っていたが、すでにチラチラと散り始めているようだ。 要は真新しい黒のビジネスバッグを持ちながら空を見上げる。 もうすぐ夜の七時だ。少しずつ日の入りは遅くなってきてはいるが、あたりはもう暗い。 「要君」 横から名前を呼ばれそちらに目をやる。 ニコリと微笑みながらトキがヒラヒラと手を振っていた。 「1週間お疲れ様でした!今日は俺がご馳走するよ!」 「トキは、仕事終わったのか?」 「うん。一区切りついた感じ!だから迎えにきた!」 「・・ありがとう」 要はそう言うと少し照れくさそうにトキと並んで歩き始めた。 「要君仕事どう?やっていけそう?」 トキが目の前のラーメンにフゥと息を吹きかけて冷ましながら聞いてきた。 「まだ入社して二週間じゃわかんないよ」 要はそう答えるとズズっとラーメンを啜る。 「それもそっか。まぁ少しずつ慣れていけばいいんだよ」 トキもそう言うと勢いよくラーメンを啜った。 「トキは、webライターの仕事だいぶ板についてきた感じだな」 「まだまだだよ!やっと自分でスケジュール管理ができるようになってきたところだし。クライアントとのやり取りがスムーズに出来てるのも、要君と一緒に今のビジネスマナーを勉強できたおかげだよ」 「ちょうど良いタイミングで俺の就活だったもんな」 「要君には色々教えてもらって本当に助けられてるよ」 要はトキのその言葉を聞いて照れくさそうに目を逸らした。 地元の町に二人で帰った日から二年が経った。 要は東京に戻るとすぐにトキに一緒に暮らさないかと提案を持ちかけた。 トキを一人にはしておきたくない。そう思ったからだ。 しかしトキからはすぐに断りの返事が入った。 「要君に頼るわけにはいかないから」 と言うのが理由だった。 「それなら・・どうやったら一緒に住むことが出来るのか教えて欲しい」 要は食い下がって聞いた。今ここで諦めたら、トキはいつかフラッといなくなってしまう気がしたからだ。 それから少し間が空いてから返事がきた。 「要君に恥じない方法で生きられるようになったら」 そう書いてあった。 恥じない生き方とはなんなのか? トキが言わんとしていることはなんとなくわかる。 それならばそう出来るように手助けをしたい。 ちょうど就職活動に本腰を入れて取り組み始めるタイミングだったこともあり、トキが出来る仕事も一緒に調べることにした。 これまでの経歴に左右されず、あまり人と会わずにすむ仕事がいい。 そこで在宅で出来る仕事を調べ、そこから必要なスキルなども調べた。 そうやって要が動いてる間に、トキにも変化があった。 トキは働いているお店でキャストではなく事務の仕事に就くことになったのだ。 店長の佐賀に転職の相談を持ちかけたところ、次の仕事が決まるまでは事務の仕事をやれば良いと言ってくれた。 「本当に理解ある良い店長さんなんだよ」とトキは言っていた。 それからトキは夜は風俗店で事務の仕事をしながら、要に教えてもらった資格取得のための勉強を始めた。それから時々ビジネスマナーの講習会なども要と一緒に受けに行った。 もともと人懐っこい性格のトキは、人見知りはせず誰とでも打ち解けられる。 それは対面ではなくインターネット上でのやり取りでも遺憾なく発揮され、恐る恐る始めたwebライターの仕事を次に繋げる強みとった。 そうしてトキはライターの仕事を増やし、今年の二月、風俗店のお店を辞めた。それに伴いずっと住まわしてもらっていたお店の寮も出た。 「要君、遅くなったけど・・一緒に暮らしてもいいですか?」 それは要がずっと待っていた言葉だ。 「うん。一緒に暮らそう」 要は照れくさそうに言いながらトキの手を取った。 それから三月末に二人で住めそうな物件へ引っ越した。都心から少し離れた川沿いに並ぶアパートだ。 要の会社からは少し遠いが、知り合いに会う可能性が低いのはありがたい。 「夜はまだ少し冷えるね」 ラーメン屋を出ると、薄手のカーディガンを着ていたトキがブルリと震えながら言った。 「日中は暖かったけどな」 要はそう言いながらトキの横に並んで歩いた。 「そうだね!俺も今日気分転換に少し散歩したよ!」 「外、出たのか?」 「うん!川沿いの道はあまり人がいないから」 「そうか・・」 トキは今も買い出しでスーパーに行く時などはキャップをかぶって行く。 顔を見られるのが嫌と言うよりは覚えられるのが怖いそうだ。 それでも、以前よりはずっと太陽の下を歩く時間が増えた。 休みの日は二人で公園に行ったりもする。 陽の光でトキの笑顔が霞む。その光景がどこか懐かしく感じることもある。 そんな時は、自分の中の栄二に声をかけるのだ。 「大丈夫だよ」と。 「要君、スーツ姿すごい似合っているよ!急に大人の男性になったって感じ」 トキはフフっと笑って言った。 「髪の毛も、前の灰色だった頃が懐かしいくらい!」 「そりゃぁ・・就活にあの色じゃ挑めないからな」 結局、あのアッシュグレーの髪色はかなり短い期間で終わった。 三年生の夏前には綺麗な黒色に染め直した。 その時のトキの顔は忘れられない。 目を大きく開き、懐かしむような恋しがるようなそんな瞳で要を見つめていた。 それは今も小さな棘のように刺さっている。 自分は『栄二』の代わりではない。たとえ昔『栄二』だったとしても、今生きているのは『相楽 要』だ。 けれど・・トキが一緒に居てくれるのは昔『栄二』だった『相楽 要』だからではないのか。 それでもいい。 そう思う時もあれば、それでは嫌だと思う時もある。 気持ちはフラフラと揺れながらも、今はただ隣りにある笑顔に安心しているのだ。 「要君!あそこの桜、綺麗だね!」 トキがそう言って指差したのは川沿いに咲く満開の桜の木だ。 まだ花びらはあまり散っていない。 夜の闇の中でもぼんやりと浮かび上がるように咲いている。 「近くで見てみよう!」 トキはそう言うと小走りで桜の木の下へ行った。 近くで見てもやはり綺麗だ。ライトアップされているわけでもないのに、花びらの輪郭がハッキリと見える。 「ねぇ、要君」 トキは桜の木を見上げながら要に話しかけた。 「俺、要君のことが好きだよ」 「え・・」 要は突然の言葉の意味を理解できずトキを見つめる。 「俺の人生は、栄二が死んだ時に終わったと思ってた。ただ息をして時間が流れるの待って、一日が終わる。生きながら死んでいるような毎日。でもそれでいいと思ってた。それが一緒に死ねなかった栄二への償いだと思ってた」 「・・・」 「でも、要君に出会って・・要君が俺の人生をまた生き返らせてくれた。止まっていた時間が動き始めたみたいに感じた。不思議だけど、要君を初めて見た日からそれまで白黒に写っていた景色に急に色がついたような気がしたんだよ」 トキは微笑みながら言った。 しかし要の表情は浮かない。要は視線を下げたまま言った。 「・・それは、俺が栄二に似てたから。いや、栄二の生まれ変わりだったからじゃないのか?『栄二』がもう一度トキの前に現れたから・・」 「違うよ!」 要の言葉をトキの大きな声が遮った。 「違う!俺の目の前に現れたのは『相楽 要』君だよ。少し無愛想で気が強くて、思ったことはハッキリ言わないと気がすまない。栄二とは全然違うよ」 「・・っ」 要は自分の性格を言い当てられグッと息をのむ。 トキはそのまま言葉を続けた。 「確かに・・顔はそっくりだけどさ。でも話してるとよくわかる。要君と栄二は全然違う。別人なんだって。そうやって話して、一緒にいるうちに俺は要君っていう人にとても惹かれていったんだよ」 「・・トキ」 「でも俺は・・きっといつまでも一緒にはいられない。いつか君の人生の足枷になってしまうと思う・・だから・・その時は迷惑をかけないようにいなくなるから、それまでは・・一緒にいさせてください」 トキが笑いながらそう言うと、満開の桜が風で少し揺れた。 ザザぁっと音がする。 トキにとっては何度目の春なのだろう。どれだけの時間、一人で桜を見てきたのだろう。そんな考えが一瞬頭をかすめる。 それから要は両手を広げるとトキの体を抱きしめた。 「わっ!」 トキが驚きの声を出す。 しかし気にせず要はさらにトキの体を包み込むように抱きしめながら言った。 「・・俺もトキが好き。この気持ちは栄二のものじゃない。俺が思った気持ち」 「・・要君・・」 「トキが、笑っている顔が好き。寂しそうな時は側にいたい。この先もずっと。俺はどんなトキでも大丈夫だから、心配しないで」 「・・・」 「俺が老けていくの一緒に見ててよ。困った時は助けてもらうからさ」 要のその言葉を聞いて、トキはバッと顔を上げる。それから瞳を赤くさせながら頷いた。 「うん・・うん!・・」 栄二が見せられなかったもの、俺が見せるから。 大丈夫。 今度はトキを一人にはさせない。 歩いていくんだ、同じ時間を。 人気のない、夜の桜並木の川沿いを手を繋いで歩いて行く。 そこは二人だけの空間だ。 たとえ太陽の下じゃなくても、君がいれば二人で歩く道はこんなにも明るい。

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