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「藤咲、お前それやめろって言わなかったっけ?」
藤咲は自身の手首を掴んで胸元まで持ってくると目を伏せたまま「うるさい·····あんたに関係ないだろっ」と悪いことをした子供のように不貞腐れている。
「関係ないとかじゃなくて、ピアニストだろ。そんな傷作ったら思うように弾けないんじゃないのか?来月、大事な仕事があるんだろ?」
「ハンドクリームは塗ってるし、弾く時は手袋履くからいい·····これくらい我慢できるし·····」
ああ言えば、こう言うように大樹が忠告しても言い訳で返してくる。いつもの調子で溜息を吐きそうになったが、些細な行動から藤咲の不安を煽るような気がして寸前の所で飲み込んだ。
大樹が返す言葉を失っていると「呆れたのか?」と憂愁の色を浮かべて問うてくるので「違う。こんな傷増やしてたら心配するのは当たり前だろ?」と胸元の手首を掴むと藤咲の両手を包むようにして両掌で握る。
伏せて目を合わせない藤咲の目をじっと見つめる。眉間に皺を寄せて今にも飛び出して御手洗へと向かいそうな勢いだったので「この後、洗うなよ?」と釘を刺して手を解放してやると、藤咲は大きく息を吐き肩を抱き、前屈みになると「あんたのやり方、強引なんだよ·····最悪」と睨みながらも顔を顰めていた。
何度罵倒を受けようとも藤咲に嫌われる覚悟は出来ている。彼の真意があの時少しだけみえた気がしたから怖いものなんてない。
それに睨んできた割には「家に帰っても我慢できたら、あんたは嬉しいか?」と問うてきたので「もちろん」と笑顔で返してやると素直に「頑張ってみる·····」と耳朶を赤くして答えた姿が意地らしくて抱きしめたい衝動に駆られた。
「大樹さん」
そんな藤咲を見守っていると、背後から聞き覚えのある声で呼ばれて背筋が凍る。
透き通るようだけど、どこか茨のような棘を持った甲高い女性の声·····。
自分のことを名前のさん付けで呼ぶのはひとりしかいなかった。
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