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【SIDE:A】

 12月11日――俺は、混乱していた。 「で……どうだった?」 「大成功でした!」 「そりゃよかった」  レジカウンターの向こう側でアーモンド・アイをキラキラさせているのは、つい先日まで、俺の生徒だった神崎理人君。  土曜日の今日は会社が休みらしく、出勤する佐藤君と一緒に俺の城……もとい、『赤羽楽器店』にやってきて、先日のミッションの結果報告をしてくれているわけだが……。 「赤羽先生のおかげです。ありがとうございました!」 「あ、ああ、うん」  さっきから、ドキがひどくムネムネするんだが!?  恥ずかしそうに店に入ってきた一ヶ月前のあの時から、彼がイケメンであることは一目瞭然だった。  佐藤君の恋人だと聞いた時は驚いたが、こんな年にもなれば、そういう友人が周りにまったくいないわけでもないし、彼氏を喜ばせるために……と一生懸命に取り組む姿が健気でいじらしくて、あっという間にハートを鷲掴みされてしまったことは否定しない。  だが、それは恋や愛だのと言った感情からはほど遠いものだったのに、  なんなんだ、このトキメキは!?  俺は大人だし、妻の逆鱗に触れるわけにはいかない……じゃなくて、妻を心から愛している。  だからもちろん、勢いに任せて理人の頭をなでなでするなんてことは、決して――… 「赤羽さん……?」  って、してた!  もうしてた!  どうしたんだ、俺!  手が……!  手が勝手に……!  しかも、理人は目を細めて気持ち良さそうにしている。  おいおい、だめだろう。  そんなかわいい顔を、恋人のいないところで見せちゃ……!  彼の外見でこんな性格なら、そのうち悪いおっちゃんに引っかかってしまうんじゃないだろうか。  つい、そんな場違いな心配が浮かんで……ん?  この場合、〝悪いおっちゃん〟は俺か……!? 「赤羽さん」 「ん?」 「これ、受け取ってください」  ちょっとだけ髪の乱れた理人が差し出したのは、薄桃色の紙袋だった。 「ささやかで申し訳ないですが、レッスンしていただいたお礼です」 「いいって言ってんのに……」 「俺の気が済みませんから。一ヶ月間、お世話になりました」  眼下に項垂れた後頭部を見下ろし、俺は苦笑した。  ここまでされてしまったら、きっと、突き返す方が傷付けてしまうに違いない。  彼の手から紙袋を受け取り、細長い空間の中をこっそり覗くと、透明なプラスチックケースの中に、色とりどりの何かが入っていた。 「これ……もなか?」 「マカロンです」 「マカロン……」  聞いたことのある言葉だが、口にしたのは初めてかもしれない。  それにしても、アラフィフのおっちゃんにはかわいすぎる贈り物だ。  いかにも、10代の女の子が喜びそうな――あ。  もしかして、そういうことか? 「赤羽さん宛てだと、受け取ってくれないでしょう?」  ハッと顔を上げた俺が見たのは、片方だけ口角を上げた理人の不敵な笑みだった。  なんだ、そんな顔もできたのか。  やられたな。 「ありがとう。娘が喜ぶよ」  途端、アーモンド・アイの輪郭が変わり、つやつやと輝き始める。  くるくるとかわる表情は本当にかわいいし、見ていて飽きない。  思わずまた頭を撫でていると、 「お触りはご遠慮ください」  地を這うように低い声が混じった。  振り返った先にいたのは……なんだ。  そんな顔もできたのか。 「佐藤君、教室の準備は?」 「……全部終わりました。だから理人さん」 「ふぇ?」 「もう帰ってください」 「え、なんで急にっ……」 「これからレッスンなんで」 「え、見たいっ……」 「だめです」 「でもっ……」 「だめ」 「だってっ……」 「絶対だめ」  なんだ、こいつら。  面白すぎる。  夫婦漫才のつもりか? 「はあ……」 「ため息つくな!」 「理人さんが言うこと聞かないからでしょ」 「お、俺は子どもじゃなっ……」 「いい子だから、おとなしく家で待っててください」 「……」 「ね?」  ……うっわ。  うっわ、恥っずかし!  俺、ここにいるよな。  見えてるよな?  それなのに、そんな会話しちゃう!?  佐藤君になでなでされて、理人の顔が完全に茹で上がっている。  俺の時とは、まったく反応が違う。  嫉妬は?  よかった、していない。  俺の土器はまだ胸胸……じゃなくて、胸はまだドキドキしているが、苦しい感じや、切ない感じは、まったくない。  ああ、そうか。  今、分かった。  このトキメキの正体。  これは、恋でも、愛でもない。  完全な、  親心。  俺は、理人のことが実の息子のようにかわいいんだ。  一気に腑に落ちた俺は、安心して二人を見守ることにした。  ああ、理人のやつ。  いちいちそんなかわいい顔してると、おっちゃん心配になっちゃうだろ。  お、いいな、これ。  なかなかいいぞ、気に入った。  うん、そうだ。  これからは、〝親戚のおっちゃん〟的な存在でいよう。  時々カフェに連れ出してクリームソーダを食べさせてやって、「最近どうだ? アイツとはうまくやってんのか?」なんて話を聞いてやって、もし喧嘩した……なんて泣き出したら慰めてやって、でもここぞって時には憎まれ役を引き受けてやるような、そんなおっちゃんになろう。 「理人」 「はい?」 「佐藤君に泣かされたら、いつでも俺に会いに来いよ」 「えっ、う……うん?」 「ちょ、赤羽さん! なに口説いてるんですか!」  ……あ、言い方、間違えた。  fin

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