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「ふう。まったくサジはモテて困る。」
「店内でおっぱじめんのかと思ったわ。首隠せ首。」
よいしょと向かいに座ったサジも肉豚と呼ばれた貴族にばっちりと首筋に痕を付けられ戻ってきた。
本当に節操がない奴めと呆れた目を見ると、くふりとごきげんに笑って野菜と魚の煮込みを頼む。
「肉豚はサジの苗床をくれるのだ。一度寝てやったらなかなかに使える。」
「苗床って、怪しい仕事でもしてるンか。」
エルマーがちらりと肉豚を見つめると、何やら悔しそうにしながらエルマーの方を見つめてくる。勝手に間男に認定されたらしい。お前も俺と魔物と、穴兄弟だと教えてやったらどんな顔をするのか少しだけ気になる。
「んで、契約持ちかけてきたのはあいつか?」
「ちがう。あいつはつまみ食いしただけだ。ここには今はいないな。」
「まあ、日にちたってんしな。いるとは限らねえか。」
運ばれてきた煮込みを受け取ると、エルマーはナナシの分を取皿に取り分ける。スプーンを握らせると、エルマーの手元を見様見真似で動かして肉をすくってみる。
ばくりと一口で食べるエルマーを見ると、ナナシは目を輝かせた。
「ふぉ…」
「ナナシにはちとでかくねえ?」
「あ、んう…」
肉をみてぱかりと口をひらく。一口まるごと行くにはたしかに難しそうで、まくりとひとかじりするとスプーンを置いてモムモムと口を抑えて味わう。
「ふむ、ナナシは食うのが下手だなあ。」
「可愛いだろうが。ほら、食わしてやっから口開けな。」
「んぐ、できぅ。」
サジに下手と言われたのが恥ずかしかったのか、今度は小さく切ってからムグムグと食べる。片手で口を隠せば片手でスプーンを持っててもおかしくないと思ったのか、ひらめいた顔をしているのがエルマーの心をくすぐった。
「ぐあー、かわい。俺はいつから変態性癖に…」
「これでまじで抱いたらそうなるなあ。やーいエロ、エルマーのエロ!」
「やかましい!はよくえっての。」
「マイコ、あーん」
「え、こいつにくちあんの?」
小さく切り分けた野菜をマイコに差し出したナナシをみて、エルマーがぎょっとする。
マイコはふるふると身を震わすと、傘の下にスリットが生まれ、グパァとギザ歯を見せつけながら傘を傾ける。
そのあまりの風貌にエルマーは鳥肌を立てると、ナナシはなんてことない顔でスプーンを口の中に突っ込んだ。
「うわぁ…食うんだ…」
「なにいってる。マイコニドは雑食だぞ。なんだって食う。」
「マイコ、かぁいい。おいひ?」
「お、おお…よかったな…」
モシャモシャとギザ歯をめちゃくちゃに動かしながら追加でもらったお肉も咀嚼する。笠がブルブル揺れているが、もげたりしないのかと少しだけ心配になる。
マイコのよだれが付いたスプーンも気にせず使っているナナシは、大きな芋が崩せなくて途方に暮れていた。
静かなる芋との戦いを始めたナナシの横で、エルマーはサジが魚の骨をマイコに食べさせるのを見ていた。まじで雑食である。
三人と一株が同じテーブルで穏やかな昼食を取っていると、ガヤガヤとガラの悪そうな集団が店内に入ってきた。
エルマーはちらりと見つめた後、続いて入ってきた弱々しそうな、その集団には似つかわしくない痩せぎすの男が同じ卓を囲んだのを見る。
「そうだ、サジは今晩も帰らない。肉豚のところに行く。またいい苗床を仕入れたらしい。」
「別に律儀に報告しなくてもいいぜ。使役ったって行動まで制限してるつもりねぇしな。」
「うふふ、ベッド温めて待っているがいい。明日には戻る。」
「へいへい。」
エルマーがスプーンを加えながら行儀悪く返事をすると、静かに芋と格闘しているナナシの皿を引寄せてナイフで食べやすいようにカットしてやる。
サジは食事が終わると肉豚にようがあるらしく、席を立ってあの男の元へとふらふらと向かっていった。
「ひぃ!!」
「後衛風情がよぉ。せっかく俺らのパーティーに入れてやってんだ。飯代奢るなんて当たり前のこと、教えてやらなきゃ理解できねぇってのか!!」
ガシャンと食器と机の弾む音がした。どうやら仲間割れを起こしているらしく、標的は気の弱そうな男だった。
びくんと体をはねさせてナナシが怯える。怒鳴り声にはトラウマがよみがえるらしく、エルマーは気弱そうな男よりもナナシの心配をした。
「ひぅ、」
「大丈夫だって、お前に怒ってんじゃねえから食いな。」
「うぅ…」
ぐすっと鼻を啜るとエルマーが切ってくれたお芋をゆっくり掬って食べる。怯えたようにちらりと上目に騒ぎを起こしている方向をみると、ぺこぺこしている男を見てじわりと涙を滲ませた。
エルマーの大きな手が優しくナナシの頭を撫でる。奴隷だったときの自分と重ねてしまったのがバレたようだった。
「こちとら女日照りだってのに、てめぇのせいで娼館ひとついく金稼げねぇ!面のいい男でもいいから連れてこいよ。」
「そ、そんな…っ!俺にはむりだよダンナぁ!!」
顔に大きな傷があるガタイのいい冒険者は、乱暴にテーブルを叩くとつばを撒き散らしながら喚き散らす。取り巻きだろう3人も、にやにやといやらしい笑みを浮かべて同調する。
エルマーはしらないが有名な冒険者らしく、先程から周りの客もちらりと見ては何かをささやきあう。
まったくもって興味はないので、エルマーはのんきに追加でパンを頼んだ。
「オヤジィ!このバケットとチーズも追加でぇ。」
戸惑ったように了承した親父は、軽く炙ったバケットにチーズを乗せたものを二人分持ってくる。周りの目線は一気にエルマー達に釘付けだ。
お前、このタイミングで頼むのか。無言の視線はそう語る。遠く離れた席に居座っていたサジはというと、大笑いしそうになって肉豚に止められていた。
「これ食ったらギルドいって宿探すかぁ。」
「あぃ。」
エルマーがバケットの蕩けたチーズのうえに解した肉と残った野菜を載せてナナシに手渡す
初めて見る食べ方にキョトンとしたナナシは、エルマーが齧り付くのをみて、まくりと自分もバケットの端を加えた。
ぴりつく空気が支配する一角のみ、なんとも微笑ましい光景だ。頬を染めながら硬いバケットをもそもそと加えて目を輝かせるナナシはなんとも可愛い。可愛い子はみんなの癒しになるのだ。そして注目も浴びやすい。
華奢で心優しく、なかなか見ない美貌の少年だ。いくら隣にエルマーが座ってたって、化け物じみた筋肉を持っているわけではない。
エルマーもまた太くもなく細くもないため、体型だけで見られるとなめられる。
そうするとどうなるかというと、こいつならいけそうという先入観で物事を図られる。
だからとくに己の力量を見誤る程度の低い輩にはほとほと困っていた。
このとき、気弱な男の目は、そして顔に大きな傷のある男の視線はナナシに向いていた。
エルマーは気づかないふりをしながら少しだけ元気になったナナシの面倒を見つつ、そっとその金の目を細めた。
「える、サジ…」
「あいつは別行動だってよ。まあ明日には戻ってくんだろ。」
店を出たあと、エルマーはナナシの手を繋ぎながらギルドに向かって大通りを歩いていた。マイコはサジが出掛けるというと、その身を土に潜らせて返っていった。全く謎である。何を持ってして呼び出しているのかは知らないが、寂しそうな顔をしたナナシにハグをしてから消えてった。
「元気出たか?デケェ声こわかったんだなぁ。」
「へーき、もう、こあいない…」
「おう、まあ無理すんなよ。」
「あぃ、」
小さい手を握りながら、街並みを興味深そうに見つめるナナシの歩みに合わせる。ここの区域だけでドリアズの村が余裕で収まる程だ。行き交う人物の中には獣人だろうか、身体的に特徴をもつ者もいた。
「ふあ、」
「ん?」
「かぁいい…」
通りかかった広場には、カエルをもしたモニュメントが噴水の中に鎮座していた。
口の中から水を吹き出しては、水しぶきを上げて巡回する。流れのある噴水の底には、キラキラとしたコインが巻かれていた。
願いの蛙と記されたその噴水は、どうやらデートスポットらしい、よくよくみるとカップルらしき二人組みが手を繋いで寄り添う姿がチラホラと見受けられた。
「みんな、なかぉし」
「なかよし、だな。」
エルマーの手も、優しくナナシの手を握りしめていた。にこにこしながら噴水をみているナナシの横顔をみて、胸の内側の柔らかい部分が甘く鳴く。
ナナシの綺麗な瞳がやさしく細められ、周りの様子を眺めては口元を緩ませる。
人の幸せを見るのが好きで、悲しいことは嫌い。
大人になると見て見ぬ振りをすることも増えてくる。それなのにナナシはその小さな体で全て受け入れようとする。
眼の前の他人の幸せも、バルでの他人の悲しみも。
「える、すき。」
「…おう。」
黙って見つめたいた事に気付いたナナシが、エルマーを見上げた。一対のトパーズの瞳に囚われる。
エルマーはもっと近くでその瞳の色を見たかった。
優しくて純粋で、人の痛みに敏感な新雪のように綺麗なエルマーの大切。
そっとナナシの頭にフードを被せるようにして顔を隠すと、その薄い唇に吸い付いた。
「っ、」
ふに、と柔らかなそこを唇で挟む。数度角度を変えて、ちゅ、と濡れた音をたて、そっと唇を離す。瞬きを忘れたようにぽかんとした顔で見つめたナナシが、エルマーを見上げたまま固まっていた。
「…あ?」
俺は今、なにをした。
じわりと首筋から一気に顔を赤らめたナナシが小さい手で口を押さえる。エルマーはというとハッとした顔をして慌てて周りを見渡した。
なんだか温かい目で見てくる広間の疎らな衆人環境の中、慌ててナナシを抱えあげると逃げるようにその場を離れた。
「え、える、える…」
「おう、なんだ、あの、とりあえずアレだ。」
ギルドという言葉が出て来なくなるくらいにはエルマーも慌てていたようだ。
まだ子どものナナシに、連日手を出している自分にいい加減あきれる。これはやっぱり誰でもいいから助走つけて殴ってもらわねば。
抱え上げたナナシは細い腕をエルマーの首に絡ませて落ちないようにしている。耳まで染めた小さな頭を肩に埋めて、頭の中にはたくさんのなんでやどうしてで占領される。
ふわふわだ、頭の中がふわふわである。
ナナシはこんなふうに手を繋がれることや、唇同士がくっつくことで胸がおかしくなるという経験を、ここ数日で体験した。
自分の情緒が慌ただしくて、なんだかちょっぴり甘くて切ない。泣きそうな不思議な感覚なのに、涙が出ないのだ。
エルマーの匂いに包まれながら、まだその答えが出せるほどナナシはおりこうじゃない。
わからないけど、わからないからこそ、この不思議な感覚が嬉しかった。
しばらく走るエルマーに揺さぶられて辿り着いたギルドと呼ばれるそこは、ドリアズとは違ってナナシ一人なら絶対に入ることはできなさそうな怖い雰囲気の場所だった。ナナシはエルマーに降ろされて再び手を繋ぐと、きゅっと唇を真一文字に引き結んでドキドキしながら扉を開く。
なんだか荒っぽいかおりがしたのだ。俗に言う男臭いというか、汗臭いというか、そんな粗野な者たちが集う場所である。
エルマーによって被せられたフードを端を小さい手でずれないようにおさえながら、とてとてとエルマーについていく。
中はL字に丸太の木のカウンターが壁に仕切られて備え付けており、依頼の受注と素材の換金、そして必要な携行品の販売所がギルドの室内から隣の建物に繋がっていた。
2階建てのそこは、下がメインで人が多い。上の階はギルド長のいる場所らしく、そこではランクアップの際の説明や資格会得のための審査を行う場所があるようだった。
エルマーが中に入ったときには、いかにもギルドらしい他者を推し量る目線が全身を値踏みするようにその身をなぞる。
そうなのだ、本来はこんな感じで、これが普通。
ナナシはびくんと肩を揺らしたが、エルマーの手を握ったまま腕にしがみつくようにして、なんとかやり過ごした。
「ここはガキ連れて来るとこじゃねぇぞ。」
野次が飛ぶがどこ吹く風だ。エルマーはとても図太いので特に気にすることもない。ナナシだけは顔を俯かせて身を縮こまらせた。
「なあ、ダラスってどこ?」
「ダラス祭祀のことですか?それなら国が管理する教会にいらっしゃいますが…その、なんのようで?」
受付の眼鏡の男は年の離れた少年を連れてきたエルマーの質問が不躾だったせいか、不審な人物を見るような目で見る。
「手紙と渡すもんがあんだよ。城があるとこらへんか?」
「そうですが…突然行かれても中には入れませんよ。もしお会いするなら外れにある孤児院ですね。ダラス様はそちらによく顔を出されますから。」
「孤児院。場所は。」
「皇国の、城から見て左側…こちらですね。もし行かれるなら孤児院で出している依頼があるので受注されませんか。」
目の前の受付の男は、エルマーが依頼の受注をすることで不審な行動を起こしても後を追えるようにと考えていることを悟った。
なるほど頭のいい男だ。どうやらダラスとやらは人望の厚い人物のようである。
こちらも手紙とクラバットさえ渡してしまえば用はないので、仕方なくその依頼を受けることにした。
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