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「エルマーだ。依頼者に会いに来た。」 丸太の作で囲われたそこは、始まりの大地側の城壁から森を挟んですぐだった。 質素な木造のつくりの平屋の孤児院は、裏側には小さな礼拝堂があり、祭祀はそこに詰めている。 エルマーは依頼対象を討伐後、そのまま孤児院の裏に回って直接礼拝堂のドアを叩いた。 「ああ、君がエルマー?」   蝶番の音がきしむ。扉から顔を出したのは亜麻色の長い髪を緩く編んで横に流した華奢な男だった。 エルマーの鎖骨あたりの身長しかない、小柄な男だ。戸惑いと、少しだけ警戒心を抱いたその薄茶の瞳は、下から見上げるようにしてエルマーを見つめる。 「…あんたがダラスか。驚いた。もっと爺が出てくると思っていた。」 「こう見えて、30は過ぎています。若くみられるのはあまり好きじゃない。」 「…悪かった。依頼の件できた。入ってもいいか。」 「お茶を入れましょう、中に椅子がある。そこにかけて待っていてください。」 扉をくぐるようにして入ると、中は実に簡素だった。横長の椅子が通路を挟んで六脚、その先には祭壇がある。その祭壇を見下ろす様に掲げられた白い石で作られた聖人像の足元にはルリケールが鎮座しており、手前には清めの為の聖水が入った水瓶が置かれていた。 ダラスは祭壇横の小部屋に入ったかと思うと、ヒョコリと顔を出した。 「どうせなら私の部屋に来ますか。今更ですが、ここでだと落ち着かないでしょう。」 正直、その申し出はありがたかった。礼拝堂の壁に飾られたステンドガラスは、月の光を浴びて青く室内を照らしており、この静謐な空間はエルマーにとっては居心地が悪かった。 神に祈る気質でもない。エルマーは小さくうなずくと、ダラスについて地階にある応接間に入った。 「街外れの小さな礼拝堂ですから、私の部屋とキッチンがそこの扉と続いているんです。応接間とは名ばかりですが、こちらのほうが余程寛げるでしょう。」 「夜更けにきて悪いな。手短に終わらせるから よ。」 「構いませんよ、今日は眠れないと思っていたので。」 カチャリと陶器の触れ合う音がして、ダラスが温かいお茶を差し出す。干し果実も添えてくれ、小腹がすいていたエルマーは有り難く頂くことにした。 「これから、向かうのですか?」 「いや、もう討伐は済んだ。」 まくりと干し果実を食らう。濃厚な甘みが口の中に広がり、ぷちりとした種が楽しい。ナナシが好きそうだなと思った。 「それは、随分と早い…」 「妙な魔物だった。体格の割に中身がスカスカで、手応えがない。あれはいつから現れた。」 「一月ほど前に、行商が目撃しています。…壁の外で目撃されていたようですが。」 ダラスが言うには、元々は始まりの大地に発生したものだという。皇国の外の森深く、遠巻きから確認できるほどの大きさのそれは、まるで月に向かって首を伸ばすかのようにして夜な夜な徘徊をしていたという。 こちら側に侵入することもなく、特に被害もない。得体のしれない魔物がいるが、触らぬ神に祟りなしでこちらからアクションをすることはなかったらしい。 「しかし、一週間ほど前の雨の日、あれはこちらに現れた。あの城壁を音もなく登ってきたとは考えられない、…まるで召喚されたように突然。」 「実害は。」 「こちらにゆっくりと近づいて来ていたのです。人的被害が出る前に依頼を出しました。」 「ふうん、」 ダラスはその華奢な体にストールを纏いながら、そっとその身を抱きしめるように腕をさすった。 まるで魔物を初めて目にしたときを思い出しているかのように、怯えた表情で。 「…もう大丈夫だろ。あんたもきっと寝られる。」 「だといいのですが、」 目の下の隈は、それほど恐ろしかったのだろう。その細い体で幼い子どもたちをどう守ろうか、不安な夜を過ごしていたに違いない。 エルマーは懐に忍ばせていたくしゃりとシワがついた手紙を取り出すと、ダラスに手渡した。 「あとこれ。」 「これ、は…」 「こいつを渡せば、あんたならわかるってさ。」 手紙と一緒にクラバットもテーブルに置く。目を見開いたダラスは、震える手でそっとそれを手に取ると、感触を確かめるようにそっとそれを撫でた。 「…あの人から、」 「しらねえ。俺を助けてくれた奴に渡せって言われたんだ。」 「生きていたのですね…」 エルマーは、そのクラバットを胸に抱き込む様子に目を細める。手紙とともにそれを託した恩人は、左目を失ったエルマーを治療してくれたその人だった。 皇国に置いてきた恋人に届けてほしい。そう言われて託されたそれは、ある意味の遺言だと思っている。 男は、エルマーを助けたときに、最後に一つだけいいことをしたかったと言っていた。不器用に笑う男だった。離れて暮らす恋人に会いたいと泣き言すら言わずに、夜な夜な手紙をしたためては破いて捨てていた。 恋人といっていたが、弟だとも言っていた。 神の教えに背いた近親愛で離されたと。会いたいけれど会えなくなるから、ここを離れるなら、いつかこれを弟に渡してくれと託された。 「これは、いつ…」 「三年前。あんたの兄貴は南の小さな町の教会で治癒術師として暮らしてた。俺はそこに流れ着いただけさ。」 手紙を読み終えたダラスが、小さくつぶやく。長くないことをしたためていた。彼は、戦火に出くわした魔物に襲われて呪いを受けていたのだ。 死ぬとわかっていたからこそ、できることを探した。そういって川のほとりで気絶していたエルマーを助け出して、治療をしてくれた。 「南、…」 「流石に目玉は治んなかったけどな。いい腕だった。」 「あなた、っ…」 エルマーは前髪をかき上げて左目を晒す。眼窩には何も入っていない。目玉と腹の傷で生死をさまよっていたエルマーに、こんなところで死ぬなとおせっかいを焼いたのだ。 ビクリと肩を揺らして息を詰めたダラスは、少しだけ怯えた顔をした。 「その手紙には、なんて書いてあった?」 「野暮なこと聞かないでくださいよ。」 泣きそうな顔で微笑んだダラスに、エルマーは片眉を上げた。あの不器用は、手紙だと素直になるらしい。エルマーは小さく笑うと、もう役目は終えたとばかりに立ち上がった。 「あの、っ…」 慌てて後を追うつもりだったのか、立ち上がったダラスが体勢を崩した。思わずその体を受け止めるようにして支えると、そのまま胸に飛び込んでくるような形になった。 「おっと、…あんた、まじで寝たほうがいいぜ。ふらふらじゃねえか。」 「す、みません…わ、っ」 「部屋どこだ。あんた寝かせてからじゃねえと帰れねえわ。」 ひょいと抱き上げると、ダラスは目を丸くして驚いた。まさか抱えあげられるとは思わなかったのだ。初対面で、依頼の受注を受けた人によってここまで見てもらう分けにはと、頑なに固辞をしたのだが、全く意に介さずに結局ベッドに運ばれた。 ベッドにそっと寝かせると、近くなった距離に顔を赤らめて目を背けた。エルマーにとって、普通なら据え膳である。だけれど、手を出さなかったのはナナシがいたからだ。 それに、恩人の恋人であり弟だ。そっと布団をかけてやると、またなと一言声をかけてから立ち上がると、今度こそその場を辞す。 ダラスはその広い背中を名残惜しげに見つめていた。 孤児院を後にしてからは、それはもう忠犬のように帰路の一途をまっしぐらである。 「やべえ。もうすぐ朝じゃねえかったく、もおお!」 脚に強化の術を施すと、屋根伝いに宿を目指す。エルマー達が運ばれて一夜をすごしたそこは、ギルド管轄の宿らしく、城門の直ぐ側にあったのだ。 端から端の移動で、図らずとも長くの時間を取られてしまっている。そのまま目的地につくと、窓を開けとけといったおかげか、エルマーの泊まっている部屋の窓が開いていた。 そこに身を滑り込ますようにして中に入ると、勢いが付きすぎてドシャリと音を立てて床に激突した。 「い、っ…てて…っ、」 「んゅ、」 ナナシのベッドの真横に落ちたのだ。その振動で目が冷めたのか、眠そうな顔で布団から顔を出す。床に転がっていたエルマーは、泣き腫らした目で寝ぼけているナナシを見上げると、ムクリと腹筋だけで起き上がった。 「サジは、あいつ…ナナシが寝てから居なくなったな。」 見とけっつったのにとむすくれると、くい、とシャツの裾が引っ張られた。 「ん?」 「え、ぅ…ま…っ、」 「ふは、」 くしゃっとした顔で目に涙を溜めたナナシが、ひっくと嗚咽を漏らしながら見上げていた。まだ日が昇りきっていない早朝も早朝だ。ぐしぐしと愚図るナナシの頭を撫でると、エルマーはそのまま床に落とすようにして装備を外した。 「泣くなって、ちゃんと帰ってきたろうが。」 「あぅ、っ…ぁい…っ、」 「おう、返してくれんの。さんきゅな。」 ナナシが握りしめていた義眼をそっと差し出す。エルマーはその様子に笑いながら受け取ると、かぽりと左目に嵌め込んで瞬きをする。ようやく収まりが良くなった。眼帯はそのままポイッと床に落とすと、シャツとボトムを脱いでナナシのベッドに下着姿で滑り込んだ。 寝るときに服を着るのが好きではないエルマーは、冒険者としてはあるまじきである。 普通何かあったときのために服も装備もこんな無防備に脱ぎ捨てはしないのだ。 それでも気にせず好きなようにすると、その腕に少し体温の高いナナシを抱き込んだ。 「あー、おちつく。」 「うぅ、」 じわりと頬を染めたナナシは、剥き出しのエルマーの胸元にゆるりと擦り寄る。とくとくと脈打つ鼓動に耳を傾けながら、エルマーの手がそっとナナシの素足を這うのを好きにさせた。 「ん、悪いけどちょっと付き合ってくれ。」 「うん、っ…」 ぎゅ、と強く抱き込まれて、自然とエルマーの猛りがナナシの太腿にあたる。悪戯な手が服の裾から足をなで上げるようにして侵入し、そっとナナシの下腹部に触れる。  嬉しいと思った。エルマーに触ってもらえるのが嬉しい。ナナシは両手を小さくして胸に納めながら、エルマーの手によって施される癖になりそうな甘やかな刺激に身を任す。 「ふあ、」 「は、やらけぇ。」 エルマーは、もう色々と限界だった。なにせ疲れたし、魔物はわけがわからなかったし、当初の目的を達成したので、この先はどうしようとか、ナナシはこのまま俺といてくれるのか、サジはどうしようとか、そんな小さな突起のような悩みに頭が弾けそうだった。 だって、エルマーの旅の目的が達成された今、やりたいことといえば本能のままにナナシを貪りたいのだ。だけど体が小さいし、年下だし、泣き虫だし子供だし。 取り留めないが、無視もできない悶々とした悩みを抱えた今、一先ず戦い後の昂りを抑えてから考えようと思ったのだ。 エルマーはずるい。ナナシが嫌と言わないことを理由にして、全て奪ってしまいたいと悪魔が囁く。 「ナナシ、俺が寝ぼけてたってことにしてくれるか。」 「う、…?っ、」 「しかたねーなって、寝ぼけてたんならしかたねーなって笑ってくれるか?」 「ふぁ、っ…はぅ…、っ…」 嫌なら叩いてくれていい。だけど、ナナシに嫌いと言われたら流石に泣くかもしれない。それほどまでに不思議な魅力をもつナナシに惹かれていた。 エルマーがナナシに醜態を晒しても、寝ぼけてたからで笑ってくれ。そうお願いをして、その小さな喉仏に舌を這わせた。

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