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「や!」 「だめだ。」 「やだぁ!える、やー!」 「だめだってんだろ。」 「ひう、ぅー‥っ、…」 ぐすぐすと愚図るナナシは、先程から依頼をこなしに行くエルマーについてくるなと言われていた。 傷は治したが重かったこともあり、まだ微熱は続いていたのだ。 依頼は本日の夜、幽鬼だってでるかもしれないのに、当の本人であるナナシは何故か行く気満々だったのだ。 「泣いてもだめだ。風邪ッ引きなんだから待ってろよ。」 「ひとり、や…っ、」 「サジ置いとくからよ。」 「サジも留守番か!?えー!つまらん!不服だ!」 「つまらんくねえ、ナナシのこと頼むわ」 「いやぁ、ううぅっ…」 ついにぼろりと大粒の涙を零すと、首を振りながら目元を拭う。なにがそこまでナナシをそうさせるのか、エルマーにはわからずほとほと困った。 くちゅんっと可愛いくしゃみをすると、泣いたせいで熱が上がったようだった。 サジが呆れ気味にナナシの額に濡らした布を当てて冷やしてやる。思いの外サジが面倒見がよく、エルマー一人だったらこうは行かなかった。   「帰ってくるよ、なにびびってんの。」 「うぅ、っ…」 ナナシの濡れた目元を拭う。ナナシは置いてかれるのが嫌いなのだとようやく理解した。 エルマーはしばらく悩んだが、まあいいかと左目に手を突っ込むとカポンと義眼を外す。 「じゃあこれ取りに戻ってくるから、持ってろ。」 「えぅ、っ…」 「ぶはっ義眼はずしたのか!あっはっは!!じつにナナシは愛されている!!」 「うるっせぇ。これがなきゃ俺だって困るんだよ。だけどこうするしかねーだろ。」 サジの爆笑に睨みをきかせると、ナナシのちいさな手のひらにコロンとそれを載せた。 元々ないところにはめていたものなので、いまさらなくしてこまる…困るけれども、預ける分には問題はない。ただなんとなくバランスが取りづらくなるだけなのだ。 エルマーは久しぶりにインペントリから眼帯を取り出す。左目を覆うようにそれを斜めに巻き付けようとすると、頬を膨らませた涙目のナナシがズイッと手を差し出してきた。 「そぇも。」 「……………。」 「ぶはっ、んぐっ、くっく、」 「えるまー。」 「…まじかよ。」 引きつり笑みを浮かべたまま、眼帯もそっとナナシの手のひらの上に落とす。結構容赦がない。サジは我慢できなかったのか笑いをこらえているつもりで漏れている。 ナナシは眼帯もなければ、左目の眼窩を剥き出しのまま仕事をし続けることはないだろうと読んでいた。 実際は大当たりで、結構な割合で悲鳴を挙げられて仕事にならないのだ。エルマーは惚れた弱みか、ぐぬ…と渋顔をしながらナナシによって人質がわりのそれらを奪われ、無い方の左目にも諦めを宿しながらため息を吐いた。 こうなればもう、さっさと終わらして帰ってくるしかない。 エルマーはナナシの涙目でぶすくれている可愛い顔を見つめると、あやすように頬に触れる。 怖がるかな、とおもったのだ。 「……う。」 「おやまあ。」 サジまでくすりと笑う。怖がるどころか、片目のエルマーにまっすぐ見つめられたナナシは、熱だけじゃない理由で頬を染めると、ゆるゆると目を逸らした。照れたのだ。 「ナナシは面食いだなあ。まあ、サジもエルマーの面がお気に入りだが。」 「お前ら二人して目がおかしいんじゃねえの。」 「今のエルマーにそれを言われてもなあ。」 「………。」 たしかに。 ボリボリと頭を掻くと、髪の毛で左目を隠すようにして横に流した。 本人はいつも毛が邪魔だと一つにまとめて結っていることのが多いのだが、それを外して髪を下ろすだけで、雰囲気がガラリと変わる。 きつい印象の整った造形の美しい顔立ちが、気だるそうな色気のある雰囲気に変わるのだ。 サジはニンマリと笑うと、首にぎゅうとしがみついてぶちゅりと唇を奪った。 「んっ、やはりサジは下ろしているエルマーの方が好きだ。」 「ぶはっ、雑なキスすんじゃねえ!前歯当たっただろうが!」 ナナシもうずうずしながらエルマーを見上げる。いつもとちがう、かっこいい。ナナシもサジのように勇気があれば、キスをしてもらえるのだろうか。 膝を抱えたまま、むにむにと口を動かし迷っていたナナシは、涙目のままジィっと見つめた。 「おや、おねだりかナナシ。うふふ、サジがキスしてやろうか。」 「うー‥」 サジの細い指がそっとナナシの頬を撫でる。サジと口付けをしたことはなかった。してくれるのかなあと顔をあげると、サジは面白そうにくふりとわらって優しく唇に吸い付いた。 「んふ、よいよい。ガキはそうでなくてはなあ。」 「あー‥、ついに、」 「んぅ、」 ちゅっと音を立ててサジが唇を離すと、何故かエルマーががくりと頭を落とす。心境的には、ついにナナシもサジに食われてしまったという落ち込みと、するなら先にしとけばよかったというエルマーのわがままである。 そんなことは知らないナナシはというと、キスを嫌がられない位には嫌われていないとわかったのか、少しだけ嬉しく思っていた。 「…えるも」 「……する。」 きゅっ、と勇気を出してエルマーの袖を握る。まさかナナシからお強請りをしてくれるとは思わず、エルマーは2秒ほど悩んで即答した。 そっと後頭部を引き寄せて、薄い唇に吸い付く。 はむ、と遊ぶように上唇を挟んで舐めると、ひくんと肩を揺らしたナナシが薄く唇を開いた。 「ぅ、っ…んむ、ふ…」 「ん、」 ぬるりと舌を入れると、薄い舌はびっくりしたのか奥に縮こまる。それを掬い上げるかのように舐めあげて吸い付くと、そっと顔を支えるかのように頬に手を添えた。 「え、ぅ…っ、ん、んふ…っ!」 歯列をなぞり、上顎を舐める言葉にしなくてもエルマーの舌はわかりやすく仄かに欲を含んでいた。 サジに頭を叩かれてハッとして唇を離すと、ぐでっとしたナナシが腕の中でびくんとはねた。 「うむ、やりすぎだバカ。」 「ああ、あー‥」 ナナシは腰が抜けたのか、そのまま大人しくベッドに横たわる。エルマーの間抜けな声を聞きながら、ぽやぽやとした思考のまま困ったように笑うエルマーを見つめる。大好きな大きな手に頭を撫でられて、もう駄々をこねるのをやめた。 不器用なエルマーの無骨な手が、名残惜しそうにそっと髪を流すように撫でるから、ナナシは離れたくないけど、頑張ることにしたのだ。 ただ、小さく一言だけつぶやいてしまったけれど。 「える、さびしい…」 こうして、自分の思いをことばにして相手に伝える。この当たり前を許してくれたのはエルマーの優しさだ。 まだ少し泣きそうだけど、ナナシはもう言いたいことは言えたからと大人しく布団にくるまった。 エルマーは少しだけ目を見張ったあと、こんもりと布団の山に隠れたナナシをギュッと抱きしめた。 後頭部に口付けをひとつ、満足して立ち上がるとドアに向かう。 「すぐ帰る。ナナシはたのんだ。」 「致し方なし。」 サジも、エルマーもナナシに優しくしてくれる。だから甘えてしまうのだ。 ドアが軋んで、エルマーの気配が遠のく。ナナシは傷痕が残った腕に触れると、もにょ、と口をうごかす。 この傷跡の先は、エルマーに繋がっている。消えない傷だ、一生残るだろう。胸元に義眼と眼帯を抱き込んで、もらったネックレスに触れる。エルマーが痛いことがありませんように。きちんと帰ってきますように。 熱はまだ下がりそうもない。体はだるくて辛いけど、こうして自分が誰かのために祈ることができるというのは、想像もできなかった。 ナナシは今、ひとりじゃないのだ。 やばかったな。と、口付けの感触を思い出すかのように、エルマーは自身の唇をなぞった。 「あー、」 片手には普段あまり使うことのない大鎌を握りしめる。エルマーの持っている武器のなかで一番丈夫で、多くの血を吸ってきたそれは、早くことを終わらしたい時にしか使わないもので、恐らくこれはサジも知らない。 ず、まるで地べたを埋め尽くす木々の影から、その身を引き摺り出すようにして現れたそれは、報告書通り 確かにでかい。  身体は人間の幼児のようにふくふくとしてよつん這いに這って蠢く。肩と思われるところから伸びる首は、馬の首のように靭やかで長いが、頭部が無い。 鬣のように長い毛をその身に纏いながら、筋肉だけは発達しているのだろう、這い寄る人間の子供のような短い手足を動かすたびに、つややかに光沢を放つ。 ず、その魔物がゆっくりと這い寄る。ない首を地面につけて探すような動きをし、輪切りにされた断面からボタボタと黒い血を溢しながら。 「なんだか、混じってんな。」 大鎌を担ぎながらその金目を細めて睨みつける。まるで何か咎を犯したものの末路に見えるそれは、まるで何にでも興味をもつ子供のような無垢な動きでエルマーにゆっくりと近付く。 急所は普通、頭だろう。 「首無し、お前の頭はどこにある。」 声に反応してエルマーの方に断面を向ける。 「聞こえてんだなあ。うーん、てことはあるな。」 とん、と軽い音を立てて木立から飛び降りる。自由落下に身を任せて正面に降り立つと、エルマーは呑気に武器を肩に担ぎながら駆け足で向かって行く。 近くで見るとますますでかい。長い首が追いかけるように断面をうごかすが、懐に入り込むと流石に首は曲がらなかったようで、ゆらゆらとない首を傾げるように動かした。 エルマーは魔物の真下、首の根元を見上げられる場所に入り込む。 「お、みっけ。」 エルマーの真上。頭が無いのではない、首の根本。恐らく人で言うと喉仏の部分にそれはあった。 人面瘡のようにはえたそれは、パカリと間抜けに口を開いてエルマーを見下ろす。 表情のないその顔はエルマーの左目のように眼窩に中身が何も入っていない。 大鎌を握り直すと、エルマーの手の中で答えるようにチャキリと鳴いた。 水平になる様に大鎌を持つ。身体強化をつかったエルマーの体を薄い魔力の膜が包んだ。 魔物がゆっくりと一歩、踏み出そうとするが、その意思とは裏腹に身体は木をなぎ倒して横たわった。 ズシン…と地響の音とともに、何がおこったのかと確認するようにその首を擡げる。なんてことはない。ただエルマーが四肢を切り下ろしただけだった。 「おー、血もでねぇんだ。なんだこりゃ。変な体してんなあ」 ざりざりと鎌を引き摺りながら近くによる。あの一振りだけで四肢を切断する腕力と、体をひねる速度は人間離れをしていた。 魔物の首の裏側にある顔の部分に近寄る。その顔はエルマーの体ほど有り、まるで何かを伝えようとするようにはくはくと口を動かす。 「討伐部位、つったってなあ。」 こんなでかいもんをインペントリに入れるのも一苦労だ。特に感慨もなくそのまま顔の部分がついている首を切り取ると、びくびくとその巨体を痙攣させて動かなくなった。 首の断面を覗き込むと、そこには巨体とは裏腹にやけにスカスカだ。骨と、申し訳程度の筋肉、神経だろう細い糸上の束は骨に絡みついてはいるが、体の中にそのまま入れそうなくらい中身がない。 エルマーはとりあえず切り下ろした首を頭の部分だけを残して削ぐと、その顔をインペントリに無理やり突っ込んだ。 月明かりを浴びて黒くほろほろと崩れていく体から出てきたのは、拳ほどの大きさの真っ黒な石。 エルマーはそれに雑に聖水をかけると、ツルンとした乳白色の色に変わった。 「あ?」 アンデッドなら紫の石が出るはずなのだ。何故こんな不思議な色の石が出てくるのかがわからない。エルマーはそれをひろいあげると、疑問に思いながらも一先ず達成した依頼の証明としてそれもインペントリに詰め込んだ。 とりあえず終わらせた。後はそれを持って孤児院に行くだけだ。なんだか妙な点が気にかかるが、エルマーは懐に収めた手紙を確認すると、そのまま当初の目的を果たすためにその場を後にする。 さっさと終わらせないとまた泣くかもしれない。 置いてきたナナシのことを考えると、先を急ぐのは至極当然のことだった。

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