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受注はダラス祭司そのもので、どうやら孤児院周りに出る魔物の討伐だった。 なんでも、ここ最近夜になると現れるようになった首のない魔物が何かを探しているように周りを徘徊するらしい。 受付の男は、見た目が少しアレなので…と言葉を濁す。事前に事実確認の為に出向いた際に、護衛代わりに連れて行った冒険者が怖気づいて逃げ出したらしい。 一体どこの走りの冒険者だと思ったが、話を聞く限りアンデッド系だ。 まあ幽鬼もそうだが、見た目は確かにグロい。エルマーが今まで見た中で一番寒疣が立ったのは、女性の乳房が幼虫の脚のように連なる娼館に巣食う死霊だった。あれを見てからしばらくは女を抱けなかった。 「依頼日時は明日の夜です。達成は魔物の死骸の一部と魔石でお願いします。」 「なんの魔物だかわかってねんだろ?」 「首無しということ以外は、まったく。」 「ふーん。」 依頼の受付を済ますと、ちらりとナナシを見た。このまま連れて歩くなら冒険者として登録したほうが 身分証代わりにもなる。キョトンとした顔で見上げてきたナナシに、試しに保有する魔力を調べる検査をやってみるかと確認すると、怯えながらも、小さく頷いた。 「では二階にお上がりください。担当のものがお調べしますので。保有量によっては魔女協会への推薦もできますよ?…まあ、このところそこまで膨大な魔力を持つものも出ておりませんが。」 「そんなワケワカランとこにうちのナナシはやらねえ。調べるだけだっつの。」 エルマーに手を引かれて2階に続く階段へ向かう。粗野な輩は怯えるナナシが面白いのか、すれ違いざまにわざと脅かすような素振りをすると、泣きそうになりながらエルマーの腰に抱きついた。 「ひぅ、っ」 「おっと、相手にしなくていいぜあんなん。」 「うぅ…」 フードの縁を握りしめて縮こまるナナシの肩を抱く。エルマーはニヤつく男たちの視線からナナシを隠すようにして階段にあがると、奥の扉が開かれる。出てきた初老の気難しい顔をした検査官の親父がその身を端に寄せ、手で入室を促した。 「説明はいりますか。」 「いらね。」 それではと差し出された水瓶の中には灰色の水晶体がそこに沈んでいた。周りの水は魔力が多い場合にはぶくぶくとその水面の揺らぎで教えてくれるもので、水晶体が割れないように水が波打てば手を放すのがルールだった。 「ふわ…」 「おっし、俺がやるからナナシはみてな。」 「あぃ、」 水瓶を不思議そうに見つめていたナナシは、腕まくりをするエルマーの横で大人しくその水晶体を見つめた。鷲掴みをするように上から水晶体を手で掴むと、その濁りはまたたく間に透明なものに変わり、ボコンと大きな水泡が水面を揺らがせる。 エルマーがその水泡が増えないようにすぐに手を離すと、目を丸くした検査官がエルマーを見上げる。 通常無属性はそこまで純粋な透明を誇ることはないからだ。通常は他の色が交じる。青なら水や氷、黄色なら土、緑が風に、赤なら炎だ。 エルマーのは交じりっけない透明。これは他の属性の魔術を一切使えないと言うことである。 逆に言えば後衛特化の無属性魔術の効果は計り知れない。しかし自身が動くほうが早いので、それを行わないのがエルマーだが。 「騎士団とかには入らんのですか。ここまで強い無属性ならきっと引く手あまたですよ。」 「煩わしいの嫌いなんだわ。」 エルマーのお手本をみたナナシは、手をわきわきとさせて期待に胸を膨らます。 自分の色が知りたかったのだ。エルマーのようなきれいな透明、おそろいなら嬉しい。そんなほのかな期待に胸を膨らませ、そっと水の中の水晶体に手を触れる。 「う…?」 体から何かが抜ける感覚がして、ぎゅるりと水晶体のなかの灰色が急激な渦を巻いた。乳白色の、角度によってはオパールのような輝きを内側に宿した瞬間、まるで飲み込むかの様な黒が染め上げた。 水晶体のなかに、不思議な輝きをまとったそれは波打つ度に黒く輝く。ちらりと見えた乳白色は、まるで水面から顔を出すようにちらりと見えては、再び飲み込まれた行く。 検査官の息を呑む音と共に、ぴしりと珠に亀裂が入った。 「っ、ナナシ!はなせ!」 「え、っ」 慌ててエルマーがナナシの手を水瓶から引き抜いた瞬間、まるで薄玻璃が砕けるような鋭い音と共に水晶体が弾け飛んだ。 エルマーによって腕は引き抜かれたものの、弾けたガラスが襲いかかるようにナナシを襲った。水瓶を倒しながらエルマーと共に倒れ込む。相当大きな音がしたのか、階下がにわかに騒がしくなる。 「な、な、これが砕けるだなんて!!聖水晶だぞ!!」 「ぐ、っ…んなこといいから早く医者よんでこい!!ナナシ、ナナシ!!」 「い、っあ…っ、」 エルマーの腕に守られたとはいえ、近くにいたナナシはまともに破片を食らっていた。 かざしていた細い右腕には弾け飛んだ結晶によって深く裂かれ、その傷はエルマーの左肩と繋がるようにして互いの体に刻まれた。 エルマーの体は大人だ。腕だってナナシよりもずっと太い。 細いナナシの腕からはおびただしい血があふれる。顔を青ざめさせ、弾け飛んだ衝撃で指の骨も妙な方向に折れている。エルマーは腰に巻きつけていたホルスターを外すと、ナナシの腕の高い位置できつく縛り上げて止血をした。 「ひ、ぎっ…!」 「くそ、サジィ!!!」 自分の肩の傷は構うことなく、ナナシの上半身を裸にする。腹に刺さっている破片に目を見開くと、正気を取り戻した検査官が慌ててその破片を避けるようにして巻いていたストールで傷口を抑えた。 「おお、なんだ。修羅場と言うやつだ。」 「俺のインペントリからポーション出してくれ、お前治癒術使えたよなァ!?」 ふわりと風がふいて現れたサジに、検査官は呆気にとられる。エルマーは痛みで震えるナナシを抱きかかえたまま手首を掴んで心臓よりも高く上げていた。 サジはそのまま、ふむ。と一つうなずくと、ポーションを取り出して一番深い腕の傷にぶっかけた。 「ひ、っっ、ーーーーぁ、あ゛っ!」 「痛えよな、我慢しろ、」 じゅわ、と煙と共に血肉が急激な熱を持ち、じゅくじゅくと細胞が活性化する。エルマーの手によって無属性魔術の身体強化で急速に細胞を活性化させているため、傷口からは湯気がでていた。サジは腹の傷を抑えている親父の手の上に自身の手をかざすと、深く刺さった破片をゆっくりと魔術で浮かせながら徐々に治癒術を施していく。 「痛いだろう。うふふ、なかなか色っぽい顔をしている。」 「くそ、あばれんな!もうすぐ抜ける!」 「え゛、ぅっ、ぐ、ぁ、っ…!ひ、ゃだ、あ゛ぅ!」 「ほら、きれいに取れた。」 腹に刺さっていた欠片を完全に抜き去る。赤黒い血を纏いながらゴトリとそれを床に置くと、エルマーの代わりにサジがナナシの腕を掴む。腕の傷は避けた部分から徐々に癒着をしていくが、流れた血ばかりは直せない。とにかく傷を塞ぐのに集中するエルマーの額には、脂汗がにじみ出ていた。 「あと、少しだからよ…、っ…」 「っ、…っ、…」 声にならない悲鳴でぐったりとしたナナシは、酷い痛みと熱の中、眉間にシワを寄せたエルマーが鼻血を垂らしながら腕を修復してくれる姿を見た。 ああ、こんな自分のためにそこまでしてくれるのか。痛みから、まるで火傷をしたかのような熱に変わる。 もう疲れ過ぎて感覚がない。サジまで駆り出されて、なんだかとっても大事だ。 割れてしまったアレは、どうしたらいいのだろう。きっと高いんだろうな、ナナシの体で払えるのかな。そんな、エルマーが聞いたら怒り出すに違いないことを思いながら、プツンと糸が切れたように意識が途切れた。 こんなに怖いことは久しぶりだったので、疲れてしまったのだ。 エルマーは、急に力が抜けたナナシをみて、大いに慌てた。サジがワイルドに残りのポーションをばしゃりと腕にかけて皮膚を無理やり形成させると、ナナシの腕には歪な引き攣りあとが残る。 「痛みで気絶しただけである。まったく、なんでこんなことになっている。というか、エルマーもナナシとお揃いだなあ。」 「…俺はいいんだよ。ちくしょう、やらなきゃよかった…」 自身の傷口を押さえる手をどけて、サジが治癒術を施す。じわじわと熱が広がるように広がる術を感じながら、自身にも無属性魔術で細胞を活性化させようとしたが、もはやスッカラカンで何も残っていない。 エルマーの力を根こそぎ注ぎ込んだと言うことは、それだけ危ない傷だったのだ。 「やべえ、サジ。あとは頼んだ。」 体内の魔力は燃料のようなものだ。それがなくなると、つまるところ倒れる。 「む。落ちたか。」 まるでサジに凭れ掛かるようにして、どさりとエルマーも崩折れる。サジは倒れた二人を見つめ、そして夜の肉豚との予定を思い出すと、その端正な顔を歪めて渋い顔をした。 「…………。」 薄ぼんやりとしたオレンジ色の明かりを灯した剥き出しの電球が、優しく揺れている。 エルマーはしょぼしょぼする瞼をゆっくりと開くと、やけに痺れる下半身に眉間にシワを寄せた。 「あ?」 「んむ、」 「サ……、」 布団を捲くると、ちゅむっと音を立ててサジがエルマーの性器に吸い付いた。 下半身は寛げられ、ひくんと腰が跳ねる。ニヤリと笑ったサジは、そのままずるりと口から性器を引き抜くと、ゆるりとそこに頬ずりをした。 「お目覚めかエルマー。お前らのせいでサジの予定は台無しである。」 「あー‥、そういや豚肉となんかあるっつってたっけ…」 「んむ、っ…にくぶたら、ぁ、んぐっ…んふふ、おいひぃ、」 「こちとら病み上がりなんですけどぉ…いてて、」 「んんん、っ、サジだって予定を潰したのだ。ご褒美くらいよこせ。」 サジの頬が微かに染まる、唾液を絡ませながらじゅるじゅると音を立てながら頭を揺らすサジの髪を耳に掛けてやる。まだ頭がぼんやりとしている。サジに好き勝手させてやるくらいには、まだエルマーの頭は覚醒してはいなかった。 なんで魔力がスッカラカンになってんだ?エルマーは下半身をご機嫌でしゃぶるサジの髪の毛を手慰みにわさわさと乱しながら、ふわふわとする頭で考える。 サジの喉が締まって、ひくんと腰が跳ねる。ああ、具合が良い。エルマーはそのままサジの頭を挟むようにして足を組むと、なんとなく横を見つめた。 「んぶ、っ…ぅふ、ふっ…はぁ、っエルマー?」 「ナナシは!?」 「ぉわあ!!っ、」 隣のベッドにナナシが居ない。エルマーは一気に覚醒すると、股ぐらに顔を埋めていたサジを床に落とすほどの勢いで飛び起きた。 ゴン、と音がしたのでサジが頭をぶつけたらしい。痛そうなうめき声とともにむくりと起き上がると、口周りの唾液を雑に拭ってサジが言った。 「馬鹿め、逆である。」 「逆である…?」 サジがのそのそ起き上がると、エルマーの向いた方とは反対を指さした。 「あ、」 そこには頬を染めながらすよすよと眠るナナシの小さい体が横たわっていた。慌ててサジによって乱されていた服を整えると、「あー!!」という名残惜しそうな声が飛んできたが無視をした。 そっとその頬に触れ、額を手のひらで覆う。少しだけ熱が出ているようで、口元から漏れる吐息が熱い。 エルマーは、ナナシがこうしてきちんと呼吸をしていることを確認すると、重いため息とともにズルズルとベッドにもたれかかるように座り込んだ。 「エルマーもナナシも、サジに感謝するべきだ。まあ、マイコニドがナナシを運んだのだが。」 手についた先走りと唾液をぺしょりと舐めたサジがエルマーとは反対側にまわる。 「傷は?」 「綺麗サッパリ。痕は残ったがエルマーの魔力と引き換えにこの通り。」 サジはナナシの手首を掴んで持ち上げると、服は着せていなかったようで布団までまくりあがった。塞がった傷を見えるように持ち上げても、ナナシは起きなかった。 右腕と下腹部に大きな傷だ。ただでさえ背中にも傷があるというのに。 右腕の傷は二の腕半ばで不自然に途切れている。かばったエルマーの左肩の裏側にその傷がつながる形で、二人の体にエルマーの後悔は刻まれる。 そっと左肩に巻かれた包帯に触れた。魔力がまだ完全には戻らず、自己治癒に頼るしかないその傷が痛い。 思い付きで魔力を図ろうだなんて、と今更後悔をしてももう遅い。サジはナナシの額に濡れた布を絞ってから乗せると、そっとその幼い寝顔を見つめた。 「嫌ってた割に、面倒見が良いじゃねえか。」 「次期穴兄弟だからな。」 「お前の一言で全部台無しだわぁ…」 「うふふ、うそだ。まあうそではないが、マイコニドを守ろうとしたからな。」 つん、と布地に指先で触れると、風の属性魔法の応用でその布巾を冷たく冷やした。 「呪いだと。強い呪いがかかっているのだと言っていた。」 サジは検査官に言われた言葉を思い出すように口にする。その白い嫋やかな手の平が、ナナシの下腹部の傷をなぞる。 「聖水晶とは、いわば聖属性の魔石をいくつも取り込ませてつくった結晶だ。それが弾け飛ぶほどの呪いが、どれだけ重いことか。」 「呪い、」 「サジが俗世を捨て、エルマーを主として蘇ったあの呪いよりもずっと重い。むしろ、たとえが見つからん。」 くうくうと寝息をたてるナナシは、時折むにゅ、と唇を動かす。サジの手はゆっくりと肉の柔らかさを確かめるようにナナシの肌を覆うように滑らせながら、そっとその幼い頬に触れる。 「うむ、わからん。まあナナシはとりあえず元気だから大丈夫だろう。」 「お前にわかんねえもんが俺にわかるわけもねえ。まあ、なんだ…たすかった。」 サジもエルマーも、なにも呪いについてはそれ以上は語らなかった。 二人とも、ナナシの過去は知らない。それに、身のうちに恐ろしい呪いを宿していることを、ナナシ自身が気付いていないのだ。 もし、記憶を消され、奴隷として売られていたとしたら。 なんのためにそんなことをしたのかはわからないが、ナナシの背後に隠れて恐ろしい何かが忍び寄る、その気配だけは明確だった。

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