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「ナナシが不器用なのはよくわかった。」 「あうう…」 サジは服を脱がずに慌てて浴室に入ると、泣くのを我慢したナナシがお湯と格闘していたのを見て脱力した。暴れるナナシを落ち着かせてからお湯を止めると、一仕事終えたといった顔でため息を付いたので、ため息を付きたいのはこちらの方だとべしんと頭を叩いた。 「まったく、サジはいそがしい。昨日だってナナシが寝たあとに我が子を見に行き、肉豚の相手をしてきたのだぞ。そして帰ったらこれである。まったく、連日サジに迷惑をかけ過ぎだ!大人のくせに!自分のことくらい自分でしろというに!」 ぷりぷりと起こりながら、ナナシに石鹸の泡立て方を教え、頭を洗うときは目を瞑れと言い、そしてお湯の量の調整を教えた。一人でシャワーを浴びられるようにしっかりと面倒を見るサジは、怒ってはいるものの、なんだかすこしだけ楽しそうだった。 「大体なんなのだ!あの荷物の中身は!肉と鱒しかないぞ!草を食え草を!必要な栄養をとれ!だから風邪を引くのだ!」 「きのこ!」 「鄙びたキノコは出汁にしかならん!!」 「あぅ…」 サジは偏った食生活のエルマーにドン引きである。なんであんな歯ごたえのあるものばかりで平気なのか。野菜を探しても薬草しか出てこなかった。しかも枯れたやつだ。時間を止めるインペントリの中に、なんで枯れた草なんか入れるのか。それにもドン引きだ。 わしゃわしゃとナナシの体を拭う。もこもこになりながら、ナナシはなんだかお母さんがいたらこんな感じだろうかと思っていた。くふんと笑う。みんながこうしてかまってくれるのが嬉しい。 「さじ、すき。」 「ふんっ、サジは嫌いじゃない。」 「えへ…」 「照れるでない!ほら流すぞ、目を瞑れ。」 好きと返されたわけではないが、嫌いじゃないという言葉で充分だった。 暖かく調整されたお湯で泡を流されながら、サジはサジで少しだけ口元を緩ませる。 「おい、上がったら買い物に行くぞ。エルマーには薬が必要だ。」 「あぃ!」 「いい返事だ。ふふん、二人で目に物言わせてやろうぞ。」 どぎつい苦いのをお見舞いしてやるとニヤつくサジにお世話してもらいながら、ナナシは少しだけ浮かれていた。 エルマーの為におくすりを買うというお使いも、サジと一緒なら大丈夫だろうと思っていたのだ。 風呂から上がったサジたちにより、昨日ナナシがされたように冷やした布を額に当てられたエルマーは、むすくれた顔をしていた。 「飲まねぇ。」 「熱があるやつを抱くからだ。わがままは許さん。」 「ナナシ、おくすり、かう!」 「ふふ、ナナシは行く気満々だぞ。」 「ぐぬ…」 うきうきキラキラ、やる気満々のナナシはエルマーのお財布を握りしめてサジと手を繋いでいた。 今まで薬嫌いのエルマーは、簡単な治癒術や身体強化で物理には強く生きてきた。しかし、内側の病はだめだ。風邪の菌をピンポイントで狙って治すなんてできない。強化魔法はイメージが大切である。治癒術も、外傷特化でほかは駄目だ。胃の痛みとかも、いつもミルクを飲んで治すタイプの男なのである。 「苦いからだめだ。」 「ガキのような理由で恥ずかしくないのか。」 「える、にがいのすき。」 「苦いの好きじゃねえ…」 「にがい、すき。」 「なにこれ洗脳?」 にこにこしながらナナシはエルマーの手を握る。大丈夫と頷いているが、一体何が大丈夫なのか教えてほしかった。あまりにも力技の洗脳に、もはや一周回っていけなくもなさそうな気がしてくる。とことんナナシには弱いエルマーだった。 「にがいのすき、える、かこいい。」 「ぐふっ、」 「ぐうううう…っ、」 手練の娼婦のような褒め方がツボったらしい。サジはまたしても堪えきれない笑いを零す。 眉間にシワをよせて顔を赤らめながら、よしよしとナナシに頭を撫でられて、ついに折れた。 「……………………………のむ。」 「える!!かこいい!!」 「だっは!ぶっはははは!!!ぐ、ぐふっ、ゆ、愉快…!!傑作である!!あのエルマーが折れた!!うふふ、よくやったナナシ!あっはっは!!」 「サジてめぇ…粉薬なら菓子も買って来いや…」 「未だかつてないほどのダサい脅しだ。ふむ、了承した。」 エルマーはナナシの手に握られたサイフから金貨を一枚取り出すと、サジにわたす。流石に全財産が入っているサイフを持っていかれると困る。 「これでナナシにサイフ買ってやれ。あと薬代と飯代。」 「アホみたいなお釣りが帰ってくるぞ。まったく。」 「える、おるすらん。」 「おー、留守番な。」 「るすばん、ふふふ。」 ナナシは買ってもらったローブを身に纏うと、ふんふんとご機嫌に首元を結ぶ。ぐしゃっとしているがなんとか結んだリボンを見せつけ、実に誇らしげだ。金貨を大切にポケットに入れると、エルマーをからかって遊んでいたサジの手を握る。 「む。」 「いてきま。」 ぽかんとしたサジが、握られた手を見つめる。エルマーは当たり前のように手を繋ぐナナシがなんだか面白くて、少しだけ笑う。 「おー、早く帰ってこいや。」 「サジ、いこ!」 「まじでおもりである!けっ!」 ナナシの手に握られてサジも照れたらしい。巧妙にサジの無いはずの母性を擽るナナシは、ある意味一番最強なんじゃねえかと思いながら、ゆるゆると手を振り見送った。 風邪っ引きエルマーを置いて、サジはまず先にナナシのサイフを買うことにした。 「まず、ナナシは貨幣の価値を知っているのか?」 「きんか。」 「ばかもの、名称を聞いているわけではないわ。」 サジの手を握りながら、まずはお勉強だ。 サジは、ナナシのネックレスを指差す。それを買うために必要なお金で、あの馬が買えると指差した。 「まあエルマーならぽんと払うだろう。」 「はぇ…」 ナナシは口をあんぐりと開くと、ぎゅっとネックレスを握りしめた。馬は、前の主がナナシが買われたお金よりも高いと言っていた。ということは、ナナシは今自分よりも高い価値のものを首から下げて、ポケットに忍ばせているということになる。 サジは、わかりやすく顔を青ざめさせたナナシの頭を撫でる。 「ふむ、ようやく危機感をもったか。それは必要な感覚だ。養うが良い。」 「あぃ…」 きゅうっとサジの手を握り返す。ナナシはポケットの金貨とネックレスを、道中何度も確認するものだから、最後は金貨はサジのポケットに収まった。 何度も手を放したり繋いだりと忙しなかったからだ。 ナナシはホッとしたが、今度は両手でサジの手を握るものだから、サジはサジでどちらにしろ草臥儲である。 「ふむ、どうする。ナナシはどの財布がいい。」 「ううん、…うー‥」 立ち寄った露天で、子供用の財布が売られていた。ナナシはしゃがみこんで難しそうな顔をしながら、ちょんと、指先でつついてはもじもじとする。 エルマーの持っている革袋ではない。なんだか動物の刺繍や、華やかな色味のものが多くて目がチカチカする。 ナナシはこんな色とりどりの布を持てる身分ではないしと困った顔をしてサジを見上げた。 「…ちあう。」 「うん?うさぎとかお前に似ているがなあ。」 「お花とかも、流行りですがね。」 「…うぅ、」 さて困った。どうしようと悩んでいたら、薄茶の革袋が目に入った。エルマーのお財布と似ているそれを、目を輝かせて指をさす。 「こぇ!」 「え、こ、これですか?これはただの巾着ですよ?薬とかいれるやつ…」 「こぇ、さじ。こぇほしい。」 「む、エルマーのに似ているな。まさかあいつ携行品入れに金を入れて…ああ、まあナナシがいいなら構わんが…」 サジは呆れたような顔をして一番安いそれを手に取ると、銀貨一枚を渡してお釣りをもらった。 ナナシはニコニコしながら革袋にお釣りをいれてもらうと、サジは残りの銀貨9枚をその中に入れた。 携行品入れは簡易な空間魔法がかかっているようで、丁度貨幣の種類が10枚ずつ入るものだった。 ナナシはそれを大事に握りしめると、よほど嬉しかったのかずっとにこにこである。 「ふむ、バッグも買うか。」 「ならポシェットとかどうです?これなら嬢ちゃん気にいるんじゃないですか。」 露天商は古びたバッグを取り出した。仕入れたはいいものの、売れずにずっと残っているらしい。年季の入ったそれは流行とは言えず、サイズも大きめのパンが一つ入るくらいだ。 ナナシはお財布しかいれないだろう。サジはそれも買うことにすると、ナナシを呼んだ。 「ナナシの宝物を入れるのにちょうど良さそうだぞ。」 「ふぉ、こぇもかう。」 「金板一枚でいいですよ。処分するつもりだったし。」 「きんばん…こえ?」 ナナシは銅貨一枚を取り出すと、金板一枚がお釣りとして帰ってきた。 「金板はこれ、銅貨一枚は金板2枚分の価値ですよ。」 「きんきら…かぁいい。」 「かわいいかあ?」 ナナシの手のひらに収まった四角い金メッキの板を見て、ナナシが感心する。 お金ってすごい。こんな立派なものが買えてしまう。ナナシはまだ自分で稼いだことは無いけれど、お金を稼ぐようになったらもっと自信がつくんじゃないかと思った。 ナナシは受け取った金板も、大切に財布のなかに収めると、受け取ったポシェットにそれを収めて斜めがけにした。 「つおい。」 「カバン1つで随分と勇ましい顔をする。」 サジは呆れた顔で言うが、まあ本人が満足ならいいかと納得する。 普通ナナシ位の年齢の子供は流行に敏感なのだ。 街の子供を見てみると、装飾のついた鞄や華美な服装の子が多い。 ナナシは至ってシンプルだ。麻のチュニックに、ぶかぶかのズボン。ローブとブーツは立派だからなんとかなってはいるが、それを取っ払ってしまえばストリートチルドレンのような風体だった。 「ふむ。服も買おう。」 「んぇ、」 サジはしっかりとナナシの手を握りしめると、そのまま引っ張って大通りに向かった。わたわたとついて行くナナシは、しっかりと露天商にバイバイをしてから前を向く。 皇国はすごい。キラキラしているお店や人がとっても多い。サジのあとをついていきながら、あたりをきょろきょろと見回す。 やがて辿り着いた服屋はやけに敷居が高そうで、ナナシはあっけにとられて店を見上げた。 「安心しろ。エルマーが持たせてくれた金で十分に足りる。」 「く、くすり。」 「そんなものはあとだ。」 でも早く帰ってきてっていってたよ。ナナシは戸惑ったような目でサジのことを見上げると、すぐに済むと言ってナナシを連れて中にはいる。 「あら。珍しい。」 「トッド。客だ、ナナシにあった服をよこせ。」 「おやまあ、なんとも可愛らしい。」 トッドと呼ばれたのは、ひげを蓄えたお姉さんだった。 ナナシは目を丸くして固まったが、戸惑ったのは性別がどちらかわからなかったからだ。 「トッドは男だ。趣味で女の服を着る。」 「おねえさん、」 「話のわかる子は好きよ。サジったら本当に野暮な男。」 アンテナのようなひげをピンと弾いて微笑むと、なんとも愛嬌のある笑顔になる。 ナナシはおずおずとフードを外してぺこりとお辞儀をすると、トッドは目を輝かせて喜んだ。 「あらいやだ!黒髪っ!最近はとんと見てないわ、夜に愛された子なのねえ。」 「やはりトッドは話がわかる。」 「髪の毛一つでイチャモンつけるほど狭量じゃなくてよ。」 ぽすんとナナシの頭に大きな手を乗せると、撫で梳くように少し乱れた髪を整えてくれる。 未だにいるのだ、古い考えの者が。 ナナシのような黒髪は珍しく、昔は忌み子としてひどく厭われてきた。 魔物と同じ色というだけで。 今こそその露骨な嫌悪は少なくなったものの、古い考えを持つもの、信心深い者からしてみたら無条件でそういう扱いを受ける。 ナナシはそういった理由から売られた。だから、自分の色はあまり好きではない。 「あう…」 撫でられた頭を両手で触れる。確かめるようにそっと。 エルマーとサジ以外にも、撫でてくれる人がいるというのは、ナナシにとっては幸せなことだった。

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