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結局トッドはナナシの素顔を見て、心に刺さるものがあったらしい。サジが提示した金額に収まるよう、ナナシにあったシンプルで動きやすいものを店の奥から取り出すと、ドサリとそれを目の前に置いた。 「多い!」 「なにいってんのよ。旅に汚れはつきものでしょうが」 「はわ…」 山のような生地を見て、ナナシは興味津々だ。ポケットがついたシャツをぺろりと手に取ると、これなら木のみとかが入って便利だとにこにこする。 サジはナナシの考えがなんとなく読めているようで、適当に上下3枚ずつ選ぶと、それをナナシに押し付けた。 「これでいいだろう。漏らしてもすぐ乾くぞ。」 「さじ!わるい!」 「ふふ、しまりがないほうが悪いのだ。」 サジの暴露に顔を赤らめて剥れる。トッドはにこにこしながら、清潔魔法がかけられているから多少の汚れは平気だといった。 「地味の極みね。茶色の組下4本に綿と麻のチュニック3枚ずつ。いくらローブに防寒機能がついてるからって、もう少しくらいお洒落してもいいじゃない。」 「ナナシが嫌がるのだ。こいつのポケットの中身なんぞ草しか入れんしな。」 ナナシはもそもそとポケットから木のみを取り出すと、トッドに見せた。先日森で拾った形のいいどんぐりである。 なるほどといった顔でトッドが頷くと、それは確かに収納が多いほうがいいかと納得した。 「こぇ、あげぅ。」 「あら、今度は何?」 ナナシはサジのポケットにいれていたお花を取り出すと、ニコニコしながらそれをトッドに渡した。 「信じられん!!サジの優美なローブにまた草を突っ込んでたのか!!道端の花など手でもてというに!!」 「あらぁ。サジのポケットに空間魔法がかかっているの知っていたのねぇ。どうせ妙な物しか入ってないんだからいいでしょうに。頂くわぁ。」 ナナシのお気に入りの白い花を、男らしい手でそっと摘むと髪に差す。サジはげんなりとした顔をしたが、ナナシは何故か拍手をした。なるほど、髪に指してもいいのかと一つ学んだからだ。 「うふふ、なんだか気分がいいわ。その服まとめて銀貨一枚で構わないわよ」 「先程貨幣の価値を教えたろう。復習だ。」 「あぃ、こぇ…ぎんか。」 ナナシはなれない手付きで銀貨を取り出すと、トッドの大きな手のひらに載せた。おまけにくれた綺麗な布に服をくるむと、トッドはサジに持たせる。 「はい。あんたのカバンに入れてやんなさい!」 「なんでサジが!」 「このこのバッグに空間魔法入ってないじゃない!文句があるなら付与してあげなさいよ!」 「ぐうう!サジの魔力はそんなもんに使うためではないと言うに…!」 「ナナシ、もつよ」 「サジが持つ!!大人だからなあ!!」 ナナシが抱きしめていた服の包まれた布をぶん取ると、わさっとローブの内側に突っ込む。サジの着ているローブは何でも入る。直接異空間と繋げているようだとエルマーは呆れた顔をしていた。 「サジの、つおい。」 「ふん、サジの魔力は有り余っているからなあ!」 トッドはナナシにフードを被せてあげると、ふんぞり返って威張るサジに呆れた目線をよこす。 「何よ偉そうに。魔力高すぎて人格破綻してるなんて世話ないわよ。ねえ?」 「うふふ、」 「何を笑うか!サジがいなければ困るのはナナシたちだと言うに!不服である、もっと崇めればよいのだ。」 ふんっと鼻息荒くナナシの手を握ると、「帰る!」と宣言してから店を出た。トッドにばいばいと手をふると、くいくいとサジの服を引く。肝心なことを忘れているサジに、それを教えるために。 「お、おくすり!えるまー!」 「おっと、サジとしたことが。」 「んぃっ、」 ぴたりと突然サジがとまるものだから、ナナシは背中に鼻をぶつけた。鼻頭を抑えてむすくれるナナシなぞ歯牙にもかけず、そのまま怪しげな路地裏に向かって歩みを進める。 進むに連れて、道幅はどんどん狭くなる。明かりが見えて、やっとそこを抜けると人通りの少ない、大通りから外れた通りだった。 住宅街なのか、家の軒下には花の鉢植や箒、上を見上げると洗濯物が旗のように連なって空を泳ぐ。生活感のある通りの一角に、それはあった。 「ここだ。」 サジが指を指したのは、行き止まりの砂壁だ。 ナナシはキョトンと首を傾げてサジを見上げると、まあみていろと白い指でその砂壁に触れる。 「解錠。」 一言サジが呟く。瞬間、まるであたりの生活感のある景色がまたたく間に走り出した。ぶわりと風が二人の間を吹き抜ける。景色が走ったのではない、この壁に吸い込まれているのだ。不思議な感覚は長くも短くも感じる。ナナシが瞬きをした瞬間、二人の目の前には真っ赤な絨毯が一つの小さな扉に向かって真っ直ぐに敷かれていた。 「はえ…」 「まったく、相変わらず手の混んだことをする。」 「さじ、」 「魔女の家だ。許したものしか入れん。よかったなあナナシ。」 ニヤリとサジが笑う。皇国に暮らすサジの知り合いの家らしい。勝手知ったる様子でずかずかと歩みを進めると、やけに小さなドアノブを握りしめて手前に引いた。 扉の先は、真っ暗だった。ナナシは夜以上に暗い、底冷えするような闇を見たのは初めてだった。 おもわずそっと後ずさりをすると、サジの手によってそれを阻まれた。 「ジルバ。久しいな。」 とぷんと扉の先で黒が揺蕩う。サジはそっと光も通さない闇に手のひらを添えると、まるで指を絡ませるかのようにして黒い手が現れた。 「お前は俗世から離れたサジだな。」 「ああ、もうとらわれるのには飽きたのだ。」 ぬるんと黒い手がサジの腰に回る。そのまま鼻先を近づけるかのように人型をとると、真っ黒な人形はパチリと目を開く。 「うまそうな匂いがする。」 「エルマーの愛し子だ。食うなよ。」 「おお怖い、それは肝に銘じねば。」 ぎゅるりと目玉がナナシを見る。サジと同じ、灰色のそれは、すっと目を細めてナナシのフードを外した。 「う、っ」 「黒。」 ぽそりと呟く声は、色んな音が重なるような不思議な声だった。子供のような、大人のような、何重にも重ねた音で紡ぐ声は、少し恐ろしい。 爪が尖った黒い手が触れるだけで冷や汗が出る。 「ジルバの好きな黒だぞ。今日はお前に頼みがあってきた。」 「ひ、ぅっ」  黒い手が、針金のような細さの影をまといながら髪をすく。そのまま頭を貫かれるのではと怯えた。それだけジルバと呼ばれたこの男は不気味だった。 「おい、怖がらすな。いい加減影を外せ、」 「ふふ、」   とぷんと波を打たせて真っ黒の中に消える。ごくりとナナシが生唾をのみこんだ瞬間、まるで砂が溢れる様にして扉を覆っていた黒が消えた。 代わりに現れたのは書斎だ。重厚な机に羽ペンが一つ。その机を囲むようにして天高く連なる本棚の圧迫感は、状況が読めずに呆けているナナシを更に驚かせた。 「さて、お前のお目当ては薬か。」 パタンと分厚い本を閉じたのは、ナナシと同じ黒を纏う美青年だ。 サジと同じ灰の目をもち、黒髪の短髪にモノクルをかけていた。肌は浅黒く、不思議なことに左手は黒く染まっている。 「表の薬屋はしまっていた。職務放棄をするなというに。」 「飽きたのだ。どうせ売るなら、退屈がしのげる相手がいいからな。」 ジルバと呼ばれた男は、少しだけ尖っている耳をぴくんと動かす。回転椅子から立ち上がると、その痩身に黒い靄のようなものを纏わせながらナナシに近づいた。 「我が同胞。まさか相まみえることになるとは思わず。無礼を働いてすまぬな。」 「ふん、影の魔女とよばれるジルバが浮かれ過ぎとは、珍しいこともあるものだ。」 ナナシは同胞と呼ばれ首を傾げたが、差し出された手をおずおずと握り返す。 サジいわく、ジルバは魔物と人の間の子供らしい。半魔の彼は使役している影を使って複製を作り、動かすことができる。珍しい闇魔法を操る事ができ、サジとは旧知らしかった。魔女の中でも二人は爪弾きにされている鼻つまみ者だというが、それは特別に魔力が高いからとのこと。どこでも、人が集まれば目の上のたん瘤的な存在は必ず出る。 出る杭は打たれる。サジもジルバも協会を追われた身だ。 「さて、薬だが何をご所望かな?なんでも、すべからく、ちょっとした嫌がらせから生命に関わるものまで豊富に取り揃えている。」 ジルバが背の低いナナシに目線を合わせて言う。するとナナシは整った顔に照れたのか、きゅっとジルバの手を握りしめながら小さく呟いた。 「えるの、ねつ。」 頬を染めながらついにはジルバの手をそっと離す。サジの腕に抱きつき顔を埋めたかと思うと、ちらりと目線だけはジルバをみた。 サジもジルバもエルマーも、なんでこんなにきれいな人ばかりなのか。 ナナシはドキドキが止まらない。初対面ではめちゃくちゃ怖かったジルバも、影を収めた今は優しく微笑む。 「なんと、風邪薬か。くくっ、この俺に会いに来て風邪を治す薬とは…」 もじもじしたナナシの言葉を待っていたジルバは、なんだかやけにご機嫌に笑うと、本棚をスライドさせて小瓶を取りたした。 「久しぶりにまともな頼まれごとだからうれしかったのだろう」 「う?」 サジが髪を乱すように雑に撫でる。友人のこんな様子は久しぶりに見た。子供好きだったのかと、知らない一面を見て少しだけ意外に思う。 ナナシはというと、スライドした本棚の奥に収められた様々な小瓶が、ジルバの足元から伸びた影によってふわりと浮ぶ様子にキラキラと目を輝かせていた。 ジルバはその小瓶にサラサラと粉を入れると、コルクを締めた。薄水色の艷やかな小瓶をナナシに手渡すと、くすりと笑う。 「傾ければ液体に変わる。1回分の量が出るようになっているからな。食後に飲めば良い。」 「ふわぁ…」 タッセルがついた小瓶がとてもきれいで、ナナシの金色の目はうっとりと細まる。角度によっては薄桃色にもなる、不思議な色味だ。 ジルバはナナシのその様子に目を細めると、跪いてそっと見上げた。 「代金は黒髪でいい。何、ほんの少しだけ頂くだけだ。」 「こぇ、ナナシの?」 「ああ。構わないだろうか。」 「うん、」 ジルバに手を握られながら見上げられて、なんだかとっても落ち着かない。ナナシが条件を飲むと、ジルバの影がシュルリと伸び、鋏を象る。白い紙を用意すると、そっとそこに落とすようにして気にならない程度にナナシの髪を切った。 「これでいい。十分だ。」 「あぃがと。」 「なんの、ふふ。俺も俗世から離れたくなってきた。」 ふにゃりと笑うナナシの頬を撫でると、ジルバは立ち上がり小瓶の中に毛先を落とした。青いリボンを結ぶと、ふわりとそれを影が運んで本棚の奥にしまい込む。 「ふむ、やり方はしらないわけではないだろう。だがサジが離れた今、まともな力を使えるのはお前だけだぞ。」 「お前と同じ、爪弾きものだからなあ。今更俺がいなくなったとして、困るものもいないと思うが。」 かちゃりと音を立てて、テーブルとティーセットが現れた。 「蓋が外れるだろう。」 「どうせ最初からずれている。今更締め直したって、最初から噛み合っていないのさ。」 ティーポットから紅茶を注ぐと、ナナシに差し出した。小さい手でそれを受け取ると、戸惑ったような顔でサジを見た。 「飲めば良い。それを飲めば今よりも少しまともになるだろう。」 「まとも?」 「言葉だ。」 ほんのりとはちみつの香りがする。くんっ、と香ったあと、ぺろりと一口舐める。甘い、そっと縁に口を付けてコクリと飲むと、じわりと舌の上でとろけるような甘さが広がった。 「あまい…」 「ナナシにかかっている呪いは重い。全ては無理だ。なにかきっかけがないと。」 こくんと一口のみ、ジルバを見上げた。呪い。自分にかけられた呪い。ナナシはこれは罰だと思っていた。理由はわからない。それでも、きっと何かしてしまったのだ。 「わるいこと、したのかもしれない…っ、」 ぽそりと呟いた。思っていた言葉がするんと出て来て、びっくりしすぎて思わずジルバを見上げる。 「俺はこれくらいしかできない。」 「…しゃべれる。へん?へんじゃない?」 「変じゃない。君はきちんと喋れている。」 頬を赤く染めたナナシは、泣きそうな顔で見上げる。まだ拙いが、きちんと意思の疎通はできる。ナナシの飲んだお茶には麻痺毒を打ち消す作用があった。 ジルバはナナシの口端についた雫を拭うと、サジを見る。 「子供に与えていい毒ではない。いつからだ。」 「エルマーが連れていた頃からこうだ。おそらく、出会う前から。」 服毒。ナナシは売られるときには既にこうだった。うまく喋れなくて安く買い叩かれ、意思の疎通ができないからと鞭で打たれた。 ずっと口に感じていた痺れは、もう無い。いつ麻痺毒を受けたのかもわからない。思い出そうとすると、湿った土の匂いがする。 「な、ナナシ…ナナシは、なにもわかんない…」 「記憶も少し弄られている。俺が見る限り、物心つく前からだな。」 「つちのにおいがしたの」 「そうか、」 涙を拭うナナシの頭をジルバが撫でる。こんな小さい体で随分と厄介なものを抱えている。 ジルバは自分の子供の頃と重ねていた、ナナシは自分と同じで哀れな子供だと。 サジも人が悪い。ジルバが揺らぐのをわかって連れてきたのだから。

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