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あれからジルバは、少しサジと話がしたいと言ったので、ナナシは気を使ってお外で待っていると言った。 「いいのか、この部屋で待ってても構わないぞ?ただし、遮蔽させてもらうが…」 「ナナシおそといる。いいこにまってられるよ」 「ふん。手短に終わらせる。砂壁の前で待っていろ。」 「はあい。」 サジもジルバも、大人の男の人にしかできないお話があるのだ。ナナシはまだ子供だから、こういうときは居ちゃいけないというのをよくわかっていた。 ジルバは最後まで心配そうに眉を下げてくれて、それが少しだけ嬉しいと思ってしまった。 心配してくれる人がいるのは、幸せなことだなあ。ナナシはゆるゆると手をふると、ジルバに言われて大人しく目をつむって3つ数えた。すると元きた場所に出る。 どれだけいたのだろう、お空は少しだけ赤くなっていた。 ナナシはエルマーの大切な小瓶を鞄の中にしっかりしまう。それをお腹に隠すと、膝を抱きかかえて木箱の間に収まった。乱雑に積み上がったその隙間に小さくなると、ナナシはまだ少しドキドキする胸をなだめながら、くふんとわらう。 「これ、える。びっくりするかなあ。」 ナナシがきちんと、話せるようになったよって言ったら、エルマーはどれだけ驚いてくれるのか。 頬を染めながら、エルマーが腰を抜かす想像をしてくふくふ笑う。小さい手で口元を隠して静かに笑うのは、昔からの癖だった。 「さじ、じるば。とっど、すーま、まいことじじ。あと、えるまー」 すごい。ナナシには8人も友達ができた。片手で足りない。両手が忙しくて、それが嬉しくてもぞもぞする。 まだうまくは喋れないけど、言葉はスムーズに出てくる。どう言えばいいのか、口が教えてくれる。 「えるまー、すき。」 くふんと笑って小さくつぶやく。みんな大好きだけど、エルマーが一番深すき。ナナシは小瓶をもう一度みたくて、バッグの中身を確かめて見る。 ナナシがエルマーのためにしてあげられること。 きちんとお薬くださいと言えたのだ。頭を撫でてもらいたい。抱きしめてほしい、キスもしてくれるだろうか。 「ふふ、」 ナナシはなんだか疲れたのか、少しだけ眠くなってきた。くありと一つあくびを漏らすと、膝を抱えたまま数度まばたきをした。ねむい。サジが帰ってきたらお越してくれるだろうか。 ふわふわする不思議な感覚で、抗えない眠気に敵うはずもない。 ナナシはバッグを抱きしめたままこてりと夢の中に旅立った。それが意図的なものだとも知らずに。 飲み屋で顔に傷がある大男に怒鳴られていた痩せぎすの男は、実に入念に準備をしていた。 最初の狙いはサジだった。 あの枯葉色の髪を緩く結んだ美貌の男は、よくこの砂壁の前で見かけていた。たまたま、数週間前に何度か男が根城にする路地裏を通って行ったのだ。当然こんな狭くて汚いところをわざわざ通る理由が気になる。 だから何度か後をつけたのだが、壁のところで見失う。だから罠を張った。もちろんかかることはないとも思っていた。ふざけて買った眠り香。それをあの木箱の一つに入れておいた。 それが発動するのは、魔力を感知したときだけである。 そしてまさかのことが起きた。男は確かに見たのだ。砂壁から突然現れた、幼い美少年を。 「まさかこっちが釣れるとはなあ。」 正直持ち運びがしやすい分、有り難い。くたりと寝こけている少年を抱きかかえると、そのまま路地裏を後にした。 この少年は、旦那が目をつけていた。これを持ってったらきっと、もう少し待遇も良くなるだろう。 しかし驚いた。ありゃ一体何だったんだ。 男の目の前で形を変えた砂壁。あそこに住むのは何なのだ。追求したくても命は惜しい。男は後ろ髪を引かれつつも、足音を消してかける。伊達に後衛で働いてきていない。身体強化やバフなど、自分にかけることができる為に重宝していた。 「う、」 不味い。慌てて走ったから揺らしてしまっただろうか。止めていた馬車にそっと寝かすと、フードがずれて烏珠の黒髪がこぼれた。長いまつ毛に小さな頤、ツンとたった鼻梁。造形の美しい美少年の細い首筋に、ごくりと生唾を飲み込んだ。 この子は確か白痴だ。襲ったとしてもうまくは説明出来ないだろう。ここで抱いてしまおうか。いや、まだあの壁からはそこまで離れたわけではない。ならばこのまま馬を走らせてアジトに戻ろう。 そっとその口に布を巻くと、麻袋を被せた。慎重に体を縛りつけると、急かされるようにして鞭を打たれた馬は不満気に嘶く。空は仄かに赤かった。もうすぐ夕闇が当たりを覆うだろう。 「サジ。」 「ああ面倒くさい。エルマーにしばかれる。」 「俺も怒られよう。さて、仕事だ」 ジルバはサジの腰を抱きながらそっとその光景を見つめていた。 今の男が向かった先に、彼の処刑対象がいたからだ。 ジルバは魔女で、男で、ずる賢い。だからサジがこうして狙われていると知ってからは、その仲間に紛れていた魔女をあぶり出すために放っておいたし、 連れてきたナナシを見たときに、魔女狩りは二人のほうがやりやすいなあ。と考えを変えてナナシを囮にした。 サジはあのとき、すべてを悟った。 こいつ、嵌めやがったなと。 「むかつく。まじでむかつく。ジルバ、お前ほんとそういうところだ。」 「サジからお前ときくとは。よほど怒っているな。」 「こんなことエルマーにバレたらサジが処される。任せるって言われたのはサジだぞ。任せる意味合いが違う。」 「まあ、説明すると警戒されるだろう。そうすると一変に片付けられないからなあ。」 ジルバが、ナナシを外に出したとき。一応選択肢を与えて保険をかけていた。ナナシの性格からして断ることで責任は自分にはありませんという建前をしっかり作る。そういう細かいところで保険をかけるジルバの性格は、実に魔女らしく小賢しい。 「しかし考えたな。魔力に反応する眠り香とは、やはり入れ知恵をしたやつがいる。」 馬車は郊外の森の中に入ると、馬車のコーチからナナシと思われる人を抱きかかえておろした。 麻袋を被せられて縛られているナナシを見て、サジの魔力が張る。人並みに怒りも感じるのかとジルバは感心したが、違ったようだ。 「痕がついたら、ますます言い逃れはできん。誘拐するにしてもじつにスマートではない。あいつ、センスが無いんじゃないか。」 「うんうん、サジはサジだな。まあまて、魔女を狩るにも親玉がまだ出てこない。」 ジルバは煙管をくわえて、ふぅっと煙を細く吐き出した。ばちりと火花が散ると、その煙は操られるかのようにそっと男とナナシが消えていった洞穴に入り込んだ。 「さて、久しぶりの本性だ。ナナシは怖がるだろうか。」 「ナナシは魔物をみても愛しむ阿呆だ。ただ合言葉は知らんぞ。誰に言わせるつもりだ。」 「ふむ、後ろ暗い奴が言ってくれるさ。」 そういうと、ジルバの灰の瞳の瞳孔が縦に伸びた。 サジは心底辟易とした顔でジルバとともに地面に降り立つと、そっと土に触れた。 「ナナシの鼓動を感知せよ。出来るだろう、エルマー」 ざわりと木々が波打つ。了承の証か、地面から枯れた蔦がぼこりと一本姿を表す。サジの指先に絡みついてからスルリと離れると、そのまま地面に潜って消えた。 「よい、バックアップはエルマーがするだろう。存分に暴れよ。」 「寝た男の名前をつけるとは趣味が悪い。」 「悪食のジルバにだけは言われたくないわ。」 二人の男はまっすぐに洞穴を見た。ランランと輝かせる目は、まるで今から起こることをワクワクして見つめる子供のように無邪気だった。 一陣の風が吹く。木々はざわめき、砂埃が洞穴に誘われるようにして入っていく。 まだか、まだか。二人は静かにその時を待った。 ぽこん。 地面から蔦が顔を出す。合図が来た、ナナシはまだ生きている。サジはにやりと笑うと、ジルバは身を震わせて喜ぶ。 「カウントしようか。」 「不要だ、ほら。」 すっと指をさした瞬間、にわかに洞穴が騒がしくなる。まるで巣をつつかれた蜂のように飛び出してくる件の男達は、揃いも揃って燻られたかのように煤に塗れている。 「な、なんだってんだ!!急に火がつきやがった!!」 「おまえ、煙草の火を消したのか!?俺はあんなとこで吸うなって毎回言ったよなあ!?」 「俺のせいだって言いてえのか!!!」 顔に傷のある大男は、仲間の胸ぐらをつかむと喚き散らした。遅れて出てきたのは、黒いローブをまとった女だった。 ジルバのお目当ての一人だ。女はローブを握りしめながらひどく怯えていた。まるでなぜ火が起きたのか、理解しているといった顔で。 「おい!ガキはどうした!まさか中においてきたわけじゃねえだろうな!?」 「無理だよ旦那!だって中には木の化け物もいたんだぜ!?あいつを囮にしなきゃにげきれなかったってえ!!」 痩せぎす男が半泣きで叫ぶ。女はつかつかとその男のそばまで行くと、力いっぱい頬を叩いた。 「この愚図!!あんたのせいだね!!厄介なもん連れてきやがって!!あいつに気づかれたらどうするんだい!?」 「だ、誰だよあいつって、俺のこと叩いたな!?女のくせに生意気な!!」 「てめえ!ヤらせもしねえくせに威張り散らしやがって!!俺が躾直してやる!」 「誰があんたみたいな臭い男と寝られるかってんだ!冗談は面だけにしときな!!」 しゅるりと蔦が洞穴から出てくる。その様子をみた魔女が目を見開くと、文句もそこそこにローブを翻して指先を蔦に向けた。 「なんで燃えていない!!お前も一緒に焼かれて死ねばいい!!」  女は実に優秀な火魔法を扱う魔女だったらしい。指先から螺旋を描いて吹き出した炎がフオルンを包み込もうとその範囲を広げた。 誰もが当たり前に燃えると思っていた。先程のボヤで燃えなかったのなら、今度こそこの威力ならと。 「やめてくれ。可哀想だろう。」 低く甘い声が響く。フオルン自身の影が伸び、その火から身を護る。木の魔物が影を操るなんて聞いたことがない。今のはなんだ。 誰かが息を呑む音がした。その場にいた者が慌てて後ろを振り向くのに、魔女だけは振り向けなかった。 「なんだおまえ!こないだの男か!!」 大男は新手かと身構えたが、痩身の男が二人立っていただけだと知る。ニヤつく顔には先程の騒動のせいでアドレナリンが出ているのか、ひどく興奮したように顔を赤らめて斧を握る。 サジは呆れた。ずっと後ろにいたというのに気づかなかった鈍臭さで、手に掛けようとしてくるからだ。 「ジルバ、もう面倒くさいから早く終わらせよう。」 「サジはナナシを連れて離れていてくれ。俺の楽しみを取ってくれるなよ。」 「あー、エルマー!!」 バキバキと音を立てた洞穴を崩す。無理やり巨体を引きずり出すと、エルマーと呼ばれたフオルンは木の珠をしゅるしゅると解きナナシを見せた。 ちゃんとできたよと言わんばかりの、物言わぬ木の魔物はタコの足のような木の根を使いサジの元へとナナシを運ぶ。 「う、わ、うわあああ!!」 「っ、ジルバ!!くそ、サジまでいるなんて聞いていない!!」 「三下め。誰のものに手を出したと思っているのだ。」 フオルンによって渡されたナナシは、図太いのかくうくうと寝息を立てている。サジはその細い体を抱き上げると、フオルンに乗ってジルバの背中が見える高さまでその身を移動させた。 「どっちにしろガキ一人じゃねえか。何をビビる必要がある!!さっさと燃やしちまえ!!」 「くそ、くそくそくそ!燃えろ!!」 ぶわりと膨れ上がった熱気がジルバに襲いかかる。 心底呆れた顔をして、持っていた煙管をその火に向ける。 しゅる、と煙が現れたかと思うと、その火に、まとわりついて煙管の中に吸い込ませる。 「お前は失礼なやつだな。まず、俺はお前の名前を知らん。名乗れ。」 「ああ!あたしの火が!!」 「返してほしいなら返そうか。」 ジルバがその先端を加えて煙を吹かすと、瞬時にその煙は火炎玉となって襲いかかる。ただ返したつもりが、力を見誤ったせいで大きくなってしまった。地べたにぶつかって燃え広がるのを、あわてて後衛の痩せぎすの男は結界で塞いだ。 「な、な、なんだあれ!!なんだあれなんだあれ!?」 「あんたそのまま塞いどいとくれよ。あたしはあいつを殺したい。」 もはや喚いていた大男はジルバの攻撃に腰を抜かしたのか、結界の内側で青い顔をしていた。自分がさんざんバカにしていた男に守られている状況を甘んじて受け入れる。もはやパニックすぎて何も考えたくなかったのだ。 「くそ、くそが!!殺してやる、あたしがお前を殺してやるからな!!」 女は吠えた。自分が狙われた理由は、わかっていたからだ。 女は殺しをした。それも人間の子供だ。ほんの好奇心で土人形を作るのに一人分の血が必要だったのだ。 たまたま手に入った良質の呪い混じりの土を使って、子を器にして。そして編み出した魔物は、実にいい出来だった。だが手には負えなかった。大きすぎたのだ。 「スラムの子ではない。孤児だ。帰る家があった。」 「ああ!?」 「まあ、もう彼はいないのだけど。」 呪いの土はまだ残っている。女は小瓶に詰めたそれに魔力を流し込むと、横にいた痩せぎすの男の腹にそれを埋め込んだ。 「あえ、」 横で結界を張っていた男が、妙な声を出して崩れる。腹に刺さった試験管のようなそれを見、女を見た。 「な、なにやってんだおまええええ!!」 仲間の一人が叫んだ。内側を守るために結界で防いでいた男の腹を貫いたのだ。当然結界は壊れる。 魔女はにやりと笑うと、そのまま血に染まった手を引き抜いた。 「土よりも血の量が多いと、どうなるんだろうなああ!!」 かすかに息のあった男の身が重力を無視してはずんだ。まるで空気の入った鞠のように、その場で2回バウンドしたかと思うと、ゴキンと嫌な音がなる。 ジルバもサジも、小さくため息を吐く。呆れた目を向けると、ジルバは吐き捨てた。 「莫迦。」

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