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死の呪いを浴びた人間は、そのまま死ぬと幽鬼になる。だからこそ呪いを解いてやるか、自死させるかで魔物への転化を防ぐのだが、生きていた人間を手にかけて、意識のあるうちに呪いをかけるとどうなるか。 幽鬼の強さは生への執着度合いによって変わる。 呪いだから死んだ、仕方ない。という諦めを持つか、不本意に死んで、呪いを受けた。何故、ではその強さが変わるのだ。 「うははは!!凄い!!凄いなあ!!こういう使い道もあるのかあ!!」 ジルバは頭をかきながら、ごきごきと音を鳴らして転化した男を見た。目から涙を流しながら、なんで、なんでと呟く哀れな魔物。 背中から、いびつに伸びた骨が突き出している。発達した顎や齒、首はだらんと落ちているのに、頭蓋を引きずりながらよたよた歩く。 仲間だった者たちはが悲鳴を上げながら散り散りに逃げようとするのを、サジのフオルンは許さなかった。 「さあどうする、どうやって止める?あたしは魔女だ、魔物との架け橋さ!何も間違ってはいないはずさあ!」 「架け橋、たしかになあ。しかし傅く相手は魔物ではない。」 「いもしない神や精霊に縛られているから魔女は廃れるのさ!出してみな、今すぐここにそいつらを!!」 「魔物は我らに加護は与えないだろう。見えないのはお前に力がないからだ。加護を与えるものを守る。それが本来の俺たちのあり方だ。」 歪な幽鬼は頭を抱えて小さく震える。現実が受け入れられないといった様子で。 サジは眼下の女を哀れに思った。力の足りない魔女こそ、自分だけの力でやっていけると考えがちなのだ。彼女をこうしてしまったのも、今の魔女協会が悪い。 それぞれ魔力を扱うのにも共存が必要だ。本来の持ち前の魔力の他に、愛し子と呼ばれる者たちは精霊や土着神から力を借りることができる。サジは生命の樹と呼ばれる輪廻を司る神に名を授けられた種子の魔女だ。 エルマーに俗世から開放してもらった今、神使として加護を与える側になっている。 魔女とは、それらの力の源となる者たちを守るためにいる愛し子のこと。 誰にでもなれるものではない。魔力が高く、選ばれたものでなくては。 「まったく、わけもわからず魔女になるなというに。」 サジは死体や魔物に種子を埋め込み、育てる。かすかに残った魂の残滓をつかい、理性のある魔物を生み出すのだ。殺しはするが、対象は輪廻から外された悪のみ。もう戻れないほど悪いことをしたら、サジが手を下す。 暴れすぎて、サジは神に夢枕で小言を言われるが。 「お前が殺したのは未来ある子だった。孤児だが、帰る場所があった。」 「またその話か。」 「お前は火の神から見放された。愛し子は他にもいるからなあ。」 「燃えよ!!」 ニヤリと笑ったジルバの笑みに怖気が走る。わけのわからないことを言うその口を溶かしてやろうと指先に魔力を込めたが、現れたのはマッチの火程度の大きさだった。 「俺たちが神を選ぶのではない、神が俺たちを選ぶのだ。」 「な、な、んっ…よ、よくも…っ」 ぴくりとジルバの耳が動く。気づけばあたりは夜になっていた。月が見下ろすように真上に上がる。 ざわめく木々のゆらぎが強くなった気がした。 「なんだ。言え。」 「良くも、あたしの魔力を…」 キラリと光るジルバの目に、フオルンによって阻まれた男達の顔色が悪くなる。捕食者の目は、2つしかないはずなのに全てを睨みつけているような怖さがあった。 「んん、ふ…」 「む、起きたか。」 麻袋を外してやると、ぽやぽやした顔でナナシがサジをみる。あたりは暗い、なんで拘束されているのだろうとキョトンとしたナナシは、自分が今フオルンの上にいるのだと気づいた。 「ここ、なにい…よる、こわいよ」 手を解かれたナナシは、牛のような顔を近づけたフオルンに寄り添いながら怯える。 真下にいるのは幽鬼だろうか、うずくまったまま震えて動いていない。 ジルバはナナシが起きた気配を察知したのか、ちらりと見上げた。 「寝てればよかったが、まあいい。サジ!」 「なんだー!!」 上から元気よく振ってくるサジの声に小さく笑うと、頼みがあると叫ぶ。 「ナナシでもいい!言わせろ!この女はだめだ!」 「ああ、トリガーはだれでもいいのだっけか。」 サジはなるほどと頷くと、フオルンに近くまでおろしてもらう。ナナシは幽鬼に怯えながらジルバを見上げると、フオルンの鼻先に抱きつく。 「ナナシは魔物が好きか。」 「やさしいこなら、すき。」 「そうか。ならば手伝ってくれ。」 わしわしとジルバに頭を撫でられてる。戸惑いながら小さくうなずくと、サジはナナシの手を取って指をさすような形にする。 「よくもきたな。と言え。」 「よくも、きたな?」 「そう、ジルバを指さして言え。」 ナナシは困った顔でジルバを見ようとすると、対峙していた女が悲鳴を上げながら幽鬼に取り出した鞭を振り上げていた。 「いけ!!はたらけ!!あんたはあたしの幽鬼だろう!!愚図め、はやくしろ!!」 「ひ、っ!」 頭を抱えていた幽鬼が、黒い体液を撒き散らしながら苦しそうに呻く。ナナシの記憶から蘇ったのは、自分がされてきた仕打ち。 「怖いものは、このジルバがなくしてやろう。ほら、言えナナシ。」 幽鬼はまるで暴れ馬のように不器用な走りでジルバに立ち向かうと、その引きずっていた頭を振り上げて襲いかかろうとした。 「っ、よくも、きたな…!」 ナナシが慌ててジルバを指差し叫ぶ。幽鬼に襲いかかられる恐怖とトラウマによって、怯えが言葉にありありと伝わる。 そのトリガーワードは魔力をおび、ジルバは両手を広げてニヤリと笑った。 「夜蜘蛛、キタ。」 バキンと音がなった瞬間。ジルバの声が複音になる。あのとき聞いた不思議な声だ。 とぷんと揺蕩う音がした。突如として足元の影から溢れるようにして現れたからおびただしい数の蜘蛛に怯んだ幽鬼は、張り付かれるとのたうち回った。ジルバはその様子を見つめながら、影に飲まれるようにしてその身を黒く包む。 ナナシは何が起こったのかわからなかった。目を見開いたまま指先を指し示して固まると、次の瞬きのうちには黒と紫の禍々しい模様を腹に刻んだ大蜘蛛が、一息に幽鬼と魔女、そして逃げ切れなかった男達を飲み込んだ。闇の中に、小さい蜘蛛が獲物を引きずり込んでいく。悲鳴一つなく、月の前を雲が過ぎた頃には全て何もなくなっていた。 「はぇ…」 「余程ストレスが溜まっていたようだ。ジルバが本性を出すときは発散したいときだからなあ。」 じゃり、と大蜘蛛が8本の足を使いナナシに向き直る。ジルバだとわかる部分は上半身のみで、複眼は脇腹にギョロリと集中していた。 フオルンと同じくらいの大きさだ。ナナシが対峙した山の主よりも大きい。ジルバはその身を屈めると、蜘蛛の体がお辞儀をするような体制でその上半身をナナシに近づけた。 「こわいか。」 「ううん、」 「そうか。」 ジルバは黒く染まった両手でナナシの頬を撫でる。腹にある6つの複眼がギョロリと見つめると、少しだけビクリとしたが、ぱちぱちと瞬きをする赤い目をみたナナシは、そっと腹筋が美しい腹に触れた。 「いろ、ちがう。」 「ああ、複眼は赤なんだ。俺の両目が灰色なのは親父譲りだな。」 「夜の魔物、アラクネとの間の子供だ。ジルバの影から出てきたのは兄弟だぞ。」 「ええ、じるば、おにいちゃん?」 「ああ、長男以外はみんなあのサイズなのさ。」 影から一匹の蜘蛛が這い出てジルバの肩に乗る。赤い複眼でナナシを見つめると、二本の足を上に持ち上げてバンザイのようなポーズを取った。 「こら、求愛するな。こいつは俺の番ではない。」 「ぶはっ、アラクネに求愛されるとは流石に笑える。ナナシ、お前は本当に魔物タラシだなあ。」 「かぁいい…こんばんは?」 「こんばんは。まあ、仲良くしてやってくれ。」 ぴょこぴょことジルバの肩の上で手を挙げる蜘蛛の頭だと思われる部分を撫でると、ジルバは嬉しそうに笑った。本性が禍々しすぎて爪弾きにされている分、好意をもたれるとやはり嬉しい。兄弟は非常に多いが、どれも気のいいやつばかりなのだ。 「そういえば、いいのか。」 「あん?」 エルマーをおいてきているのだろう?そう言って首を傾げるジルバに、わかりやすく顔を青ざめさせたのはサジとナナシだ。 「ああー!!!ジルバ!!連帯責任だからなあ!!怒られる、締められる処される、このことがバレたらサジはやばい!」 「あわ、え、えるまー!ね、ねつ、しんじゃう!」 「熱ごときで死なないと思うが。まあ、俺が巻き込んだからなあ。乗れ、フオルンよりも早い。」 「ジルバの巨体じゃあ逆に不便であろう!ああ、魔女らしく箒でも乗れればいいのに。」 「箒に乗る魔女なんぞファンタジーだぞ。」 自分が一番ファンタジーの癖に何を言う、とサジは思ったが、こうなればヤケである。サジはナナシとともにジルバの蜘蛛の腹の部分に飛び乗ると、ジルバは糸でナナシとサジの体を固定した。 「アラクネの糸!!こんなことに無駄遣いするなんて!」 「あう、う、うごけない…」 「いくらでも出してやる。さて、飛ぶぞ。」 ジルバは上半身を軽く柔軟し、8本の足で体を揺らして屈伸したかと思うと、飛んだ。というより跳躍した。 「ほあああああばかものおおおお!!!」 「わぁぁああぁあぁあ」 そのまま街が小さくなるほど高く飛んだ後、ぶわりと手から影を出現させる。黒い蜘蛛の糸のような影は一気に上空を滑り、一箇所に縫い止める。そこに定着した影を巻き取るかのようにして一気に移動すると、サジもナナシも引っ張られる様にして移動する羽目になった。 星が横に伸びるなんて不思議、そう思ったが、そうではない。サジたちがそう勘違いするスピードで移動しただけなのだから。 その頃エルマーはというと、熱で意識をボヤかせながら、遠くの方から聞こえてくる悲鳴のような耳鳴りに頭を抱えていた。 ついに熱が上がって、変な音まで聞こえだした。これはまずい。外は暗いし、彼奴等は一体どこまで出かけているんだと。 帰ってきたらサジだけでも締めよう。そう心に決めて夜の星空が微かに見える窓に顔を向けた瞬間、バキッという不穏な音と共に、奇妙な、まるで虫の腹のような者が窓の景色を隠した。 振り向いて、夜空を見て、瞬きしたら虫の腹だ。さすがのエルマーも驚きすぎて声が出なかったし、挙句がさがさと音を立ててその虫の腹が上の方に移動していったのを見て、寒気が走った。 「ええええ、え?え?」 しばらくすると、窓から逆さに色黒の美丈夫が顔を出す。このまま飛び降りられたら後味がわるい。エルマーは頭をいためながらふらふらと窓のそばに近寄ると、その美丈夫の腹にある複眼が一斉にエルマーを見つめた。 「うわっ!ふ、複眼!?」 「こんばんはエルマー。おれは影の魔女、ジルバだ。」 「あ!?ジルバ!?」 「この姿で会うのは初めてだな。少し待て、元に戻る。」 「ええええ。」 ぶわりと黒い靄が広がったと思ったら、両脇にべしょべしょに泣いたナナシと白目をむくサジを抱きかかえて、よいしょと窓を跨いだ。 自分もそうだが誰も部屋のドアから入ってこないよなと思う。ジルバはナナシをエルマーに押し付けると、べしょりとサジを床に落とした。 「おわっ、」 「ひううう、えるまあー‥っ、」 「おお、泣くなって…まあ気持ちはわかるけどよ…」 「うおぇっぷ、吐く…無理、吐く。」 「騒がしいな。全く、病人の前だというのに。」 ドタドタと浴室に駆け込むサジを見送ると、ジルバはやれやれといった顔をした。ナナシはと言うと、怖くても漏らさなかったことをエルマーに褒められて少しだけ気分があがっていた。 「おーよしよし、てかなんでこんな遅かったんだ…」 「じるばに、おくすりもらた。えるまーの、のんで。」 「ありが、」 ごそごそとナナシが鞄から小瓶を取り出す。拙いがしっかり話すナナシに目を見開くと、ナナシはもじもじしながら照れくさそうに笑う。 「おちゃのんだの。じるばがね、ナナシのこれ、なおしてくれた。」 「…あ、そ、そうか…え?わ…ちょっとまて、泣きそう。」 「ふふ、よかったなナナシ。エルマーが感無量になっている。」 「なく?える、なくの?なかないでぇ…」 「ぐ、…っ、よかったなあ…」 ナナシはエルマーが涙目の理由がわからずに、困ったように眉を下げる。それでも、エルマーが喜んでくれているのでナナシもうれしい。 「えると、おはなし。たくさんできる、うれしいね」 「う、うちの子が天使…ううっ、」 「同意するが、とりあえずお前は薬を飲め。」 エルマーに抱きつきながら嬉しそうにくふんと笑うナナシが愛しくて、なんでこんな遅くなったのかとプリプリ怒る気力も消え失せた。 サジはあらかた出し尽くしたのか、フラフラになりながら戻ってくると、満足げに笑っているジルバの頭を拳骨でブッ叩いた。

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