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その後の家族の話(結婚編) エルマー×ナナシ

その日の午後、間違いなくエルマー宅は戦場であった。 ロンの家の元治癒術師でもあるマーチが産婆をかって出てくれる事になったのだが、エルマーはというと顔面を蒼白にしてアリシアに必要なものを持ってきなさいと言われながら、大量のタオルやらお湯やらを準備していた。 事前に説明はしていたが、ナナシの素肌を見るまではやはり男性だとは思わなかったらしい。 マーチは治癒術師として様々な人を見てきたが、こんな神聖な生き物の出産は初めてだと緊張をしていたが、いざ陣痛が始まってしまえば心強いことこの上なかった。 「ひぁーーー!」 「うわあああああ!!!」 ナナシが陣痛の痛みにぼたぼたと涙で顔を濡らしながら悲鳴を上げたとほぼ同時に、エルマーも真っ青な顔で悲鳴を上げる。 ナナシは今、マーチによって足を開かされたまま、必死な顔をして力んでいた。 「エルマーさん!ちょっと今いいところなんだから黙っておとなしくしてなさい!ナナシちゃん頭見えて来たからねえ!がんばるんだよお!」 「い、今いいとこってなんだ!?あ、あたま!?ナナシの小せえけつから頭出んの!?うわああナナシ死ぬなあああ!!」 「ふぇ、あー‥!い、いきぅ、ぁ、あっい、いたいぃ…」 「いてえって!!なあいてえっていってる!!なああ!!」 「うるっさいねえ!出産なんてみんな痛いんだよ!!鼻からスイカ出す痛みっていうくらいにはね!!」 「なにそれ死ぬじゃん!!!」 うわあああーー!! 今まで見たこともないほどエルマーが取り乱すので、ナナシは痛みに呻きながら大いに混乱していた。痛い、信じられないほど痛いのに、エルマーも顔を色んな色にせわしなく染め上げながら、今にも死にそうな顔でナナシの上半身にしがみついたまま喚いている。 ナナシの大きなふかふかのお耳がぴくぴくと動く。える、ちょっとうるさいなあ。そう言いたいのに、この状況は自分のことを心配しすぎているからなんだろうなあと、出産の痛みの中そんなことを思った。 さっきから、普段穏やかなマーチがロンに対する扱いのようにエルマーを怒る。うるさい!だの、いそがしいんだからどっかいけ!だのいっている。そんなことを言われているエルマーは可哀想だなあとおもうけど、正直がっしりと上半身を抱き込まれている今、いきむのがしづらくて仕方がない。 「ぇ、える…ま、あぁ…っ、」 「あ!?」 「ど、」 「ど!?」 「どっかいってぇ、えっ…!」 痛いから、いきみたいからここじゃないどこかにいってー!ナナシはそう言いたかった。しかし、切羽詰まっているし、いきみ逃しにベッド縁にしがみつきたいのにエルマーがいるからそれもできない。 悲痛なナナシの叫びに、エルマーはこの世の終わりのような顔をする。 アリシアによってがしりと襟ぐりを鷲掴まれると、嫌だぁあと情けなく声を上げながらベッドから引きずり降ろされた。 信じられない、あのかっこいいエルマーがうわあんと泣きながらぶんぶんと首を振る。 ナナシがようやくエルマーの拘束から解放され、もうはやく痛いのが終わって欲しいという心からのお祈りが通じたのか、はたまたエルマーが離れたおかげだからか、まあその数分後。ズルリと足の間から何かが抜けたかと思えば、マーチの喜ぶ声と箍を切ったように大泣きする赤子の声が部屋に響き渡った。 ナナシはもう、今まであった何よりも辛かったと言わんばりにぐったりし、エルマーはアリシアに襟を掴まれて中途半端に転がったまま硬直し、マーチが生まれたばかりのげんきな赤ちゃんを手早く清拭すると、ぐったりとするナナシの元に見せに来る。 ぐぇっとヒキガエルが潰れたような声を上げたエルマーは、邪魔だとばかりにマーチにふんずけられたらしい。 「お疲れ様、げんきな赤毛の男の子ですよ。」 「ふあ…」 ふぐふぐと愚図りながら、ナナシに渡された小さな命は、光が眩しいのかくしゃりとした顔でむずがった。薄く開いた瞳はエルマーと同じ金色で、ナナシは疲労困憊の中、ふにゃりと嬉しそうに微笑んだ。 「かぁいい…」 「っ、ナナシぃ、…」 「うわぁ、」 じたばたと起き上がったエルマーが、縋り付くようにベッドサイドから顔を出す。ナナシ以上に泣き虫になったのかと思う位、整った顔をべしょべしょにしながら生まれたばかりの息子を見る。 ずびずびと鼻を啜ると、男らしく太い指でそっと息子の小さな紅葉を擽った。 「うあ…」 「ぇる、かおいそがしい…」 「ぅぁ、あー‥ちっちぇー‥」 きゅ、と握りしめられた己の指から全身に、今まで感じたことのないような感覚が走る。 エルマーが26年生きてきて、味わったことのない感覚だ。 想像できないほどの痛みを乗り越えて出産をしたナナシの頭を撫でる。家族3人、お揃いの金色のお目々だ。たくさん泣いて、たくさん食べて、色んな経験をして成長していってほしい。 エルマーはナナシが息子の額に口付けたのをみて、恐る恐る同じように口付けた。 ナナシが嬉しそうにぱたぱたと尾を振ると、エルマーは少し不細工に微笑んだ。 「親父になっちまった。」 「ふへ、えるぱぱ」 「俺がぱぱかあ…」 しみじみと思うと、ふにゅふにゅと泣く。アリシアもマーチも、のぞき込むようにして様子を見ると、少し慌てたエルマーとナナシに、至極当たり前のことを言った。 「おなかすいちゃったかしら、ナナシちゃん授乳できる?」 「じゅにゅ、」 「あら。エルマーさん男でも特例ならでるかもしれないじゃない。」 アリシアの言葉にぴしりと固まったエルマーが、じわりと顔を赤らめた。授乳、授乳っておまえ、おまえあれか、あれのことか。頭の中は思春期さながらせわしなく、ナナシの下肢に治癒をかけたマーチがニッコリと微笑む。 「赤ちゃんに授乳するのはねえ、幸せよ。なんかこう、満たされるものがあるのよねえ。」 「はぁい、やてみる。」 「まてまてまてまて!!」 わたわたと慌ただしく起き上がったエルマーが、大慌てで寝室から出ていく。散々やらしいことをして見慣れたナナシの素肌でも、授乳はだめだ。絶対にやらしい目で見てはいけない。そんな気がする。 アリシアは吹き出すように笑うと、うちのロンもそうだったわぁ。と新米パパになったエルマーを見送った。 「お名前決めているの?」 「うん、サディン。えるときめたの、じじんとこのことばで、みちびくっていみだって」 「じじ?」 「チベットじじ、ナナシのおじいちゃんだよう」 エルマーとナナシで、わざわざエルフの森に住み着いたアロンダートたちのもとまで行って、サジを巻き込んで古い文献をあさって調べたドワーフ語だ。 チベットやスーマにも産まれたら見てもらいたかったなという話をして、ナナシがそうしたいと決めた。 「じじとスーマ、サディンいつもみてくれてるっておもうよ」 「そう、」 胸元をはだけさせ、でるかなあと心配げな顔をしていたナナシが、サディンを胸元に引き寄せる。はぷりと上手に吸い付くと、んくんくとお利口さんに口を動かす。 ナナシは頬を染めながら、胸に抱いた命をいとおしむようにして微笑んだ。 聖母さながらの美しい光景である。 無垢な生き物が無垢な赤ちゃんを産んだのだ。エルマーは顔を押さえたまま、部屋の扉の外でしゃがみ込んでいた。いつまで経っても止まらない涙を己の手で隠しながら、今日という日を忘れないと心に誓ったのであった。 家族が増えてからというもの、エルマーの家はたいそう賑やかになった。 乳母車に乗せたサディンが泣けば、ギンイロが持ち手を咥えてぶんぶんと尾を振りながら揺らしてあやすし、ナナシは下手っぴだった着替えもきちんとできるようになった。 エルマーは相変わらず下の世話までお手のもので、ナナシで練習積んだからなあというと、照れたナナシがどういたしましてと妙竹林な返答を返す。 ナナシが授乳をするようになってからは、エルマーはしっかりと食えとナナシに色んなものを作っては食べさせた。 一家の大黒柱でもあるエルマーは、たまにふらりとひとりで出かけると、ギルドで換金してきた金貨を持って帰ってくるので、本当にたまに依頼を受けているようだった。 「ナナシー、サディンの風呂ー!」 「はぁい!」 「かけるなかけるな!」 エルマーが家の浴室で声をかけると、ナナシはぱたぱたとかけてくる。前に滑って見事に仰向けで転んでエルマーをヒヤッとさせたのを、ナナシはすっかり忘れていたようだ。 にゃー!と赤ちゃん特有の高い声で泣くサディンを下手くそにあやしていたエルマーが、ひょこりと顔を出したナナシにホッとした顔をする。 割と何でもできるエルマーの苦手なことの一つに、サディンの沐浴がある。こればっかりはどうにも駄目で、ナナシは頼られっぱなしだ。 旅路のときとは大きく違うが、ナナシはなんだかそれが嬉しい。 サディンが泣くと、エルマーも悲しそうな顔をしてお手上げだとナナシを見つめてくるのも可愛くて好きだ。 「ふにゃふにゃ泣くんだよなあ、サディンはやっぱりナナシがいいのかねえ。」 「ちがう、サディンびっくししただけだよう。ねー?」 「おお、さすが…」 ひぐひぐ泣くサディンは、エルマーが桶に入れたお湯を尻から浸したら泣いたのである。いつもつま先からナナシにゆっくりといれてもらうのに、エルマーだと下手くそ過ぎて不服だったようだ。 「やっぱナナシのほうがうめーや。」 「ままだもんね、ふふ。でも、えるとおひるねしてるとき、サディンはさきにおきて、よくえるのことみてるよう」 ナナシがやさしい手付きで沐浴をすませると、湯船に浸かっていたエルマーにサディンを抱かせる。 エルマーはあわてて受け取ると、サディンの手によってぺたりと顎に触られた。 「サディン、ぱぱのことすきだよう。ナナシもいっしょ、ふへ…」 「んぐぅ…」 「うゅ、」 照れるナナシの可愛さに、エルマーが思わずサディンの胸元に顔を埋めた。照れたらしいが、サディンは不服そうに小さく声を出す。やめてくれやと言う具合に小さな手でエルマーの顔を押しのける不満顔のサディンに、ナナシは面白くなって小さく吹き出した。 「なあ、サディンの首が座って落ち着いたら、また顔見せに行くか。」 「アランのおはか?」 「おう、あと自称ババアに会いに行かねえと。いい加減どやされる。」 「トッドあいたい、ナナシはサディンのおようふくありがとってする。」 結局出産当日は慌ただしくて服をみに行けていなかったのである。エルマーが呑気だったせいで、産着がねえと大騒ぎして、しばらくサディンはエルマーが着てた服をうまい具合にぐるぐると巻き付けられるなどをしていた。 それを依頼受注でミュクシルを使ってシュマギナールに言った際にトッドに笑い話で言ったのだが、それはもうえらい剣幕で怒られた。 で、あるからして、その日の帰宅は大荷物だった。今思い起こしても面白い。 黒い幽鬼のミュクシルにくくりつけられていたパステルカラーの紙袋と、エルマーが背負ってきた巨大すぎるうさぎのぬいぐるみ。 それはいまナナシとエルマーのベットの横に置いてある。子供部屋を作るにも、まだまだ目が離せない。だから実質二人の部屋がサディンの子供部屋になっているのだ。 あの巨大なうさぎのぬいぐるみの足の間にサディンを座らせ、エルマーがよく悶絶をしているのを見ているナナシは、える、うさぎさん好きねー。とそんなことを思っている。 「サディン、おふろきもちいね。ねむくなっちゃうまえに、おっぱいのみましょうね、」 「……、」 「える、まだはいってる?ナナシサディンにゴハンしてくるねえ。」 「おう、…授乳かあ…。」 ナナシが噛み締めるように呟くエルマーにキョトンとする。最近エルマーはナナシがサディンにご飯をあげようとすると過剰反応してしまう。上も下も忙しいのだ。我ながら思春期じゃあるまいし。純粋に息子に与える母の愛情であるのに、ナナシの一言に毎回揺さぶられるのだ。 おかげさまで今、風呂から上がれる状況ではない。何せ下半身がえらいことになっているからだ。 ナナシに抱かれてご機嫌なサディンが、キュルリとした純粋無垢な瞳でエルマーを見つめてくる。その真っ直ぐな瞳に映されながら、エルマーは素数を数えながらゆっくりと風呂に顔ごと沈んだのであった。

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