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職業参観の話(結婚編)エルマー×ナナシ
ジルは自分では戦闘が割と得意な方だと思っていた。エルマーが就任してくるまではずっと一目置かれていたし、剣も得意で鍔迫り合いからの体術をつかったトリッキーな己の戦闘方法も、なんとも叩き上げという感じですきであった。
元々、やすみの日に依頼を受けていたこともあり、魔物との戦闘もある程度はできていたつもりだった。
それなのに、エルマーが就任してからは、ジルの自負していた人よりできるは、スタートラインにも立っていなかったという現実に直面した。
「それでも、俺も一応教官に扱かれて一ヶ月乗り越えたので、前よりかは成長しているはずなんですよ。」
魔力を練るというのを教えてもらった時、ジルは自分の体のレベルが上がったのを体感した。あのときの高揚感は麻薬のように染み付いている。
纏うのは、練ってから。ただ膜を張っただけでは柔軟性がないのだと言われるのだ。
ジルの魔力は風属性であるが、今回は無属性のみと言われたので、それをじっくりと練る。それを脚部にまとわせれば動きが早くなるのである。
「お父さんに教えてもらったんだ、いいなあ。」
「お家で教えてくれないんですか?」
「まともに手合わせして、おか、…ママにお父さんが怒られてからは教えてもらってないよ。」
お母さん、といいそうになってママに言い換えた。ジルは、なんで言い換えるのかわからなかったが、今は眼の前の10歳位の少年にどう手加減をするか、魔力を纏う量を調整する。
なるほど、教官はもしかしたら、敵によって纏う魔力量を調整しろと言っているのかもしれない。有事にばかすか魔力を使うことは疲労につながる。なるほど己の息子で実地訓練とは恐れ入る。
サディンはジルが魔力量を少なく絞ったのを見て、目を細めた。
「怪我はさせないように、体術だけです。無理だと思ったらストップって言っていいですからね。」
「うん、わかった。おねがいします。」
ぺこりと丁寧にサディンがお辞儀をした。とても素直でいい息子だなあ。あの教官と血が繋がっているとは思えないほどのいいこだ。
ちらりと横目で教官を見た。ナナシと呼ばれた奥さんの横に腰掛けて、面白そうにこちらを見ている。ハラハラしているのは奥さんだけだ。
息子さんだものなあ、しかし止めないということはエルマーから口出し無用といわれているのだろうか。
キャスパーはドン引きした顔でミュクシルにまたがるウィルを見ているが。
「さて、君からどうぞ?」
ここはかっこいいところを見せて、あこがれを抱いてもらわねば。
ジルはニコリと微笑んで、サディンを手で招くように指を動かした。
たっ、と地面を蹴ったかと思えば、ジルと少し離れた距離からサディンが足を振り上げた。
そんなところから蹴っても当たらないのになあ。
ジルはやはり子供だと可愛らしく思った瞬間、
「齒ァ食いしばって」
「へあ、」
ぐいんとサディンの足が伸びた気がした。何だ、と思ったときにはすでにジルの体は地べたに臥せっており、回し蹴りをした体勢からサディンがなおると、ジルの目の前までざりざりと靴音を立てて歩いてきた。
まわりがシンとしている。頭に疑問符をばら撒きながら呆然としているジルの胸ぐらをがしりと掴むと、むりやり起き上がらせられた。
「立てる?耳は蹴ってないけど顔痛かったでしょ。加減したけど平気?」
「は、はひ…」
今、ジルの目の前にとんでもない美形が立っている。未成熟とは思えない色気をまとった青年が、そっと蹴った頬を包むようにしてジルの頬を包む。
赤毛で金眼だ。エルマーによく似ている。優しそうな目元だけれど、こいつは誰だ。
呆然とした顔で見上げるジルに、サディンはゆっくりと微笑んだ。
「お父さんに言われなかった?油断すると痛い目に見るって。」
「ま、まさか、そんな」
あの蹴りを繰り出す瞬間に、サディンは身に纏っていた術を解いたのだ。届かないと思っていたあの距離は、元の体の大きさを把握していたサディンが、わざととった距離だったのである。
魔力が多いものは成長が遅いと聞いたことがある、しかし、こうして自分の体躯を自在に操るだなんて聞いたことがない。
ジルは呆然としたままサディンをみあげていたのだが、そっと胸を押されてべしょりと地べたに尻を付いた。
「魔物だって姿を変えるでしょう?アイツラにできて、俺にできないわけがないよ。ようするに、魔力をどう使うかってだけ。それと」
子供だからって馬鹿にするから痛い目みるんだよ。
そう耳元で囁かれ、ジルはピクリと口端を引き攣らせた。
ニッコリと笑うサディンが怖い。よくよく考えてみたら、あの化け物みたいにトリッキーな戦い方をする教官と、まともに手合わせしてと言っていた時点で気づけばよかった。
ぱたぱたと軽い足どりが近づいてくる。ジルはその方向に首を向けると、ナナシが慌てた様子で自分に駆け寄ってきた。
まるでスローモーションのように、美しく儚い美貌の麗人が泣きそうな顔でこちらに来るのだ。ジルは、もしかしてこの辱めを受けたご褒美だろうか。
ジルの真横に膝を付くと、その嫋やかな手のひらがそっと顔を包み込む。
「サディンがごめんなさい、えるに、だめだよっていったのに、きかないの。」
「あ、や、い、え、えへへ」
「顔赤い、いたい?ほんとに、ごめんなさい」
演習場のど真ん中で、夢のようなひとときである。突き刺さる団員達の鋭い視線すらも心地が良い。ジルは、こんなゴホウビがあるならもっとしごかれてもいい。そう思った。
「母さん、僕頑張ったのに褒めてくれないの?」
「僕!?」
君さっき俺って言ってたじゃないかと振り向くと、サディンはきょとりと見下ろした。あくまで白を切るらしい。
先程とは違いお母さんと呼ぶあたり、ママと呼んでいたのも策略の一つか。末恐ろしい息子である。
「サディン、仕方のない子、危ないことするの駄目いったでしょう?」
「でも、お父さんがやれって。」
「えるには、後でナナシがめってする。サディン、ジルにごめんなさいするしてください。」
「ええー!」
サディンはエルマーよりも背は低いが、ナナシよりも大きい。そんなすらりとしたサディンとナナシはまるで恋人同士の戯れのように、抱きつく息子の背を撫でている。
「駄々こねんなって、ほら謝れサディン。」
「お父さんがやれっていったんじゃん!」
「える、しばらくやらしいことするのしない。」
「ええええまじでええええ!!!」
サディンを抱きしめたナナシが剥れた顔でエルマーを見上げる。団員は、ナナシの口から言われたヤラシイコトという単語にゴクリと喉を鳴らした。
そうだ、ヤラシイコトをしなくては子は孕めない。あんなきれいな生き物を抱いたエルマーに、ある意味の尊敬の眼差しが送られる。
ナナシからのお仕置きともとれる発言に落ち込んだエルマーの頭を、ミュクシルに抱かれたウィルが撫でている。
微笑ましい光景なのに、むかっ腹すら立ってくる。しかし羨ましいからと言ってエルマーに挑めば、ジルのように地面と口づけをするのは明白だ。
しかし、今ここにはナナシがいるのだ。
もし、地面に伏したとしても、自分もジルのように治癒をしてもらえるのならお釣りが来るのではないか。
ゴクリと喉を鳴らした。勇気あるバカであるキャスパーが、肩を怒らして歩み出る。
「教官!!自分とも手合わせを願います!!」
「やだだりい。」
「なんで!?」
「だって俺今オフの気になっちまってんもん。嫁きたし。」
ぎゅうっとナナシに抱きつくと、左右から大男二人に挟まれたナナシはじたじたと動く。狭いし窮屈なのだ。
「うぅ、やー!腰ぐりぐりしないでぇっ!」
「父さん、ここで盛るのやめてくんない。」
「嫁の尻が当たって勃起しねえわけなくね?」
「場所の話をしてんだけどなあ。」
頬を染めながらナナシが怒る。前からサディンが抱きついてるのをいいことに、エルマーがナナシの腰を引き寄せて尾の根本を掴むのだ。
布越しとは言え尻の割れ目に下肢を押し付けられてしまえば、その白い肌を赤く染めるのも無理はない。
「教官!?ここは神聖なる第一騎士団の兵舎ですので、そのような行為は承服いたしかねます!!」
「子を成すっつー神聖な行為をだな。」
「青姦視姦になるからやめろっていってるんだよ父さん。」
「あいてっ」
べしりとナナシが嗜めるようにエルマーの頭を尾で叩く。むくれたナナシがぶわりと魔力を広げると、エルマーはむりやり剥がされるようにしてナナシの周りに展開した結界に押し出された。
「うわ。父さんはやく謝った方がいい。母さんまじでキレてるよ。」
「うわやべえ、ナナシ!謝るからそこで巣篭もりするな!」
「えるやだ!ふんだ!ナナシはそこでちんちんしないでって言った!今日はえっちしません!ばか!」
「いやだああ!」
突如としてぶわりと展開した精度の高い結界に、団員はほうけてしまった。展開した結界は、術者の選択によって守るものを決め、それ以外を弾き出したのだ。そんなこと、魔女ですらできるかわからない。
結界術は非常に便利ではあるが、それを扱うのには少しコツがいる。それをセクハラされながらも展開してしまうのだから、このエルマーの嫁であるナナシも只者ではない。
エルマーがビタリと結界に張り付いてバンバンと叩く。内側にいるサディンとウィルは苦笑いをしている。ナナシはというと、むすくれたまま結界ごと歩いて移動するものだから、団員は二重に驚愕する羽目になった。
「き、教官!!?奥様は何者ですか!?」
「うるせええ!!いま俺に話しかけんじゃねえ!!ナナシ!おい機嫌直せって!なあ!チェリーパイ買ってやっから!おい!」
「教官!?」
ふんだっ、とぷんぷんしながら歩みを進めるナナシを追いかけるようにして、エルマーが大慌てで追いかけていく。
あの虫取り網片手に悪魔のような冷酷さで指導を行なう教官の姿はもう居らず、そこに居るのは嫁の尻に敷かれた男だけであった。
ジルは考えを改めた。エルマー教官は人の血が流れてないと思ったけど、プライベートはめちゃくちゃ愛妻家なのだなあと。
そっとナナシに治癒された自身の頬に触れる。いい香りがした、あのふくよかでありながら、清廉な花のような香り。
同じ香水がないか探してみようかなぁと思うくらいには、なんとも記憶に残った出来事であった。
「ジル、お前だけいい思いをしてずるいぞ!」
「うるさいぞキャスパー!俺は年下に負けたんだっ!まずはそっちから慰めろよ!」
「ああ、それにしてもなんという美人。俺も頑張れば、あんな嫁さんもらえんのかなあ。」
口々にうっとりとナナシ達が消えていった門を眺める。しばらくして、エルマーだけが幽鬼のようにゆらゆらと戻ってくるのが見えた。
どうやら奥さんからお触り解禁はもぎ取れなかったらしい。若干であるが胸がすく思いだ。
キャスパーはニコニコしながらエルマーに駆け寄ると、相変わらずの頭の悪さで呑気に絡む。
「いやあ。あんな別嬪さんが奥さんとは流石っすねえ!俺にも紹介してくれてもいいじゃないっすか!」
「…うるせえ」
「ひえ、」
エルマーの肩に、大胆にも腕を回したキャスパーに、なるほど本日は無礼講かと他の団員も笑顔で駆け寄る。
馴れ初めやら夜の話をまるっとお伺いをしたい。そんな気持で面々がエルマーに近づこうとしたら、キャスパーの大きな体が飛んで来た。
「どへえええええ!?」
間抜けな声を上げてどしゃりと崩れる。飛んで来たキャスパーを受け止めた団員数名が、真っ青な顔をしてエルマーを見た。
「全部てめえらが腑抜けてっから俺がお預けくらったんだばあああか!!!おらああ徹底的に扱き殺してやる!!かかってこいや雑魚共がああ!!」
エルマーがばらまいた空魔石が、地面に転がっては爆発を繰り返す。団員は大慌てで起き上がると、なんでこんな理不尽な目に合うのだと悲鳴を上げながら演習場を走り回る。
ミュクシルよりもこわい。
結局その日の練習はいつも以上にキツく、かかってこいやと言う割に虫取り網片手に襲いかかってくるエルマーから逃げるという実地訓練が功を奏したのか、第一騎士団は持久力がなくては務まらないと後の採用試験に使われることとなったのは余談である。
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