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第1話
「亮平 、気にしないで。こういうの、良くあることだからさ」
桜井 佑 は、一つ年下の恋人・松原 亮平の肩を撫で、優しく口付けて労 う。そして、気分を変えるかのような明るい声をあげる。
「この部屋、露天風呂付いてるんだってよ! 滑り台もあるし。僕、入りたいな」
交際し始めて約一年、高校生同士の桜井と松原は、まだ身体を繋いでいない。
今日だけでなく、過去何度かトライしたことはある。しかし、いざその時を迎えると、松原の分身は、嘘のように元気を失ってしまうのだ。
「初心者の頃は、良くあることだから仕方ない」
桜井や、気心知れた友人からは、そうフォローされるが、それはそれで、男としてプライドをチクチクと傷付けられる。いつも、桜井はさり気なく優しく松原を慰めてくれるが、桜井自身も時折少し傷付いた表情を浮かべていることも、余計に松原の罪悪感を刺激する。
(佑さん、まさか、『亮平は僕のこと好きじゃないのかも』『僕の身体に興奮しないのかも』なんて、誤解してないよなぁ……?)
実際のところ、自分から交際を申し込んだくらいだから、松原は、性的な意味でも桜井に強く惹かれている。早く抱きたい、全部自分のものにしたいし、自分の全てをあげたい。口下手だけに、そこまでハッキリ口にしたことはないが、心の中は熱く滾 っている。しかし、『次こそは』、そう意気込めば意気込むほど、緊張で身が竦んでしまうことに、松原本人は気付いていない。
今日はクリスマスイブ。桜井は受験生だが、既に推薦で青陵大学――二人は大学の付属高校に在籍しているのだが――への入学が決まっている。
「二人が高校生として過ごす最後のクリスマスだから」
桜井が、そう主張して、推薦入学が決まった後に精を出しているアルバイトで稼いだお金で、豪華露天風呂付きラブホテルを予約してくれたのだ。それだけに、志 を果たせなかったことが悔しく、恋人の期待に応えられない自分が情けない。松原は唇を噛んだ。
(こんなにシチュエーションお膳立てしてもらってるのにダメとか、情けないよなぁ……。俺、いつになったら童貞卒業して、佑さんを歓 ばせてあげられるんだろ……)
恋人が立派な部屋を取ってくれたのも、万が一ダメだった場合、楽しみがあれば、気まずさが減るだろうと気を遣ってくれたのだろう。せめて、恋人に悲しい思いをさせるまい。セックス以外で楽しんでもらいたい。
露天風呂に二人でゆっくり浸かり、滑り台で遊び、アミューズメント施設に来たように楽しみ、ぴたりと肌を寄せて一緒に眠った。
翌日は土曜だ。既に冬休みに入っているし、年明けまでは部活動もない。松原は、またしても童貞卒業のチャンスを逃して不貞腐 れながら自宅でダラダラと過ごした。夕方からの中学の同窓会に向けて着替えながら、ふと、恋人からのクリスマスプレゼントを思い出した。綺麗にラッピングされた包みを開けると、出てきたのは、香水の瓶だった。カルバン・クライン『エタニティ』のオードトワレだ。
蓋 を外して、クンクンと香りを嗅 いでみる。爽やかで、これなら自分でも付けられそうだ。
(佑さんのチョイスだもん。俺に似合いそうもないものは、選ばないはずだ。香水なんて付けていったら、みんなに『色気づいてる』って、からかわれるかもだけど……、せっかくのプレゼントだもんな)
松原は、アンダーシャツをめくり上げ、臍 の下にシュッと一噴 きした。周囲の雑音より、恋人の真心を大切にする。それが彼の美徳であり、桜井からも好かれている美点のひとつだ。上にボーダーのTシャツを着て、パーカーを羽織る。髪を整えている時、体温で温められたトワレがふわりと匂い立った。
(……これ、佑さんと同じ香りだ!)
お揃いの香水を贈られたことに気付き、松原は一人顔を赤らめた。
自分の腕の中で、大きな瞳を潤ませ、キスをねだるように少し尖らせた柔らかい唇。繊細な指先。白い肌の上の胸の飾りは名前同様に桜色で、そうっと触れると、彼は子猫のように喉を鳴らすのだ。色っぽい恋人の姿態を思い出すと体温が高まり、トワレが更に香る。
(ヤバいな、これ。佑さんと抱き合ってるみたいで、堪んないなぁ)
香水の匂いの呪縛 。そんな高度な恋愛テクニックを駆使する桜井に、うぶな松原が敵 うわけもない。メロメロになりながら上着を羽織りスニーカーを履いて、にやける顔をどうにか引き締めながら同窓会へ向かった。
「ねぇ、松原君。香水付けてるでしょ。それ、エタニティだよね」
中学の教室を借りた同窓会は賑やかだ。人気者の男女が大きな声をあげて、面白おかしく昔話をしたり、ゲームを主導している。そんな中、一人の女子が、他の人には聞こえない程度の小声で松原に耳打ちした。
驚いて、思わず彼女をまじまじと見返した。艶々の黒いストレートロングの髪に、タートルネックのセーター。切れ長の瞳を際立たせるように、控えめにアイラインだけが引かれている。他の女子と比べると、服装もメイクも控えめすぎるほどだ、と思った次の瞬間。耳元にキラリと小さな金色のピアスが光っているのが見える。
(むしろ他の子達より、すごく個性的で大人っぽい)
たった二年でずいぶん大人っぽくなった同級生に驚きながら、松原は、小さく頷いた。
「うん、そうだよ。ちょっとしか付けてないつもりだけど、良く分かったね」
「私のお姉ちゃんが、彼氏とお揃いで使ってるから、分かっちゃった。恋人から貰ったの? エタニティの意味って『永遠』でしょ? そんな名前の香水を贈られるなんて、松原君、愛されてるねぇ」
彼女は目を細め、フフフと薄い笑みを浮かべている。意味深に少し歪めた唇が艶かしく、松原ですらドキッとした。同時に、桜井のプレゼントに込められた彼の気持ちの深さで胸が一杯になり、何も言葉が出なかった。
同窓会が終わった後、松原は、桜井の自宅へと足を向けた。マンションの前に着いたところで電話する。
「今、佑さんちの前にいるんです。少し顔、見せてもらえますか?」
言うなり、電話がブツッと切れる。その場に立ちつくしていると、数分内に、息せき切って桜井はエントランス前に駆けてきた。
「とりあえず、入って。寒いし」
松原の手を取った桜井の手は、とても温かい。自分が外を歩いてきて体が冷え切っていたのだと気づいた。文字通り、寒さを忘れるほど夢中でひたすらに恋人のところにやってきた。まるで鮭が生まれ育った川に戻るように、自分の戻る場所は彼のところなんだ。
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