桜井(さくらい)は大学生の兄と二人暮らしなので、昼間は、彼の自宅には誰もいないことが多い。松原(まつばら)は、過去の経験で知っている。両親は仕事の都合で海外勤務中と聞いた。上着を脱ぐと、桜井はハッと目を丸くした。 「昨日プレゼントした香水、早速使ってくれてるんだね……。嬉しい」 　はにかんだような笑顔を浮かべる恋人への愛おしさが溢れ、松原は、思わず桜井を抱き締めた。彼からも、永遠の香りがする。 「ねぇ、なんで、こっちに来る前に連絡しなかったの？　もし僕が家にいなかったら、どうするつもりだったんだよ」 　少し拗(す)ねたように呟く桜井の耳は赤い。照れているようだ。 「もし家にいなくても、電話したらすぐ帰ってきてくれるだろうな、と思って。俺をむげに追い返すような、冷たい人じゃないし。佑さん、優しいから」 　小柄な桜井と抱き合うと、彼の顔は自分の胸元の高さだ。艶々の金髪の頭頂部に、気持ちを込めてキスを落とした。 （可愛い） 　ほっそりした身体を抱きしめる腕に、少し力を込めると、桜井はおずおずと甘えるように小首を傾げながら松原を見上げる。恥じらうように開き始めた花の、新鮮な蜜に引き寄せられる昆虫のように、松原は桜井に顔を寄せる。頰と頬を合わせ、花びらみたいに可憐な耳朶(みみたぶ)に息を吹きかけながら、秘密を打ち明けるように囁いた。 「この香水、付けてから佑さんとお揃いだって気づいたよ。佑さんのこと思い出しちゃって、俺、もう堪らなかった」 　欲望を孕(はら)んだ松原の声は、低く、湿度が高い。その吐息にくすぐられた桜井は、ふるりと身体を震わせた。 「寒い？」 　松原の問いには、かぶりを振って否定するが、いっそう震えてしがみついてくる。 「震えてる」 「だって……。亮平、身体が冷たいのに息が熱いから。急に雄(おす)みがすごいよ」 「こんなプレゼント貰って、萌えない男がいるわけないじゃん」 　砂漠で水に飢えた旅人が、オアシスの水に出くわしたかのように、貪るように口づけた。桜井も、負けじと全身で応える。ほっそりした身体をネコのように優雅な動きで擦り寄せ、松原の背中を腰から肩まで撫で上げる。 　お互いに恋をしている。その唇の熱さも、抱きしめる腕の強さも知っている。 （でも、まだ俺は、佑さんの全てを知ってるわけじゃない。もっと知りたい） 　舌先で唇をノックする。自宅に入れてくれたように、桜井はすんなりと柔らかく口を開き、恋人の訪(おとな)いを待ち受ける。舌を差し入れ、丁寧に口内をなぞる。時折身体を震わせる場所は特に丁寧に舐める。 　爪先立ちして松原の首にぶら下がっていた桜井が、バランスを崩してよろけた。キスに夢中になり過ぎたのを恥じたのか、桜井はおどけてみせる。 「あはは。僕、チビだから。背の高い亮平とキスするの大変」 「今日、お兄さんの帰りは？」 「……。バイトの日だから、夜遅くまで帰ってこない」 　最後の会話は、もはや別の何かの確認だった。何気ない体を装って聞いたが、胸を突き破って心臓が飛び出るのではないかと思うほど松原は緊張した。 　桜井は、少し怒ったような、困惑気味の表情を浮かべて俯いていたが、フッと顔をあげ、優しい笑みを浮かべた。 「亮平、お風呂に入りなよ。めちゃくちゃ身体が冷えてるもん。風邪ひいちゃう」 　無言で松原の手を引き、脱衣所に案内する。桜井は浴室に入り、湯船にお湯を張り始めたようだ。 「あ、佑さん。悪いです。わざわざ」 「シャワーだけじゃ、かえって風邪ひくよ。　……一緒に入ろう？」 　今朝まで、裸で肌をくっ付けあって寝ていたのに、二人の間に漂う空気は、今朝よりも甘く、熱い。 　背中にお湯を掛けてもらう。ボディーソープを手に取り、泡立てて身体を洗う。細く柔らかい桜井の手が、松原の背中を撫でる。手のひらで優しく撫でさすったと思いきや、思わせぶりに指先だけで、背中や脇腹をなぞったりする。松原は快感に呻(うめ)いた。 「ちょ……。佑さん、それヤバい」 「気持ち良いんだ？　良かった。感じさせようと思って、やってるから」 　含み笑いする桜井の手をとらえ、彼の腰を掴んで、自分の方を向かせる。正面から顔を見つめると、桜井は驚いたように瞬きを繰り返し、視線を泳がせる。 「佑さん。エタニティの意味は『永遠』なんですよね。俺、嬉しかったです。春になったら、佑さんは大学生だし、隣の校舎とは言え、今ほどは会えなくなると思う。きっと周りにはカッコ良い大学生の先輩もいっぱいいるだろうし。でも、気持ちはこれからも一緒にいたいって、佑さんも思ってくれてるんだなって」 　いつになく真剣に熱っぽく語る松原の言葉を、笑ったり茶化したりすることなく、桜井は神妙な表情を浮かべて聞いている。 「……重くない？　僕の気持ち」 　少し緊張気味に上目遣いで尋ねる姿が、改めて愛おしいと思った。松原はかぶりを振って 『そんなことはない』と伝えながら、彼を抱き寄せる。 「しかもお揃いの香りだなんて。……この匂い嗅ぐたび、俺、佑さんのこと思い出して、堪んない気持ちになっちゃうよ」 　今度は松原が甘えるように鼻先を桜井の首筋に擦り付ける。 「ああっ……」 　艶かしい声をあげ、身体を捩(よじ)りながらも、鳥肌を立てている。 「佑さん、ごめん。俺の身体が冷たいんすね。湯船、入って良い？」 　シャワーで泡を洗い流し、二人で湯船に浸かった。桜井は甘えるように、松原の脚の間に座り込む。 「待って、俺の冷たい身体にくっ付いたら、佑さん寒いでしょ？」 　手桶で肩や背中にお湯をかける。その温かさにひと心地つき、松原は溜め息をつく。そっと桜井の背中にもお湯を掛けて、手のひらを置いてみる。 「うん、これなら寒くない」 　背後からきゅっと抱き締め、頰と頬を合わせる。しばらく二人は無言で、互いの肌の温もりを分かち合うかのように寄り添っていた。 「……佑さん？」 　耳を染め、腕の中で身じろぎする桜井に声を掛けると、彼は小声で打ち明けた。 「僕、勃(た)っちゃった」 「え？」 「亮平って、脱いだらすごいんだもん。着痩せする性質だよね。……って、亮平も、おっきくなってるじゃん」 「そりゃ、勃つでしょ。好きな人が腕の中にいて、俺に欲情してくれたら」 　桜井は振り返った。大きな琥珀(こはく)色の瞳は目尻に向かって切れ上がり、ネコのような妖艶(ようえん)さだが、今は目尻や頬が桜色に染まり、壮絶な色気を放っている。 　二人は湯船の中で、互いの身体の輪郭を確かめるかのように撫でさすり合いながら唇を重ねた。逆上(のぼ)せそうになり、一緒にちょっとした悪戯(いたずら)をしでかした子供みたいな笑顔でフフッと笑いあうまで、キスを止められなかったのだ。