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8 邂逅編 フェル族 2

「おっしゃるとおりです。兄からこの里の復興具合の様子を見てきて欲しいと頼まれていたのは確かです。でも私は一時実家を勘当されていたような不肖の息子ですので、『家業』とは関係ありせん。それに私自身がフェル族の研究をしているのは本当です。よかったらこれをご覧ください」  セラフィンは診療鞄にもう一つ仕込んでおいて品物を取り出した。 それはこのようにフェル族の人々に話を聞く際に見せる、今までの研究の中で興味を引くような部分をまとめた読み物だった。父に促されて控えていたリアがすぐに眼鏡を差し出してくる。彼女も父の傍らから興味深げに中身を知りたそうにそわそわしていた。眼鏡は老眼鏡のようで、つけると一気に彼を老けさせつつも、ぐっと身近に感じられるようになるから面白い。  ページにして20ページに満たない小冊子だが、時折またにやりと笑ったり少し眉をひそめたり。ヴィオの父は表情豊かな息子と心根のどこかが通じている、まっすぐな人物なのかもしれない。  しかし最後の項目を見た時、明らかに深く眉間にしわが刻まれた。もちろんセラフィンはそのことは承知でこの内容を書いている。 「何が知りたい? この村の悲劇か、それとも先細った未来か? もしくはここに書かれている、軍がフェル族に対して行っていた行為についてか?」 「なんでも。貴方と私がお話できることならば全て」  セラフィンとアガが話をしている最中、しこたま酒を飲まされる係についたジルは、ほろ酔いをあっという間に通り越していた。  ふわふわと温まり、眠くなった身体にリアがたまに冷たいお水を運んでくれて、その味は中央とは違い身体に染みわたるように美味しく感じる。  ぼんやりしている時間が長くなり、時折切れ切れにセラフィンたちの会話が耳に入ってくる。ちゃんと話を聞きたかったのに思った以上に酔いが回ってきたようだ。この酒は強すぎる。 「……国が用意した土地に、国が勝手に作っていった家々だ。ここを里とは認めていない。かつてあった場所に……」 「……従軍してた人で、里に戻ってから子をなした人どれくらいいますか? 里に残っていた人と出生率に差が……」  うとうとしながらもジルにはセラフィンが何を知りたがっているのかよくわかっていた。セラフィンは学生時代、留学先にいた時からフェル族の研究を一人で始めた。そのすべては彼の双子の兄で、セラフィンが番にと切望した最愛の人物を、フェル族最強の戦士と謳われた男から取り戻すための研究だった。  しかしそれには色々な意味で無理があると途中で気が付き、その願いはとうに諦めていた。  セラフィン自身思いがけないことだったが、研究を通じてフェル族独自の文化や風習について興味深くなり、次第に彼らに話を聞いて回ることがライフワークとなっていった。 近年はセラフィンに一方的に恋慕の情を募らせているジルが、よき友の一線を越えない程度の、ぎりぎりの距離感をもって彼に寄り添って同行していた。  そののち、おまけについてきたジルさえも彼らについて興味が出始めたのだ。 なぜなら彼らが登場する物語は中央ではかつて戦時中、士気を鼓舞するために英雄譚として扱われていた非常に人気の高いジャンルであったから。  フェル族は子どもの頃から慣れ親しんだヒーロー譚に通じていた。  彼らは獣人にルーツを持つという伝説を持っている。  海を越えて船でもたどり着いて戻ってきた人はまばらともいうべき、世界の反対側の大陸にはまだ本当に獣の耳やしっぽが生えた人物が息づいている、らしい。  隣といいながら遠い小大陸(これも本当に小なのかは定かでない)は幾多の探検家が挑戦しつつ、命を落としてきた。  文明がこんなにも発達しても苛烈な動きをする海流の関係で、非常にたどり着きにくく、たどり着いたら戻りにくい。  だからこちらの大大陸だけで人々は小競り合い戦争し、やっと戦争は終わり今からどうしていこうかという世の中になっている。  フェル族はそこから来たともそちらに帰らなかった人々の末裔ともいわれている、謎めいた人々だ。  セラフィンの研究によると、フェル族ドリ派は瞳の色がとても美しく、虹彩の中に角度によってメタリックと言えるほどの金色の環が存在している。この金の環が広がった時、本人が思っている以上の膂力や瞬発力を見せる。 ソート族は常日頃から跳躍力に優れ、また足がとても速く俊敏で、古くから戦争中は斥候として活躍したらしい。  ウリ族は西の海側に住んでいることが多かったからか、船を操る力、水の中での動きに特化している。シドリ族は天候を五感を駆使して読む力に優れて、どちらかといえば穏やかで優美な容姿の者が多くて戦いというよりは自然と共に生き、自然を愛する平和主義者が多いらしい。  それぞれの特徴がまるで物語の登場人物たちのように興味深くて、面白いことが大好きなジルも最初は完全に彼との縁が切れるのを恐れて引っ付いてきただけだったが、今ではこうした小旅行にセラフィンに同行することが楽しみになっていたのだった。

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