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40 再会編 ラズラエル百貨店

 クリスタルアーケードのある駅の名前は『ラズラエル』というらしい。なんでも南北に走るこの鉄道路線自体、ラズラエル百貨店を持つグループが国と協力して敷いたものなのだそうだ。  駅舎自体もガラス張りで空が見えるようになっていて、人ごみの中でつったってそれを見上げたヴィオを、セラフィンはさりげなく庇ってその手をにぎった。  どうやらカイに続いてセラフィンまでもヴィオとは手を繋がないと危ないと思っているらしい。 「先生、手……」 「いくぞ」  甘く小さな声で咎めるようにつぶやき、ヴィオは瞳を揺らしたが、セラフィンは構わずヴィオの温かい手を長い指を指を絡めるようにして握ったまま、まま駅からアーケードに直結している階段を下りていった。 (これがクリスタルアーケード)  階段の上から見ていた時、蛇のようにつらつらと長くガラスの屋根が連ねって見えたが、中に入ると小さな商店街がガラス屋根の下にたくさん詰まっていて、その華やかさにヴィオの心は踊った。 「先生すごい! 沢山あるよ。ここだけで隣の街がはいっちゃうかもしれない! すごいすごい!」  感動して歓声を上げたヴィオの声を聴くだけで連れてきたかいがあったというもの。こんな声をどんどんあげさせたいと、セラフィンは頭の中に彼に見せたいものを次々に浮かべていった。 「一つ一つ全部の店を見ていたら時間が足りなくなる。先にラズラエル百貨店にいこう」  繋がった手先が妙に熱く感じられてそこから脈打つようだ。ヴィオは周りの人が振り返るほど端正で素敵なセラフィンを、こんなに間近で見上げられる位置に置いてもらえていることを奇跡のように感じていた。  セラフィンは意外と歩くのが早くてさっさか自分のペースで歩いていくから、ヴィオも頑張ってトコトコとその後ろをついていく。  長い長いアーケードの真ん中にその百貨店はあり、そこからまたアーケードは横向きにくっついて伸びているようだ。 (どこまであるんだろう。一回端までいってみたいな)  すると非常に気になる甘い香りが角にある店から漂ってきて、思わず気になってちらちらとみてしまうと、セラフィンはそんな様子を面白がって笑いかけた。 「美味しそうな匂いだな? 今買って持って帰るとつぶれてしまうからあそこで食べるか」 「え、いいよ、先生」  セラフィンが指さしたのは、店の入り口前のあたりでそこにはシンボルツリーのような小さな白い花の咲く木があった。その下にはベンチがぐるりと置いてある。プレートに「リボンの木」とあり、確かに小さな花一つ一つがリボンかさもなくば蝶々のような形になっている。僅かに甘い香りも漂いとても愛らしい。 (先生でも買ったものをお外でそのまま食べるようなお行儀悪いことするんだ。それとも中央では普通なのかな? わからないけど嬉しい)  セラフィンはそのベンチにヴィオを座らせると甘い菓子と自分とヴィオの分の飲み物を買いに行ってくれた。  申し訳ないやら嬉しいやらで、もじもじそわそわとしたまま椅子に腰かけている。その間もセラフィンから目が離せない。 (先生は街の人と比べて、背が高い方だ。髪の毛もあんなに真っ黒で艶々した人なんて他に見当たらない)  どちらかといえば明るい色やぼやっとした栗色からこげ茶ぐらいまでが多い中央の街中で、白いジャケットの上に垂らされたセラフィンの黒髪はとてもきれいだ。  後ろ姿だけでも素敵だとわかる。しなやかだけど力強くて、ヴィオだけを見つめてくれている姿に胸が暖かくなりながらも疼くような切なくも、不思議な高揚感を感じた。  そのセラフィンは今は店員と言葉を交わしているようだが、ヴィオをおもむろに振り返ると手招きをしてくる。  ヴィオはそれはもうご主人様が大好きな若い犬のように一目散に傍に駆け寄った。 「どうしたんですか? 先生」 「フレーバーががいくつかあるらしくて、ヴィオが好きなものを選んでくれ」  甘い香りの正体は鉄板に生地を挟み込んで焼く焼き菓子だった。白、こげ茶、少しびっくりするほどのピンク色の三種類。 「どれも美味しそうなのでどれでも大丈夫です。先生は好きなのはあるんですか?」 「これは最近はやり始めた菓子だから私も初めて食べるな」  その言葉にヴィオは破顔して思わずセラフィンの腕にしがみついて額をこつんとぶつけてしまった。 「嬉しいなあ。先生も僕も一緒に初めてのことができるんだ。じゃあ僕はピンク色のにしますから、先生は別のにしますか?」 「こちらのチョコレート味も人気ですよ」  店員の女性がセラフィンを見上げて頬を染めながらにこやかに勧めてくれた方を選んで、片手に飲み物、片手に菓子を受け取った二人はベンチまで戻って腰を掛けた。  夏の間日の入りは少し遅くなっているがガラス張りの屋根の上には赤と紫が混ざったような空のが見えた。  周りが薄暗くなってきたら、店店に明かりが灯り、夕方ともいうのにとても明るい。ヴィオの住む里では日が落ちてから後は本当に真っ暗になる。それが普通だったのだけれど、中央は夜でもずっと明るくて慣れないけれどもドキドキする。 「ヴィオ? 食べないのか?」 「香ばしい、いい匂い。温かい」 「出来立てを頼んだから」  ヴィオが小さなナプキンにくるまれたそれに口をつけるの見届けてから、セラフィンも口にしてみる。 「甘い~ 美味しい。イチゴの味がするよ。周りに固まった砂糖の玉が入ってる! カリカリする。美味しい」  撫ぜると目を細めた猫のように、大きな目を細めて目じりを下げながらヴィオはぱくぱくと続けて食べた。  しかし途中それこそ驚いた子猫がしっぽを立ててぴくんっとするように動きを止めた。 「どうしたんだ?」  自分でもひどく甘く穏やかな声を出しているとセラフィンは思いつつ、片手をあげて砂糖がタップリついたヴィオの口元を指先で拭い、無意識にそれを舐めとる。  するとヴィオは真っ赤な顔になって菓子を取り落しそうになった。  実際ヴィオは自分を甘やかすセラフィンの仕草の一つ一つにドキドキしてしまって穏やかでいられないのだ。 「せ、先生と半分こして食べようとしたのに僕、もう半分以上食べちゃったから。里ではね、いつも姉さんがちょっと多めに半分こしていったんだけど、先生に大きい方食べて欲しかったのに、美味しくてここまで食べちゃった」 「すまない。気が付かなかった」  いいしなセラフィンは自分の方の菓子を半分に割る。チョコレートの香りが漂う菓子を笑顔で口元に差し出された。目の端に行き交う人々がこちらを興味深げに見てくるから、ヴィオはますます顔を赤らめながらそれをあむっと口に含んだ。香り高く少しほろ苦い味が大人っぽくて、ヴィオが少し複雑な顔をしてしまった。 「ヴィオには少し苦く感じたかな?」  セラフィンはヴィオが口をつけたところを上からまた自然な流れでぱくっと食べた。またそれにも胸がとくんとなる。 (なんだか僕ら、恋人同士みたい)  そう考えてヴィオはまた勝手に照れて、それがまた恥ずかしくて。そこからはあっという間にピンクの方の菓子を食べきって、これまた甘いりんごのジュースを一気に飲み干した。 「ヴィオ、腹が減ってたんだな。買い物をしたらすぐ夕食にしよう」  そんな風にセラフィンは思ったようで、自分も菓子を食べ終わると立ち上がり、再びヴィオに手を差し伸べる。ヴィオがその手を取るのは当たり前とばかりに麗しい顔で見下ろしてくるから、ヴィオはおずおずと手を差し出すとくいっと引っ張られた。立ち上がる時に勢い余ってその腕に飛び込むと、セラフィンは抱き留めながらおかし気に笑う。 「元気がいいな、ヴィオ。さあいこう」  煌く明かりにお洒落で洗練された商品が所狭しと並ぶ、ラズラエル百貨店。生まれて初めてエレベーターに乗りこんだヴィオは、緊張の面持ちでこちこちに固まっている。そんな様子も可愛くてたまらず、セラフィンはヴィオに初めての経験を沢山させてやりたいと思った。それが自分自身も楽しみの一つになりそうだからだ。  セラフィンの行きつけの店は上等な既成の服を売っている店を併設した、ラズラエル百貨店内にあるサロンだった。 「わざわざおいでいただかなくても、お招きいただければご自宅に伺いましたのにって、あら、これはお急ぎね」  サロンのオーナーはの女性はヴィオの姿を上から下まで検分するようにして見渡すと、さっそくヴィオだけ別室に連れ去っていった。  不安げに何度もセラフィンを振り返るヴィオの様子が連れていかれる牛のように哀れで、でも愛らしくてセラフィンは気が付くとまた自分が微笑んでいると知った。  ヴィオと一緒にいる時、セラフィンはいつでもこんな調子だ。ということはヴィオと共に暮らしていけば自分はいつでも笑顔でいられるのではないか。そんな考えに至ってそれを否定する。 (いつまでも続くわけではない。ひと時、天から君を預けてもらっているだけだ。こんな穏やかな幸せ、俺が得ていいものではない)  ヴィオを隠して大きく揺れた天鵞絨の幕の向こうをセラフィンは寂し気な眼差しで見送っていた。

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