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52 再会編 異国1
『セラフィン、昔みたいに情熱的に私を抱きなさい』
セラフィンはその言葉が口火となり、身体の自由を奪われた。
かつては慣れ親しんだ感覚で、彼女の命令通りに喜んで身を差し出していたのだ。その時の自分を悔いてはいない。少なくともそう思っていた。ヴィオに会うまでは。
セラフィンが双子の兄との恋に破れ引き裂かれ、家族に追放されるかのように送り込まれた隣国。
テグニ国で番を得て、幸せに暮らしていた兄家族は優しくセラフィンを迎え入れてくれたが、心を閉ざした若いセラフィンは彼らと距離を置きたがり、まだ幼かった甥っ子たちにも素っ気ない態度取っていた。
一番年上のクィートはそれでもいつもめげずにセラフィンにまとわりついてきたが、だからといって生まれた時から共にあった半身を失った喪失感が埋まることはなった。
言葉に不自由していたわけではなかったし、年上のものたちに交じっての勉強について行かれないわけでもない。医学部に入学してからもなんとなく日々講義を無味乾燥に受け流し、時間になったら下宿していた兄の家に帰る。
周りの若者たちが恋や友情にうつつを抜かして青春を謳歌し楽しむ間、ただ月日だけがセラフィンにも平等に流れる、空しい日々だった。
世界はあの日、ソフィアリの乗る馬車を追いかけ走ったあの時から色を失ったまま。
自分から相手と関わろうとはせず、しかしテグニ国に来てからもその美貌に目をつけて言い寄ってくる男女もそれこそ履いて捨てるほどいて、億劫になるとわざと傷つけるようなひどいやり方で手酷く振り続けていた。
自分よりも年上のものたちばかりの医学部に通っている時、気まぐれに誘われてついていったテグニ国の若者たちが集まる盛り場で勧められるまま、かろうじて合法である気分を向上させる薬に手を出した。
その頃、ちょうどソフィアリの紫の香水が母国に遅れること数か月後に大々的に売り出されたばかりだった。それは国全体の文化水準は母国よりも上と言われるテグニ国でも人々の噂に登るほどだった。
セラフィンだけの『秘密の香り』であった兄の悩ましくも儚く美しい芳香は、ハレヘの街の美貌の領主と国の英雄である番とを結びつけた『運命と初恋の香り』と華々しく銘打たれ、母国の有名百貨店の支店のショーウィンドウを兄の姿を映した壮麗なポスターと共に煌びやかに飾っていた。
たった一人異国の街角でそれを眺める自分とはどれだけ隔たってしまったのだろう。不意に最愛の兄との思い出のよすがに触れ、セラフィンは気が塞ぎ、何もかも忘れたくて薬に手を伸ばしてしまったのだ。
小汚い盛り場の人目につかぬ場所で、途中から薬をすり替えられひどく酔い、男たちに囲まれてセラフィンはその美しい肢体を思うさまむさぼられかけていた。
実は振られた者たちが共謀し、腹いせにセラフィンに薬を勧めるように仕向けられていたのだが、世間知らずで自暴自棄、それでいて自分に自信があった青年の最後のプライドはそれにより粉々に打ち砕かれたのだ。
セラフィンは母国ではアルファとしての立派な体躯は持ち合わせていたものの、だからといって裕福な貴族の家のおっとり育った末っ子という性格上、当時は腕っぷしはあまり強くなかった。国でも喧嘩を挑んで素行は悪いが優男で有名な兄に負けたほどだ。それにそもそもテグニ国の若者と比べると線が細く、優美な姿形をしている人々が住まうと謳われる国の出身で、こればかりは人種の違いだから仕方がない。
テグニ国のものから見るとセラフィンは男性でアルファであっても神秘的で麗しくどこか艶めいた存在にみえた。薬に酔い身体をテーブルの上に横たえられ、上気した顔の妖美さにセラフィンに男たちは次第に夢中になり、仲間割れが起こっていたところその騒ぎを聞きつけ通りがかったのが男装をしたベラだった。
彼女曰く小奇麗なのが落ちていたから拾って帰った、という弁だが実際はセラフィンは救出された最後の方の記憶は切れ切れにしか残っていない。
ただ黒髪を乱暴に振り乱し、身体にぴったりと沿った黒い革の上下を着たその姿は鮮烈で生き生きと男たちを相手に立ちまわる姿は本当に痛快だった記憶は残っている。
当時の彼女は軍人として一線からは身を退いていたとはいえ筋肉の鎧を着こんだようなタフで頑強な身体つきをしていて、暴漢たちに振り上げた拳や足は切れ味よい速度で軌道を描き、あっという間に男たちを床にねじ伏せていった。薄暗い店内の明かりを遮るようにふわっと広がった長い黒髪の艶やかさが視界にいっぱいに広がり、セラフィンは彼女の中にソフィアリの面影を重ねてしまった。
情けなくも軽々と肩に担ぎ上げられ、彼女の屋敷に連れ帰られた後、薬には質の悪い媚薬も含まれており、渇きを訴えたセラフィンはその晩ベラと明け方まで何度も交わった。その頃はまだ女性と経験をしたことがなかったセラフィンだったが、彼女のリードは巧みで、薬で幻覚を見ていたセラフィンには彼女がソフィアリに見えた。それがこの暗示を生むきっかけとなったのだ。
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