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《兄貴》2

 結局中西は雪成を料亭まで送ると、車の中で待っていることにしたようだ。長時間になる事はないとはいえ、若頭が健気に車で待つなど聞いたことがない。雪成は心配性の中西に苦笑を浮かべるしかなかった。 「急に誘ったのにありがとな」 「いえ、声をかけて頂きありがとうございます」  赤坂の高級料亭の一室。永野が贔屓にしている料亭のため、雪成はいつも全て任せている。  テーブルには豪華な食事がたくさん並んでいるが、雪成は食にこだわりがないため、高級な物を食べても良さなどが良く分からない。美味いか不味いかくらいは分かるがと、雪成は永野から注がれた日本酒を飲む。  フルーティーな味わいが口に広がって、雪成は素直に美味いと感じた。 「そう言えばさ、今田さんとこの噂聞いたか?」  マグロの刺身を美味そうに咀嚼しながら、永野は世間話でも始めるように問う。雪成は心当たりが何もないため首を振った。今田は市松組の若頭補佐の一人だ。 「今田さんがどうかされました?」 「あぁ、雪成だが言うが、これはまだ噂程度の話だからオフレコで頼むぜ」 「はい……」  噂程度の話をするほど雪成のことを信用しているのだろうが、こういう世界では危険なこともある。特に幹部クラスになってくると、足の引っ張り合いが多くなってくる。だから他者の地位を(おびや)かすようなネタであれば、更に慎重にならなくてはならない。ライバルを蹴落とすチャンスがある時は、しっかりと下調べし、証拠が揃えば幹部の前で暴露するのが正解だ。誰かに漏らすのは双方ともに危険を孕む。 「どうやら抑制剤に、覚せい剤を混ぜて捌いてるらしいってな」  永野がテーブルを挟んだ向かいから少し身を乗り出し、小声で囁く。 「そうなんですか……?」  雪成は驚いたように見せた。それはどこ情報など色々突っ込みたいところだが、それは決してしてはならない。永野の事を疑っている事になるからだ。どんな事でも表面上は話を合わせなければならない。ヤクザの世界では、上の者の言う事が全てだ。それが間違っていようが関係なく。その為、これは中西にも口外出来ないことだった。 「あぁ、これが本当なら大変なことになるぞ。覚せい剤で儲ける云々はオレからは何とも言えないけどさ、抑制剤に混ぜたらそれはヤバすぎるだろ」  雪成の柳眉が寄る。これが本当ならば、雪成の心も穏やかではいられない。  オメガの発情を抑制剤で抑えて、皆に迷惑をかけないよう肩身が狭いなか生活しているのに、そこへ覚せい剤を混ぜるなど、考えただけで憎悪が膨らむ。  雪成の心中は終始晴れることなく、永野との一年ぶりの食事は終えた。 「待たせたな」  連絡をせずに不意打ちのように、車の後部座席へと乗り込んだ雪成に、中西は驚きつつも気づかなかった事を詫びた。 「会長……大丈夫ですか?」  不機嫌な空気がまだ残っていたようで、中西が心配するが、雪成は大丈夫だと、これ以上は突っ込ませないように会話を切った。 「そうですか……。それでは別件の事で昨日の男の件ですが」 「何か分かったか?」  背もたれに背中を預けた雪成は、ネクタイを緩めながら先を促す。 「いえ、何もと言った方がいい程に何も出てこなかったです」  何も出てこないはずがないと、雪成の右眉が少し上がった。

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