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8 運動会とご褒美
早朝、運動会の決行を知らせる花火が町内に鳴り響く。今日は小学校の運動会だ。校庭にはたくさんのテントが並び、高らかに掲げられた万国旗が青天の下ではためく。保護者や地域住民が会場を埋め尽くし、独特の賑わいと非日常感を醸し出している。
「兄ちゃん! 来てくれたんだ」
開会式後の束の間、健の姿を見つけた侑が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「見てた? おれ、先頭で行進したの」
「見てたよ。プラカード持ってたね」
「へへ、まぁあれは背の順だから、別にすごいわけじゃないんだけどね」
「でも目立ってたよ」
「次はもっとすごいからね! ちゃーんと一番前で見ててよね!」
友達に呼ばれ、テントに戻る。
来てくれたんだ、と侑は言ったが、もちろん来るに決まっている。家の冷蔵庫には学校からのお便りや運動会のプログラムがべたべた貼られ、カレンダーも今日のところだけ派手な花丸が付けられているのだから、忘れたくても忘れられるはずがない。
次はもっとすごいと豪語していただけあって、侑は徒競走で一等賞だった。小さな体で風のように走るのだ。ゴールテープを切る瞬間はさぞかし気持ちがいいだろう。健はビデオカメラ片手に侑の姿を追った。皆一様に白い体操服を着ているが、侑のそれだけは特別白く眩しく見え、たくさんいる子供達の中でも見失うことはなかった。
「ねーねー、見てこれ。一番だから金メダルのシールもらったんだ」
お弁当の時間、侑は自慢げに語る。左胸のポケットに、金色のシールが貼ってある。その隣は銅メダルで、これは障害物競走で三位だったからもらったものだろう。
「母さん、見てた? おれ、かけっこ一位だったの」
「見てたわよ。あんなに速く走れて羨ましいわぁ。母さんは運動音痴だから」
「兄ちゃんは? ちゃんと見てた?」
「うん、断トツで速かったね」
「えへへ、でしょー。おれ、実は体育得意なの」
「ビデオ撮ったから、帰ったら一緒に見よう」
午後の部、侑は綱引きで埃まみれになり、組体操で泥だらけになり、最終種目の選抜リレーでごぼう抜きを披露した。もちろん健はカメラ片手に侑の勇姿を追いかける。拙いながらも、カメラ係を全うした。
陽が傾きかけてきた。赤トンボの舞う中、閉会式が行われた。テントを片付け、万国旗が下ろされると、がらんとしたグラウンドに元通り。会場を埋め尽くしていた保護者も帰り始める。昼間の喧騒が嘘みたいに静かだ。
「あ、兄ちゃん」
ホームルームを終えた侑が、昇降口から出てくる。じゃあね、と友達に手を振り、健の元へと駆け寄ってくる。植え込みの金木犀が香る。
「兄ちゃん、待ってたの」
「一緒に帰ろうって、侑が言ったんでしょ」
「そーだけどさ。兄ちゃんが学校にいるの、なんかおもしろい」
「おもしろくはないでしょ」
「ううん、違くて……だってなんか……」
夜勤のあるお母さんは先に一人で帰った。今頃バスか、もう病院にいるのかもしれない。侑は、人目があるからか手を繋ごうとはせず、しかし少し遠回りして帰った。秋の風が涼しかった。
帰宅したら兎にも角にもまず風呂だ。侑の汚れた体操服を剥ぎ取り、洗剤をたっぷりつけて手洗いする。その間に侑を風呂に放り込む。お湯が茶色くなった、と浴室から聞こえる。体操服を洗った水も土色に濁った。
食後、部屋を暗くしてビデオの上映会をした。侑は健の膝に座って見る。ここが定位置と化している。入場行進から始まり、徒競走、障害走と続く。会場の声援やBGMに混じって、健の声も時折入る。
「兄ちゃん、動画撮るのあんまり上手くないね」
「初めてだから大目に見てよ」
「手ブレすごいし、見切れるし」
「でも侑のことだけは一応ちゃんと撮れてるでしょ。あ、ほら、これとか。組体操って移動が多いから追いかけるのが大変で」
「ずっとおれのこと見てたの?」
「見てたよ。お母さんに頼まれちゃったし」
「それだけ?」
「何が」
「母さんに頼まれなかったら、おれのことずっと見ててくれなかった?」
「そんなことないと思うけど……」
これは何やらまずい雰囲気かもしれない。侑はテレビにすっかり背を向けて、物欲しそうな目で健を見上げる。
「ねー、おれ、今日いっぱいがんばったよね。ずっと見てたんでしょ、おれのこと」
「うん、すごくがんばってたよ」
「えらい?」
「偉いよ」
「そ、そしたらね、あの……ご褒美、ほしいなぁって……いい?」
はにかみながら甘えるので、健は侑のふんわりとした前髪をよけて、狭い額に軽くキスをした。
「はい、ご褒美」
侑はきょとんとしていたが、すぐにはっとなって首を振る。
「ち、違うよ! こんなんじゃなくて、もっとすごいご褒美がいいの」
「すごいのって?」
「だ、だからぁ……」
侑は緊張気味に目を瞑り、唇をつんと突き出す。この初々しさが堪らなく愛らしい。健は少し悩むふりをし、侑の唇を指先でなぞってから、ゆっくりと口づけた。しっとりと吸い付くような、潤いのある唇だった。
「……これでいい?」
侑は恥ずかしそうに口をもぐもぐさせ、もっととねだった。再び唇を重ねる。一回目よりもいくらか長く、しかし表面にそっと触れるだけ。
「……も、もっと……」
三度 唇を重ねる。緊張からか強張る唇を舐めると、侑はぴくりと肩を震わせて薄く目を開ける。
「んぅ……?」
「……口、開けて」
侑は素直に口を開く。その小さな口に、健は舌を差し入れる。浅く入れて、唇の裏のぷにぷにしたところや、舌先をくすぐるように舐める。身長差があるため、侑は懸命に背筋を伸ばして頭を持ち上げ、健の唇に吸い付く。
「む……んぅ……っ、……に、にぃちゃ……もっと……」
息継ぎが上手くできず、苦しそうに喘ぐ。両目にはたっぷり涙を浮かべている。それなのに、甘ったるい声で続きをねだる。
「舌、出してみて。べーって。……うん、いい子だね」
よしよしと頭を撫で、その小さな舌を包み込むようにして口に含む。驚いたのか、侑は大きく体を跳ねさせる。
「ひゃぅ……っ」
安心させるように背中を撫でてやると、一旦引っ込んだ舌がまた伸びてきて、健の唇を舐める。それを優しく絡め取り、ちゅうと吸い上げる。ふわふわした感触を、唇と前歯で目一杯堪能する。
「ふゃ……ぁ、あぅ……んぅぅ……っ」
侑の体からはだんだん力が抜け、姿勢を保てなくなる。唇が離れそうになるので、侑の細い腰をしっかり支え、後頭部を押さえて抱きしめる。こうすれば簡単には離れられまい。侑は弱々しく健の胸に縋り付く。酸欠になりながらも口を開けて舌を出し、健気に健のものを受け入れる。どちらのものともつかない唾液がぼたぼた垂れる。
「んゃ……も、や……やぇ、ゃ……」
いよいよ苦しくなったか、侑は首を振って逃れる。その表情といったら、熟しすぎた桃のように赤く蕩けている。舐めたらさぞ甘かろう。健は離れた体を引き寄せて、強引に唇を重ねた。侑はかぶりを振って嫌がる。
「ゃ、もぉや、ゃらっ、にぃひゃ、やぁっ……」
酷使したせいか、舌が縺れている。
「鼻で息するんだよ。そうしたら苦しくないから」
「んんぅっ……」
それでもまだ息継ぎが下手くそだ。侑は酸欠でふらふらで、倒れてしまわないようにするだけで精一杯らしかった。健も健で、このままソファに押し倒してしまえればどれだけ楽だろうと思ったが、そうしたら後戻りができなくなるような気がして、座ったままの姿勢で耐えた。
唇がふやけるくらいキスをして、ようやく解放した。つうと銀糸が伝い、きらきらといやらしく光る。侑はくたりと健の胸にもたれ、乱れに乱れた呼吸を整える。
「もぉ……やって、ゆったのに……」
「だって、してほしそうな顔してたから」
「そんなかお……してない……」
「……してたよ」
今もそうだ。上気した頬、潤んだ瞳、緩んだ口元、荒い息。それら全部、もっとほしいとねだっているようにしか見えない。
「けど、はぁ、すごかった……これが、おとなのちゅー……」
「ご褒美になった?」
「うん……えへへ、すっごいまんぞく」
侑は笑い、猫のように顔をすり寄せる。健はその頭を撫でて、ふわふわの髪の匂いを吸い込む。
「そろそろ寝ようか」
「ん……いっしょにねる?」
「寝るよ。今日、疲れたから」
侑を抱き上げて運び、ベッドに寝かせ、健もその隣に横になる。侑はもぞもぞ身動いで、健の背中にぴっとりくっつく。
「……暑いよ」
「えー、いいじゃん。昼間はこういうのできなかったんだもん。学校だし、母さんもいたしさ……。おれね、我慢してたんだよ。今日ずっと、にーちゃんにぎゅーってしたかったの」
そう言って甘える。背中にすりすりしている。
「ねー、さっきのちゅーね、好きになった」
「……他の人としちゃだめだよ」
「しないよぉ。にーちゃんだけ。おねがいしたら、またしてくれる?」
「……もう、いいから早く寝な。疲れたでしょ」
「うん、ねむい」
おやすみと言うなり、一瞬で眠りに落ちた。侑の規則正しい寝息を聞き、健はこっそりベッドを抜け出す。灯りもつけずにトイレに籠り、抜いた。
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