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第6話

『勇魚ちゃん。受かったみたいよ』  時間はばたばたと過ぎていく。  気がついた時には、勇魚はもう町にはいなかった。  剥ぎ取られた鱗のように、俺の身体にぽっかりと白い肌を晒して消えてしまった。  春が来て、夏が来て。  客が引けた後の海の家。吹き抜けの座敷のぼろい長テーブルの横で、オレはまたごろりと寝そべった。海からの風があの頃よりも少し長くなった俺の髪を揺らしていた。夕方になってまばらになった海岸には、それでもまだ数人の人がいて、もうすぐ終わる夏を惜しんでいる。  大盛りのヤキソバと赤い紙コップの氷の入ったメロンソーダ。 「いいんですか」 「いつもお手伝いして貰ってるから」  ひじをついてテーブルを見ると勇魚のかあさんに言う。 「いいのよ。もう、終わりだし」  帰って来なかった勇魚の代わりに、忙しい時には店を手伝っていた。テーブルの前でヤキソバを箸でつまみながら、もう夕方にさしかかった午後の海を見る。午後の日差しが反射して海を光で照らしている。暗い海の中を、本当の思いを隠すように。  あの日もこんなだったな。  勇魚とはあの冬の日、倉庫で抱き合ってから一度も連絡を取っていない。勇魚も連絡を寄こさなかった。どうしているのか、聞きたいと思った。けれど、聞いてしまえば、俺たちが連絡を取り合っていないというとがわかってしまう。そうすれば、何故、俺たちが連絡を取りあわないのかを説明することになる。  そんなことは出来なかったから。  勇魚がいなくなったことで、俺の周囲は少しだけ騒がしくなった。けれど、そのどんな誘いにも俺は応えなかった。そうしていると、荒れていた海が凪ぐように、俺の周囲は穏やかになった。  勇魚はどうしているだろう。泣いたりはしていないだろうか。それとも、もう誰かがいて、泣いている勇魚を慰めているのだろうか。  ずきっと胸が痛む。  海からの強い風が俺を揺らした。  目を細めて、反射する海のその下を見ようとする。  見えるわけはないけれど、見えたらそこには勇魚の白い肌が見える気がした。 「風太」  聞こえるはずのない声に視線をあげた。  長袖のシャツに黒いジーンズ。麦わら帽子に薄く色のついた眼鏡。一年前そっくりの勇魚。ぐいと腕を引かれて立ち上がった。 「勇魚!……あんた!」  追いかけてくる勇魚のかあさんの声を振り切って、つっかけたサンダルで走り出す。泳ぐ魚のように走る勇魚の麦わら帽子が強い風に飛んでいった。短くて茶色の髪が風に舞う。それは俺が最後に見たときには学生らしく黒かったのに。  その茶色は真っ白な肌の勇魚には似合っている。  また、ずきんと胸が痛む。  砂を撒き散らしながら、倉庫の中に駆け込んだ。  まだ開いているシャッターの前、眼鏡をかけた勇魚の姿をじっと見る。久しぶりに見たその姿。白いはずの頬が赤い。首も。太陽に当たったせいだとシャッターを降ろした。  背中から巻きつく腕。少し低い背の吐き出す勇魚の息を肩に感じた。 「風太」  俺は何も言わなかった。言えなかった。  灰色のシャッターをじっと見ながら、ただ身体を強張らせる。 「オレ、卒業したら、こっちに戻ってくる。だから……」  それまで、待ってて。  掠れた小さな声に、詰めていた息を吐いた。  腕をあげて、後ろに抱きつく一回り小さな身体を覗きこむ。灰色に曇った眼鏡の下の涙でいっぱいの瞳を見た。 「勇魚は向こうのほうが暮らしやすいだろう」  仲間もたくさんいるだろう。生き方に干渉なんかされないだろう。ここにいるよりも、自由に泳げるだろう。倉庫の天窓から射した光の中の淡く輝く茶色の髪がそうなのだと囁く。 「だけど、風太がいないよ。オレは(ここ)を離れても生きていけるけど、風太を離れて、生きていけないんだ……出来るかな……本当は、出来るのかもしれないけど、嫌なんだよ。そうしたくないんだ。死んだ方がましだって、毎日、そう思って……」  縋る瞳。白いのど仏がごくりと持ち上がる。大きな涙が盛り上がって、赤く焼けた頬を流れる。俺に会いたくて、日焼け止めも塗らずに走って来た。 「も……もう、誰か、いる?オレ、じゃダメになった?」 「いない」  身体をひねって、背中に抱きつく勇魚を引っ張った。子供みたいにわあと泣き出した身体を抱きしめる。 「勇魚」 「寂しかった」 「うん」 「好き、好きだよ」 「うん」  何度も何度も好きだと言っては泣きじゃくる勇魚に唇を重ねて、お互いの身体の高ぶりをこすりつけあいながら抱き合った。しばらく使われていなかった寝袋の上に勇魚を押し倒して、白い肌に吸いつく。押し上げて外した眼鏡が埃っぽいコンクリートの床の上でカシャッと音をたてた。  どうしようもなく震えながら、それでも受け止めようとぎこちなく動く身体。そこから立ち上る香りが本当に勇魚がここにいるんだと告げてくる。 「勇魚」  びくんとあがった瞳が不安気に曇る。何度言っても、答えても不安なのか。それを拭いたくて、舌先で勇魚の唇を撫でた。はくっと開いた口から覗いた舌が俺の舌に触れた。薄く微笑むと、勇魚が応えるようにおずおずと微笑む。 「俺は、向こうに行くつもりだった。大学か……就職か……。お前がここに帰って来ないなら、俺もそうするつもりだった」 「本当?ほんとうに?」  それこそ息が詰まるような勢いで勇魚が泣きだした。  はあと息をついて、細くて白い身体を抱きしめる。  涙の発作とお互いの熱が収まる頃には、外には薄闇が訪れていた。その闇に紛れて浜辺を手を繋いで歩く。  オレンジ色が暗く沈んだ空に星が浮かぶ。  海からの風が俺たちを揺らしているけれど、絡み合う白と黒の指は離れない。  俺は勇魚を振り返って、風に声が消えないように声をだした。 「勇魚……俺は、」 海の家の案山子:完

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