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黒鳥の湖 1

 打ち鳴る竹の林を戻る。  見渡す限りの竹林だったが薄暗さも鬱蒼とした感じもしないのは、こまめに手が入れられているからだ。この林を通り抜け、オレ「那智黒(なちぐろ)」は先程お客様を見送って来たところだった。  『  蛤貝(うむぎ)って子……僕の事、気に入ってくれたかな?』  『可愛かったよね、蛤貝と話が出来て嬉しかったって伝えてくれる?』  『見送りが蛤貝だったらなぁ』  『蛤貝は忙しかったのかな?』  そう喋り続ける客を先導して歩くのは……なんとも言えない劣等感を刺激されて、なんとか笑顔でお見送り出来たはずだけど、口の端は引き攣っていたかもしれない。 「はぁ 」  見渡す限りの竹、そしてそこを縫うように走る桟橋。  いつもと変わらない光景だし、これからも変わらない光景で、オレは一生これを見続けるんだと決まってる。  『どうして君が見送りなの?』  一際大きく聞こえた幻聴に慌てて首を振り、強い風に髪が乱されるのをぼんやりと立ち尽くしてやり過ごす。  竹に囲まれたここは『盤』と呼ばれる場所で、それがどこにあるのかどうかオレは知らない。ここが日本のどこからしいと言う事は教えられてはいるけれど、『盤』以外に出る事は許されてはいないオレには、それは関係のない話だった。  竹林の入り口はたった一つで、今オレの居る場所から徒歩で十分程、そして生活する家がある場所までは更にここから十分ほど歩かなくては辿りつけない。  時折やってくる客は入り口でα用抑制剤を服用してからこの長い道のりを歩いて、そして……オレ達Ωを抱きに来る。  ここは、そう言う場所 なんだ。 「  ──── えらく甘ったるい匂いだな」  「ひ 」と声が漏れたのは、ここの道で人とすれ違う経験が今までに全くなかったからで、しかも耳元でいきなり喋られたのだからびっくりなんてもんじゃない! 「ぃ  あっ⁉」  耳元で、すん と鼻を鳴らす音が微かに聞こえたけれど、それよりもオレがすっ転ぶ音の方が大きかった。  派手に倒れ込んだオレの傍で呆れたような「はぁ」と言う溜息が零れ落ちて、不承不承と言った風を隠しもしない手が差し出される。 「え あ  」 「早く立ち上がれ、聞きたいことがある」 「お、驚かす方がいけないと思いますっ」  むぅっと口をひん曲げて言ってやると、オレに差し出されていた手の動きが変わって、がしっと襟首を掴んで乱暴に引きずり上げられた。 「なっ な  」  何か言い返してやろうと思ったのに、言葉が出る前にぺっと放り出されてしまって……  転んだ挙句に手荒に引っ張られて、着物は乱れるしボロボロだ。

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